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空 Atmosphere  作者: 甲斐 雫


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13/16

13 雑居ビル

 空は支局を出ると、先ずは薔子に連絡を入れる。ゲンを通じて『シラヌイ』に関する情報がもっと得られればと思ったのだ。その結果、幹部に限らず構成員たちが顔を出すような店や場所などを、数は多いが全て聞くことが出来た。空は片っ端からそこに向かい、リーダーとブレーンが居そうな場所の手掛かりを探す。そして、その合間に支局に連絡を入れ、捜査の進捗状況や最新情報を入手した。


 情報を求めて、ゲンから聞いた場所を片っ端から回って夕方になり、空は一旦車を停めてもう1度彼と連絡を取る。そもそも長い間捜査官たちが調べてきた『シラヌイ』の機密情報を、そう簡単に探り出せるはずもない。それで空は、やらずにはいられなかった。

 ゲンによると、相変わらずリーダーとブレーンの居場所は解らないが、それ以外の幹部の呼び名が解ったという。「ワーカー」「セールス」「ウェルフェア」と言うらしい。現在逮捕されずにいる№3は、ウェルフェアと呼ばれているそうだ。

 そしてそのウェルフェアは現在とても忙しく、それこそあちこちを飛び回っているらしい。


 空はそれを聞くと、支局に連絡を入れ情報交換をする。支局は、博を拉致した車の行方と目撃情報を中心に捜査していたが、それが黒のセダンであることとそのナンバーが解り、逃走した方向も明らかになっていた。小夜子は警視庁の方に詰めていて、そちらで情報収集をしているという。空は、更に車の行方を追うことと、№3であるウェルフェアについての捜査を頼み、スマホを置いて大きく息をつく。


 幹部たちの呼び名は、№3から下と、№1であるリーダーや№2であるブレーンの間に大きな隔たりがあるような気がする。ワーカーは働き者とか労働者の意味だし、そうするとセールスは営業で、ウェルフェアは福祉だ。元々の職業から付けられた呼び名なのかもしれないが、トップ2人が組織の運営に関わるのならば、№3以下は幹部とは言っても、会社で言えばせいぜい部長クラスなのだろう。


 ウェルフェアの指揮で博が拉致されたと考えられるが、指示したのは当然リーダーとブレーンだろう。そして彼らは、直に情報を得るため博を手元に連れて来させていると考えられる。おそらく、黒のセダンの逃走方向から左程遠くない場所に居るのではないだろうか。

 これで、今後の捜査対象が大分絞られてきた。


 得てして犯罪集団のトップは、自らの手を汚さずに邪魔者の始末をつけるものだ。『シラヌイ』のリーダーとブレーンも、国外逃亡に当たって自分たちで博を始末するとは考えにくい。死体の処理も含めて、それは№3とその部下たちに実行させるだろう。

 けれど№3、ウェルフェアを見つけて後を追っても、間に合わない可能性もある。出来れば彼の行き先を事前に知って、先回りしたいところだ。

 しかし、それには情報が足りない。それまでは絞られたとはいえまだ数多く残る、博が居るかもしれない場所を虱潰しに当たってゆくしかない。


 空はスマホの充電をしながら、車の中で軽く目を瞑った。

 彼の笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。

 もし彼を失ったら、自分はどうするのだろうか。想像すらしたくないその先は、きっとただの暗闇なのだろう。するべき事を失って、何もなかった空っぽのあの時よりも、もっと苦痛に満ちた空虚な世界になるに違いない。

 そこまで考えて、空はブルっと頭を振った。

(ジッとしていると、ろくなことを考えないです・・・)

 空は再びハンドルを握り、次の目的地に向かって走り出した。


 翌朝まで、休むことなく捜査を続けた空は、もう1度支局に連絡を入れてみる。早朝だったが、春はもうPC前でスタンバイしていたようだ。他の3人も、既に支局を出て捜査に入っているという。情報交換をした結果、更に捜査対象の場所は幾つか絞られたが、それでもまだ数が多い。

 明後日の朝までに、彼を救出しなければならないが、果たして間に合うのだろうか。救出に要する時間を考えると、出来れば明日の夜には場所を特定しておきたいところだ。


 空は停めた車の中で、大きく息をついた。

 焦っても碌なことは無い。そう自分に言い聞かせても、じわじわと経過する時間が恐ろしいほど気持ちを急き立てる。

 けれどもう24時間行動し続けている身体は、疲労を訴え睡眠を欲していた。元々空腹を感じない体質なのは助かるが、少し瞼を閉じただけで寝てしまいそうだ。この状態では、車の運転も危なくなる。

 けれど、時間は1分1秒でも惜しいのだ。

 空はポケットから、研究室(ラボ)から持ち出した薬の容器を取り出した。


『SWP』・・・Super Wakeup Powder 

 白く小さな結晶の粒は、1つで0.1gになっている。その名前の通り、要は目覚まし用の薬剤だ。常習性は無いので、いわゆる麻薬系には分類されていない。カフェイン・ガラナ・アルギニンが主成分でそれらの効果が最大限に作用するような触媒成分が含まれている。僅か1粒で、それこそ24時間全力で働けますと言われるほどの効果がある。

 けれどそれは、FOI本部から研究室(ラボ)にサンプルとして送られてくるような代物なのだ。

 ある意味、危険物と言って良い。


 空はそんな白い粒を、迷わずに舌の上に乗せた。

 そしてスマホに、現在の時刻と摂取した量を記録しておく。

 酷く甘ったるい香りが鼻に抜けると、頭と体がクリアになる感覚がした。

 唇を噛み締め背筋を伸ばすと、空はまたハンドルを握って車を走らせる。

 残り48時間以内に、彼を必ず見つけ出すと決意しながら。


 そして更に24時間が経過した。

 №3ウェルフェアは、その間に捜査官たちが発見し現在は真と豪が見張っっているが、朝方帰って来て自宅に籠っているという。おそらく次の仕事に備えて休んでいるのだろう。

 この24時間これと言った収穫は無く、入ってくる情報が間違いだということを確かめたに過ぎなかった。けれど、それらをないがしろにすることは出来なかった。万が一ということもあるのだから。徒労に終わるかもしれないと思っても、空は自分に休むことを許さない。

 既に摂取した『SWP』は4粒になっており、間隔も短くなっている。残りの数を数えて、空は更に不安になった。これが無くなっても、彼を発見できなかったらどうすれば良いのだろう。


 その日、日中はこの夏の最高気温を記録していた。

 警視庁でその職歴を生かし、FOI局長の拉致誘拐事件としてそれに使われた黒のセダンの捜査を続けていた小夜子から情報が届いた。

 乗り捨ててあったその車が見つかり、盗難車であることが解ったという。

 春は、拉致現場である支局前から、監視カメラによる逃走ルート、そして車の発見現場を繋いだ。その途中のどこかで、博は車を下ろされている筈だ。そして得られた結果を、捜査官全員に送った。

 春は支局のミーティングスペースで、ふぅと息をつく。これまで色々と、目星を付けたり思いついたりしたことは、あらかた調べつくしたような気がする。他に何か、調査することは無いだろうか、と画面から視線を外し窓の外を見た。

(今日は、ホントに暑そう・・・エアコンの稼働率凄いだろうなぁ。電力大丈夫かな・・・)

 そんな事を思った時、ふと閃いた。


 春から情報を受け取った空は、頭の中に地図を描く。そのルート上で、今までに調べた場所を削除し、その上でまだ捜査していないところを思い浮かべた。

 そして更に、情報には無かったが怪しそうな場所を考える。

(・・・大丈夫。まだ頑張れます)

 だから、どうか無事でいてください。

 強く祈りつつ、空はまた車のハンドルを握った。


 そしてその日の夕方、空のスマホに支局から情報が入る。春からだった。

「昼間の連絡で送ったルート周辺で、空き家の筈なのにエアコンが稼働している場所を、小夜子さんを通じて警察に調べて貰いまいした。ビルの場合は、電力メーターの動きを見て貰ったところ、空き家が2軒、雑居ビル1棟がヒットしました。場所の地図を送ります」

 既に陽が落ちかかっている。焦燥感と不安に押し潰されそうだった空だが、この知らせを聞き自分にカツを入れる。直ぐにまた、真から連絡が来た。

「こっちからだと空き家の方が近い。ウェルフェアの方は放っておいて、俺たちはそっちから回る。空の方は、雑居ビルを頼む」

 空は直ぐに承諾の返事を送り、車を発進させた。


 その雑居ビルは、繁華街の片隅にひっそりと建っていた。

 周囲は平屋の店舗が並んでいて、営業しているものもちらほらあるが、どれも築年数はかなり古そうだ。空はそんな雑居ビルの周囲をグルっと1周し、侵入できそうな場所を探す。ビルは4階建てだが、周囲にはそれ以上高い建物は無い。

 4階の窓にはシャッターが下りていたが、その隙間から細く漏れる灯りを、空の眼はしっかり捉えた。


 ビルの壁面には取っ掛かりになるそうな場所は無く、屋上に上がるのは不可能だった。出入口は表と裏にあったが、表の方はドアとシャッターに板が打ち付けてあって、そう簡単に入れそうにない。裏口の方は小さなドアで、鍵はピッキングで開けられたがドアの向こうに大きな板が立てかけてあり、更にその奥に段ボール箱が積み上げてあった。中からなら移動させて通行可能になるが、外からは入れないようにしてある。


 雑居ビルの1階には、以前は飲食店が入っていたらしい。ビルと隣の家屋との間には、やや広めのスペースがあって、そこに排気用のエアダクトがあった。空は侵入する場所をそこに決め、1度車に戻るとトランクの工具箱から細いロープとバールを取り出す。

 エアダクトの真下にある配管にロープの先端をしっかりと結び、空は反対の端を自分の腰に巻いた。万が一途中で動けなくなったら、戻って別の方法を考えなければならないからだ。

 そして髪を束ねバールを腰に差すと、空はダクトの開口部に潜り込んだ。


 エアダクトの内部は煤と油でベトベトに汚れていて、指さえ引っかからない状態だったが、お構いなしに空は身体を進める。水平部分はかなり厄介だったが、ここ数日で痩せたらしい身体も幸いして、曲がっている場所も何とか通り抜けられた。少し下がっている部分は滑るように進み、やがて出口らしきものにぶつかる。そこは予想した通り大型の換気扇に塞がれていたが、空は持ってきたバールを使って壊し、腰のロープを外すと、調理場だったらしい室内に落ちた。

 かなり大きな音がしたが、4階には聞こえないだろう。落ちた時に打ち付けた体は痛かったし、顔も髪も油と煤で真っ黒だ。服も同然だが、壊した換気扇の隙間から落ちた時にかなり破けてしまっていた。


 空は床に座り込んで、呼吸を整える。

 会いたい、彼の顔が見たい、ただそれだけが行動の支えになっていた。

 下水道の水から出て来たドブネズミのような姿だったが、空はそのまま廊下に出て、静かに階段を上がって行った。


 4階まで上がると、廊下は真っ暗で幾つかのドアがあったが、その1つの隙間から明かりが漏れている。廊下の先に小さな窓があり、そこだけが僅かに明るい。

 ふと、空は空気の中に懐かしい匂いを感じた。

(・・・博の匂いです)

 間違えるはずなど無い、どれほど微かでも解る、大切な人の匂いだ。

 空は開いていたドアの中に身を潜めると、真に連絡を入れた。

 真たちは既に空き家2件の捜査を終え、雑居ビルの方に向かっているところだという。

 あと少しで着くし、警察も近くまで行っている筈だ、と真は答えた。


 その時、灯りが漏れるドアがそっと開けられた。

 室内からの灯りに廊下がサッと明るくなり、1人の男が出て来る。

 チェックの開襟シャツを着て眼鏡をかけたその男は、直ぐにドアを閉め、廊下の小さな窓に歩み寄ると外を窺う。そして遠くを見るような様子を見せると、急いで踵を返して室内に戻った。


 空は油でぬめる手を床に擦り付けると、ヒップホルダーから銃を引き抜き、両手で構えてドアの陰から廊下を窺う。

「急げ!もうそこまで、パトカー来てるぞ!」

 声と共にドアが開き、室内の灯りを背にした男が2人廊下に飛び出してきた。

 1人はさっき廊下に出て来た眼鏡の男で、もう1人は白いTシャツ姿の大柄な男だ。おそらく彼らが、リーダーとブレーンなのだろう。小さなバッグだけを持った男たちは、空の眼の前を駆け抜けてゆく。

 その足を狙い、空は2度引き金を引いた。


 男たちの悲鳴と、階段を転げ落ちてゆく音が聞こえた。

 そちらには一瞥も与えず、廊下に出ると開け放たれたドアに向かって走り出す。

 けれど、数歩足を進めた途端、ガクンと膝が折れた。

(ここでっ!)


 少し前から、『SWP』の効果が切れそうな気配はしていたが、まさかここで来るとは思わなかった。

 そのまま前のめりに倒れ込むが、起き上がれそうな力は残っていない。

 空はポケットから、白い粒が入った容器を取り出す。中に残っているのは、あと1粒だけだった。

(これを使えば・・・)

 もう1度立ち上がって、彼のところに行ける。けれど、そうすると・・・


 空はそれまでに、もう6回『SWP』を使用していた。本部からサンプルと共に届いたデータによると、動物実験でも、実際に使用した人間の治療カルテでも、連続使用については3回分までのものしかなかった。それらを考慮して、空は6回が限度だと推察している。それ以上は、身体がもたないだろう、と。


 使いたい、と空は思った。

 あのドアの向こうに行って、彼の様子を確かめたい。傍に行って、顔を見て、彼に触れたい。

 空は廊下に倒れたまま、容器の蓋を開けようとする。

 その時、室内のエアコンで冷やされた空気が、床を滑って空の頬に触れた。


 微かな風に含まれる匂いは、そこにいて呼吸をしている生きた彼の匂いだ。

 空の手が、一瞬止まった。

(・・・今すぐ会いたい・・・けれど、これからもずっと・・・傍にいたい・・・から)

 容器の蓋に掛かっていた手が滑り落ち、頭が床にコトンと落ちる。

 闇の中に落ちてゆく意識の中で、空は床から伝わってくる振動を拾った。

 あれは、真と豪の足音だ。空はきつく唇を噛み締め、あと少しだけと意識を繋ぎとめた。


 階段を駆け上がって来た真は、途中で足を抱えて唸っている男たちを豪に任せ、一気に4階に到達する。そして廊下に転がっている空に駆け寄った。

「・・・博を・・」

 彼女はドアの向こうを指さして、彼を先に、と促す。

 真はその言葉に従って室内に飛び込み、直ぐに廊下に向かって声を上げた。

「大丈夫だ!眠ってるだけだ!」

 男たちが傍を離れた瞬間に、博は椅子に縛られたまま、意識を失うように深く眠ってしまったのだろう。真は彼の縄を解き床に寝かせると、再び空の元に戻る。

「安心しな、アイツは無事だから・・・って、おい!空っ!」

 煤と油で汚れ切った空の身体を抱き起そうとして、真はギョッとした。


『SWP』の連続使用の効果が切れ、その反動が来たのだろう。

 黒く汚れた顔は、頬がこけ、眼窩が落ちくぼみ、肌は土気色になっている。美しく整っていた顔は見る影もなくなり、腕から手にかけては枯れ木のような有様だった。

 そんな彼女の手から、コロンと小さな音を立てて容器が転がり落ちる。

 真はそれに気づき、容器を拾い上げてポケットに入れると、スマホに向かって連絡を入れた。


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