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4 蟷螂の一撃

 ドローンによる火災事件から、1週間が過ぎた。

 大人しく医務室のベッドで過ごした空は、肩の脱臼もだいぶ良くなり、装具はサポーターに変わっている。頭の怪我の方は、僅かながらでも頭蓋骨にヒビが入っていたし、右耳周辺の裂傷も酷かったため、未だに分厚いガーゼと包帯を外せないでいた。

 けれど、明日にはサポーターも取って良いし、軽い内勤なら職場に戻っても良いとふみ先生に言われ、顔には出さないがとても嬉しい空である。耳は聴こえなくても、眼が見えれば出来る仕事は色々あるし、肩の方もリハビリに入れるのだ。


 この1週間、相変わらずメンバーは時折顔を出してくれたし、何故かジーナは結構頻繁に空の顔を見に来ていた。博も今までと変わらず、食事時間は必ず来て、それ以外も暇を見つけては訪れていた。空と色々な話をし、必ず優しいキスをしてくれてはいたが、病室に滞在する時間はこれまでの半分くらいに短くなっていた。理由はジーナに時間を割いていたからで、その事はちゃんと空に告げ、何度も気遣いの優しい言葉をかけてはくれていたのだが。

(やはり、メインルームに居ないと・・・)

 自分から、傍に行かなければと空は思う。博はジーナとの話の内容も聞かせてはくれていたが、何となく違和感を感じてもいたのだ。まるで博が、ジーナの関心を引くような事をしているような気もしていた。

 けれど、彼は何か言いたい事があるが、それを自分に言うことが出来ないでいる、と言うのが正しいような気もする。だから出来るだけ近くにいて、確かめてみたいのだ。



 そして、その日の午後。

 医務室のベッドで昼食を終えた空は、横になってぼんやりと天井を眺めていた。ランチタイムに顔を出してくれた仲間たちも帰り、ふみ先生は遅い昼食を摂りに行っていて留守だ。

 眠くなりそうです、と瞼を閉じかけた時、視界の端に何かが映った。

(・・・・?)

 大きな窓ガラスの向こう、曇り空を背景にこちらに向かって来る飛行物体。

(ドローンっ!)

 精一杯の速さで起き上がった時、1機のドローンがカラス窓を破って飛び込んできた。初めて見る型のそれは、先端に三角錐上の突起がついていた。それでガラスを割ったのだと思われる。そして、その後方に待機してホバリングするもう1機は、以前にも見たことがある『Cockroach』だ。

 ガラスが割れ内部に飛び散る大きな音と共に、空は体に掛けていたタオルケットを目の前に引き上げて飛んでくるガラス片を防ぐ。そして、侵入した新タイプのドローンを確認しようとタオルケットを下げた時、それは眼前に迫っていた。

「・・・ッ!」

 瞬間的に見えたのは、プロペラにしては大きく鋭い刃のようなブレードだった。

 咄嗟に頭を引いて後方に身体を逃がそうとしたが、一瞬遅かった。


 ガラス窓が破られた瞬間、館内にケトルの声と警報音が鳴り響く。その場所が医務室だと解った時、捜査官全員は何もかも放り出して駆け出した。

 病室に飛び込んでそこに見たものは、ベッドから落ちて床に転がった空の姿と、狭い空間で更に攻撃を加えようとするドローンの機体だった。

 最初に部屋に飛び込んだ真が、傍らにあったタオルを投げつける。ドローンはそれを避けるように退き、一旦ホバリングした。そこに、ベッド上にあったタオルケットを掴んだ豪が、闘牛士のムレータのようにドロンに向かってそれを翻す。投げて被せ捕獲しようとするが、ドローンは機敏に動いてなかなか上手くいかない。

 しかし外で状況を判断した『Cockroach』が離脱すると、空を襲撃したドローンも枠だけになった窓から飛び出して逃げていった。


 博はドア近くにいた真を押しのけるように病室に飛び込むと、床に倒れる空に駆け寄った。

 彼女は背中を丸めて横になり、両手で顔を覆いその指の隙間から血が流れている。彼はその身体を抱き起こし、彼女の手をそっと退けた。

「・・・っ!」

 博は思わず息を呑んだ。空の眼の辺りは血で汚れ、身体は恐怖に囚われているかのように小刻みに震えている。右腕もブレードに触れたのか、そこからも出血していた。

「眼をやられましたね!」

 病室が惨憺たる状態になってこともあり、空はFOI病棟へ搬送された。


 FOI病棟の眼科専門医の診断で、幸い空の両眼は瞼の裂傷だけで眼球の方は損傷を免れていると告げられ、ひとまず安堵した博は彼女の病室へ向かった。

 聴覚障碍者である彼女にとって、視覚は普段の生活でも任務でも、非常に重要な位置を占める。もしこの怪我で、視力に影響あるいは盲目にでもなったら、それこそ彼女は自分の存在意義を失ってしまうのではないかと心配していたのだ。

 けれど、裂傷が治ればまた元通りになるのだし、しばらくは不自由になるとは思うが、その間は自分とふみ先生、そしてメンバーがサポートすれば良いだろう。

 そんな事を考えながら病室に入った博は、ベッドに横たわる彼女の姿を見て大きなため息をついた。


 頭部の怪我の包帯はまだ取れていない。そこに両目を覆う包帯が加わって、顔は半分くらいしか見えていなかった。見えているのは左耳と左頬、そして鼻と口くらいなのだ。肩のサポーターは外れていたが、外に出している右腕には包帯が巻かれている。

「・・・空?」

 聞こえないと解っていても、声に出して呼びかけた博の声に、気配を感じたらしい空が答えた。

「・・・博?・・・ですか?」

 博はそっと彼女の左手を掌で包み、そして優しく掌を広げさせるとそこに指で文字を綴る。

(はい、わかりますか?)

 空は左頬と口元だけで、ふわっと笑顔を浮かべる。

「はい、空気の動きと・・・後は匂いで」

 襲撃を受けた直後の、恐怖を感じたような様子は全く見られない。視覚を閉ざされたという本能的で大きな恐怖は、彼女がそれを理解する前に蓋をされているのだろう。

 そして空は、口元を引き締めて報告をした。

「襲撃してきたドローンですが、機体に『mantis』の文字を確認しました」


「mantis・・・カマキリですか」

 博は空の怪我の様子から、刃物を装備したドローンだろうと考えていたが、いかにもそれらしい名前だと思う。カマキリ、蟷螂と漢字で表記されるその昆虫は、2本の鎌のような前脚を持っている。


「明日から少しでも仕事が出来ると思っていたのですが・・・これでは全く何もできませんね。先ほど、支局に戻っても良いとは言われましたが・・・」

 空は独り言のように呟く。医務室は、診療室の方は特に被害は無かったが、病室の方は当分使えないだろう。そうなると自室に居るしかないのだが、ビートが一緒にいてくれるとしても、自分が役立たずな事に変わりはない。そうでなくても、ジーナのアテンド役としての仕事は、他のメンバーに丸投げしているのだ。

 暗い雰囲気を纏う彼女の掌に、博はゆっくりと丁寧に文字を綴った。

(もどりましょう。リビングスペースにいればいいです。なにもしなくていいですから)

 彼女を目の届くところに置いておきたい。今回の襲撃については大きな疑問があるし、仲間たちもきっと協力してくれるだろう。例え空が、何も出来ない事に居心地の悪さを感じたとしても。

「・・・良いのですか?何の役にもたちませんし、寧ろ邪魔になるのでは?」

 置いてある観葉植物より役に立たないでしょう、と言う空だが、それでも頬には微かに嬉しそうな色が見えた。そんな彼女に、博は優しいキスをその唇に落として微笑んだ。


 翌日から、空はリビングスペースのソファーに、ただ座っているだけの状態になった。

 無音の暗闇で、解るのは匂いとある程度の空気の動きだけだ。自分自身の面倒は、手探りの移動と勘で何とかなる。けれどやはり、時折どこかにぶつかってしまったりしてしまうものだから、同じスペースにいるメンバーにとっては気が気じゃないという状況になる。

(ずっと前に博が言ってた『出来ると思って動くと邪魔になる』という言葉は、こういう事だったんですね・・・)

 空は、博が視覚を失った直後の様子を語った時の事を思い出した。

(・・・それでも、やっぱり博は凄いと思います)

 彼は出来ることを次々と増やし、今では知っている場所なら健常者と変わらない行動ができるのだ。

(見習わないといけないですね。例え、期間限定だとしても)

 瞼の怪我は、1週間くらいで包帯は取れると言われている。けれど、何か出来ることがあるならやりたいと思う空なのだ。


 翌朝9時ごろ、夜間外出をしていたジーナがメインルームに帰ってくると、そこには空が1人でポツンと座って待っていた。

「・・・お帰りなさい、ジーナ。朝帰りですね」

 そう声を掛ける空の恰好は、出動時に身に着ける黒のホルターネックだった。肩と背中の肌を思い切り露出している。

 昨晩、部屋に戻ってから少し検証してみたのだ。


 昨夜少し早めに部屋に引き取った空は、ビートを相手に自分の触覚、つまり肌の感覚を確かめてみた。

「ビート、普通の声で鳴いて下さい」

 《 ・・・クワァ 》

「・・・これだと音の振動は解らないですね」

 空は着ていた白のシャツを脱いで上半身下着だけの姿になると、再びビートに声を掛ける。

「もう一度、お願い」

 《 クワァ 》

「・・・ん、これなら・・・」

 音の振動が解る気がする。空は肌の感覚に集中するように、その感度を上げた。

「もう一度」

 《 クワァ 》

「この状態なら、音もある程度感知できますね・・・」

 そこでつい、もう少しはっきり解らないものかと更に肌の露出を上げてみる。つまり下半身も下着姿になってみたのだ。

 案の定、感度を上げ面積も増やしたことで、ビートの小さな声も祖に振動が解るようになる。

(・・・流石に言葉は解りませんが、声を掛けられていることだけでも解れば)

 リビングスペースにいても、多少は迷惑度合いも下がるのではないだろうか。

(まさか、この格好で出勤するわけにはいきませんから・・・)

 せめて肩と背中を出して行こう、と思った時、部屋のドアが開いた。


 入ってきたのは、早めに部屋に引き取った空を案じて、急いで仕事を終わらせて来た博だった。

「・・・何をしているんですか?」

 アイカメラの情報で、空の姿を確認した彼は、彼女には聞こえないと解っていても、つい呆けたような口調で尋ねる。

「・・・あ、お帰りなさい・・・」

 何を言われているかは内容は解らないが、ドアの開く空気の流れと彼が発した音は解る。

 そして、現在の自分の恰好に気づき、慌てて脱いだ服を手探りで探し始めた。

「・・・すみません、お見苦しい格好で・・・」

 けれど博は満面の笑みで足取りも軽く近づくと、ブラとショーツだけで立つ空の身体を抱きすくめた。

「いやぁ、嬉しいですね~~」

「えっ?」

 彼にしてみれば、仕事を終えて帰りドアを開けた途端、新婚アツアツの妻が『お帰りなさい、ご飯にする?お風呂にする?それとも、ア・タ・シ?』と出迎えるシチュエーションと同じようなものだ。

「待っていて貰えたのかと思うと、抑制なんて効きませんよ」

 博の言葉は全く聴こえないが、何だか誤解をされているらしいことは解った空である。

「あ、あの・・・・これは・・違・・」

 事情を説明しようとする彼女の言葉は深いキスで遮られ、そのままソファーに押し倒されてしまう。

 その後の状況は、まぁ、いつもの流れである。場所が寝室のベッドから居間のソファーに変わっただけだ。とは言え、色々と新鮮なシチュエーションなのかもしれない。


 翌朝になり、色々と誤解はあったが、肌面積を増やし皮膚感覚に集中していれば、ある程度のコミュニケーションは取れると解った空は、肩と背中を出した服を中に着てメインルームに出勤した。

 そして捜査官たちが、例の『mantis』ドローンの件で全員が外出すると、上に羽織っていた白いシャツを脱いで留守番をしていた。

 博は彼女を1人残していくのを心配したが、行き先は近くの警視庁だし、1時間もかからずに帰ってこれるだろうと予想して出て行った。

「あ~~タダイマ。ちょっと遅くなっちゃったわ・・・皆はもう仕事に出たの?」

 メインルームに入って来たジーナは、どこか艶々とした顔を見せながら室内を見回して問いかける。

「はい、例のドローンの件で。でも、博と春はもう直ぐ戻ると思います」

 そんな彼女の答えに、ジーナはしげしげとその服装を見て近づいてくる。

「まさか、もうトレーニングしようとか思ってるわけじゃないわよね?」

 包帯だらけの見た目で視覚も聴覚も無い状態で、流石にそれは無いだろうと思うが、一応聞いてみるジーナだ。彼女の言葉は解らないが、言っておいた方が良いだろうと判断し、空は肌を出している事情を説明した。


「ふぅん・・・なるほどねぇ・・・」

 彼女の説明に納得はしたが、どの程度察知できるようになっているのだろうと思ったジーナは、彼女の背中にそっと人差し指をあて、つつぅ~と撫でおろした。

「ぅひゃんっ!」

 その瞬間、空の背中が仰け反り、間抜けな犬の悲鳴のような声が上がった。そしてパッと手で口を塞いで立ち上がると、肩で息をしながらジーナに伝える。

「す、すみません。お聞き苦しい声が出てしまいました。・・・皮膚感覚がフルオープンな状態なので、悪戯でも触らないでいただけると助かります」


 包帯が無かったら、きっとその目は潤んでいただろう。そんな事を思いながら、とりあえずジーナは空の手を取って掌に『ごめんなさい』の文字を書く。そんな刺激にも声が出そうになって、空は何度も深呼吸して状態を整える羽目になった。

(留守番くらいはちゃんとしたかったんですが、感覚の切り替えに時間が掛かるのが難ですね)

昨晩も、肌感覚を上げている状態からなかなか戻れず、敏感に超が付くような状態で彼に抱かれ、あっという間に意識が飛んでしまったのだから。


 諦めて再びシャツを羽織った空に、ジーナは面白そうな視線を投げていた。


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