12 72時間
違法ドローンの製作者、虫辺奏文は重症ではあったが命に別状は無かった。
彼が大事に抱えていた紙袋の中身は、世界各国から彼が集めたカナブンの標本だったらしい。空と対峙したチェーン使いの男は、その事を知らなかったと見える。
そんな虫辺は、やはり精神に異常をきたしていた。虫とドローンに関することだけには反応し、会話に応じるのだが、それ以外の事には頑なに口を閉じてしまう。黙秘と言うわけでは無く、完全に関心が無いようで、視線を彷徨わせて薄笑いを浮かべるだけだった。だからこそ、彼は1番大事なものを抱えて、状況も解らないまま2階の窓から飛び降りたのだろう。
ただドローン研究に関しては、彼は重要な事を言葉にした。
「・・・僕の可愛いドローンたちは、全部持って行かれちゃったんだ」と。
「虫辺奏文に何があって、何故彼がああなったのかは解りません。その辺りは警察が調べてくれるでしょう。現在解っていることは、彼が作ったドローンが全て、『シラヌイ』の手に渡っていて使い方も知られている、ということです」
支局に戻って来た捜査官たちは、直ぐにミーティングを始めていた。
警察からの連絡で、虫辺から得られた情報は全て支局に伝えてもらうよう手筈は整えてある。
「いずれ、色々と解ってくるとは思いますが、今回の一件は、春のお手柄ですね」
博の言葉に、眼を真ん丸にして驚く春だが、メンバーはそんな彼女に暖かい拍手を送った。
「しばらくは、まだ『シラヌイ』の動向に注意しないといけません。捜査の方は、続行しましょう。あ、それと報告ですが、以前から本部に申請していた研究室の拡張の許可が下りました。4階の貿易会社の空き倉庫を、工学系の研究室兼実験室にリフォームします。豪を管理者にしますので、よろしくお願いします。明日から工事が始まりますが、使いやすいようにしてもらって構いませんから、必要な機器類もドンドン注文してください」
豪が跳び上がって喜んだのは、言うまでも無かった。
「あと1つ、実績が認められて、ここの捜査官の定員が6名から8名に増えました。まだまだ規模の小さな支局ですが、今後本部からの依頼も増えそうなので助かります。これから希望条件などを向こうに伝えるところですが、心づもりだけしておいてください」
『シラヌイ』に関しては、明日以降情報が増えていけば、やるべきことも確かになってゆくだろう。
博はミーティングの終了を告げた。
数日後の夕方、仕事がひと段落した空は、リビングスペースの窓辺に立って外を眺めた。視線を下に向けると、広場のベンチに座って支局のビルを見上げている薔子がいる。
空はそれを博に告げると、彼は以前彼女から渡されたカードにある連絡先に電話を入れてみたらどうか、と言う。空は早速スマホを取り出した。
「薔子さん?空です。今、下を見たら貴女が見えたので・・・」
「わぁ、空さん!嬉しい!なかなか連絡が来ないから、どうしてるのかなって思ってた。ホントにFOIの人なのかなぁ、とも思ってたんだ」
それで、ビルの下まで来て見上げていたのか、と納得するが、『シラヌイ』の件もあるので少し心配になる。けれど、彼女にどこまで話したら良いのだろうか。
すると傍で聞いていた博は、通話を替わるように囁いた。
「替わりました。高木です」
「え?ああ、局長さん」
「出来れば博と呼んでくださいね。実は現在、うちの支局はちょっと狙われていましてね、僕らと関係があると薔子さん達にも危険が及びそうなので、出来ればさり気なくそこから離れてくれませんか?」
「ん・・・オッケー。狙われてるの?誰に?」
薔子はさり気なくベンチから立ち上がり、そのままショッピングモールの方へ歩き出した。頭の回転が速いのだろう、世慣れている雰囲気がある。
「・・・『シラヌイ』って、知っていますか?」
博は少し考えた後、徐に尋ねた。『シラヌイ』は新しい犯罪集団で、構成員も若い者が多い。薔子達なら何か知っていることもあるのではないか、と思ったのだ。
「知ってるわよ、有名じゃない」
薔子はあっさりと答えた。
若者たちの間では有名なんですね、と博は自分の年齢を思い知ったような気分になる。
「うちのグループでも、たまに話題になってるもん。ゲンが詳しいみたい。あ、ゲンってあの火事の時に助けてもらった3人のうちの1人よ。後で来ると思うから、聞いといたげる。こっちから電話してイイ?」
薔子は、役に立てるのが嬉しいようで、弾むような声で言う。
「ええ、待っていますね」
博はそう言って通話を終え、スマホを空に返した。
そして数時間後、薔子から連絡が入る。
「あ、空さん?薔子です。ゲンに聞いたら、従兄が『シラヌイ』にいるんだって。替わるから、直接話してみて」
空はスマホをスピーカーにし、博と二人でゲンの話を聞いた。
「ゲンです。え・・・っと、あの時は助けていただいて、本当にありがとうございました」
スマホの向こうで頭を下げているような、誠意の籠った言葉だった。博は、以前会った時と雰囲気が違うと感じる。
「いえいえ、お気になさらず。それより『シラヌイ』の事を教えて貰えますか?」
そんな博の言葉に、ゲンは張り切って話し始めた。
ゲンの従兄は、『シラヌイ』の中でも中堅どころらしい。以前のゲンは荒れていて、進路もろくに考えず、その従兄に「卒業したらオレも入りたい」と言ったらかなり詳しいことを教えてくれたのだという。
先ず、トップに『リーダー』、№2に『ブレーン』と呼ばれる男たちがいるが、この2人は全く表に出て来ず、どうやらかなり親しい間柄らしい。
『ブレーン』と聞いて、博と空は一瞬眉を顰めた。『ブレーン』=『Brain』であのBBを思い出したのだ。頭脳派、と言うのは嫌な思い出が多い。けれどあれは、もう終わったことだと頭を切り替えた。
そして№3から№5は、中堅クラスの構成員たちには顔を見せているらしい。けれど、そのうちの№4と№5は、現在警察に拘留中だという。
未だに黙秘を続けている豪の拉致事件と虫辺製作所での一件で捕まった男たちのうちの2人が、幹部だったのかと博は新しい情報に喜んだ。
「ゲンさん、ありがとうございます。とても助かります」
そんな博の言葉に、ゲンはスマホの向こうでひたすら恐縮しながら喜んでいるようだ。
「オレ、あの時助けて貰って、何か生まれ変わったような気がしたんス。ホント、死んだと思ったのにこうして生きていられるんなら、やり直してみっかナって。誰かの役に立ってみてぇって」
「そうですか、頑張ってください。きっと大丈夫ですよ。ところで、何か最新の情報はありませんか?」
ゲンは、ありがとうございますと言って少し考えると、ハッと思い出したように答えた。
「先月、その従兄に会ったんだけど、何か『シラヌイ』は拠点を移すって言ってました。幹部が一気に減って、日本じゃやりにくくなったとかで、リーダーとブレーンは東南アジアのどっかに行くって。従兄もそれを追っかけて、海外に行くようなコト、言ってました」
国外脱出!
博と空は、一瞬顔を見合わせた。確かに今のうちなら、彼らが外国に行くことは可能だろう。
「それがいつ頃になるのか、正確な月日は解りますか?」
「う~~ん、9月の頭ぐらいらしいけど・・・そんじゃ、今晩にでも従兄に会って聞いてみます」
「くれぐれも、危ない真似はしないでくださいね」
「大丈夫っス。オレ高3で、9月になったら進路を学校に提出しなきゃ、なんです。なので、その相談ってことにしますから。解り次第、薔子を通じて連絡します」
ゲンはしっかりした口調でそう告げると、スマホからの声は薔子に替わり、それじゃあまたねの言葉と共に通話は終わった。
そして翌日、再び連絡が入り、『シラヌイ』のリーダーとブレーンは5日後の午前中に成田を発つと言うことが解る。
海外に出られてしまうと、色々と面倒なことになる。おそらく№3は後に残って、手元のドローンをリーダーたちの元へ送ってから、自分もそちらに向かうのだろう。
捜査官たちは、少々焦りだした。
とにかく、そのリーダーとブレーンの居場所が解らないことには始まらない。捜査官たちは、それぞれの得意分野で何とか彼らを見つけ出そうと頑張るが、特に情報も得られないまま翌日になった。
朝のミーティングを終えると、博は1階の受付から来客を告げられる。アポは無かった筈だが、と思いながら受付にいるのが男性の老人だということを知らされると、博は1人で1階に降りてゆく。
ところが待っていたのは、どうやら多少認知症を患っているらしい男性だった。彼は博の姿を見つけるとそそくさと近寄り、受付前で何やら切々と訴える。無下にも出来ず、受付嬢と2人で何とか対応しているうちに、かなり時間が過ぎてしまった。ようやくその老人の連絡先が解り、施設から迎えが来ることになってひと安心したが、それまで受付嬢1人に彼を任せておくこともできない。博はしばらくそこにいることにするが、そんな時自動ドアが開いて幼児が1人入ってくる。
(・・・老人や子供が入りやすい日なのでしょうか)
「お菓子、ちょうだい」
ちょっとモジモジしながら言う幼児に、博は苦笑いを浮かべ3歳くらいのその子を抱き上げた。
「どこから来たのかな?ママかパパはどっちですか?」
優しく問いかけると、女の子は外を指さす。アイカメラで見れば広い道路の街路樹の辺りに、必死に子供を探しているらしい女性の姿があった。
博は子供を抱いたまま外に出て、AIの言葉に従って母親らしい女性に近づくと子供を渡す。
その時背後を通り過ぎる男が、いきなりスタンガン型の麻酔銃を彼に押し当てた。博は咄嗟に対応することも出来ず、街路樹の陰に停車していた車の中に運び込まれ、そのまま姿を消した。
その様子はロビーにいた受付嬢が見ていて、彼女は直ぐにメインルームに連絡を入れる。全ての捜査官が急いで1階に降りて外に出るが、博を拉致した車は影も形も無かった。
おそらく『シラヌイ』はずっとFOIのビルを見張っていたのだろう。道路からも見える受付ロビーに局長の姿を見つけた時、何とか外におびき出そうと考え、母親の眼が離れていた幼児に、あのビルの中でお菓子が貰えるよ、とでも言い含めたのだろう。そして子供を抱いて出てくる彼を待ち受けた。
出てくるかどうかは、賭けだったのだろうが、チャンスを作りたかったのだ。そして、その思惑はまんまと当たったことになる。
メインルームに戻った空は、メンバーに告げる。博が居ない今、指揮権は彼女にあった。
「私は今から、単独捜査に入ります。博が見つかるまで戻りませんので、私が出て行った後の指揮権は真に移ります。相互連絡を頻繁に取るようにしますので、全力で彼の捜索並びに『シラヌイ』のリーダーたちの居場所の特定を進めてください」
自分には、博のような指揮能力が無い事は知っているし、何より冷静に事を進めることはできないだろう。自分の身体能力を考慮し、ジッとしていられない気持も手伝って、外に出て動くことを選んだ空だった。
「彼らが国外逃亡するのは、3日後です。おそらくそれまでの間、彼らは博から出来るだけ多くの情報を得ようとするでしょう。そして最後に、彼を始末して逃げるのではないかと思います」
相手から情報を得るために取る方法の1つは、自白剤を使うというものがあげられるが、世間で思われているほど、この類の薬剤の効果は低い。意識を朦朧とさせ、嘘をつくような思考を消すという程度のもので、得られる情報の信憑性には疑問が残るものなのだ。
しかも今までの調査で、『シラヌイ』は機械工学系には力を入れているが、薬物系にはあまり手を伸ばしていないだろうと推測されていた。スタンガン型の麻酔銃の中の麻酔薬や、『centipede』の中にあった強酸性の薬物も、容易に入手できるものだということが解っていた。
そうなると、意識を朦朧とさせるためなら、自白剤等を使うより容易な方法がある。相手を寝かせない、ということだ。人間は48時間以上睡眠をとらずにいると、個人差はあるが、かなり朦朧とした状態になる。おそらく『シラヌイ』のリーダーとブレーンは、国外逃亡の準備をしながら交替で彼を見張り、寝かせないようにして情報を得ようとするだろう。
空は、そんな風に説明をすると、だからと言って博の身が安全ではない事を言い足す。
「今から72時間以内に、必ず博を救出します」
きっぱりとそう告げると、空は装備品を持ってメインルームを出て行った。
真はあからさまに眉を顰めたが、それは彼女が何をするかが不安になったからだ。けれど、捜査官たちは急いで自分たちがやるべきことに取り掛かる。真もそうする以外に方法は無かった。
空は部屋に戻り、動きやすく目立たない服装に着替えると、ウィップと銃そしてスマホを含めた必要品を小さめのポシェットに入れて斜め掛けにする。ビートに暫く帰れないと告げ、急いで自分が管理者である研究室に向かった。
研究室の中の薬品棚には、本部から送られてきたサンプルが並んでいる。空はその1つに手を伸ばすと、掌に包み込めるくらいの小さな容器にそれを移し替えた。そして空は、その容器を黒のパンツのポケットに押し込む。
空は決意を湛えた瞳を前に向け、車のハンドルを握ると支局を後にした。