11 虫の名を持つ男
山中の事件は、後から追いついた警察が後始末を行ってくれたので、捜査官5人は乗って来た2台の車に分乗して帰局する。
真がハンドルを握る車内では、後部座席で博が空を抱きかかえて溜息ばかりつくものだから、車内は暗い雰囲気が漂っていたが、小夜子が運転する車の中では、豪がドローンを抱えてニコニコしているという妙に明るいムードになっていた。
そんな真逆な雰囲気の車2台が帰局して、やはり同じように両極端なムードの部屋が2つ出来る。
タフな豪は、あんな出来事があったにも関わらず、心底嬉しそうに手に入れたドローンの研究に徹夜で取り組む。部屋の灯りは一晩中つきっ放しだった。
医務室で手当てをしてもらい、ふみ先生から許可を貰って部屋に帰った空だが、静脈とはいえ太い血管を1本切ったのだからと左腕を三角巾で吊った状態だ。
そんな彼女の姿に、つい博は愚痴っぽくなってしまう。
「今回は豪も一緒だし、あまり心配はしていなかったんですけどねぇ・・・」
「・・・ごめんなさい」
(でも、出来れば文句は『シラヌイ』の方に言っていただけると・・・)
空は心の中で、そんな事を思ってしまう。
どちらかと言えば、博の言葉は文句と言うより愚痴なのだが。
「追手を引き付けるためとはいえ・・・他に方法は無かったんですか?」
つい、そんな事を言ってしまう博だが、無理を言っていることは百も承知だ。
「・・・他の方法も1つ、頭を過ったのですが」
「え?」
空の返事に、それは何かと聞いてみたくなる。
「あの時は持ち物が殆ど無かったので、服を1枚ずつ置いて行くのはどうかな、と・・・」
博は、その状況を想像してしまった。
山道に点々と、女性の衣服が落ちている。今は夏だから枚数は多くないだろう。最後は当然、下着になるわけで・・・そりゃ、男なら誰でも追いかけたくなるだろうが。
そんな博の想像などあずかり知らぬ空は、真面目な顔で言葉を続ける。
「でも、却下しました。脱いでいる時間はありませんでしたし、裸で森の中を移動するのもどうかと思ったので」
多分、身体中が擦り傷と引っかき傷だらけになるだろう。裸同然の姿で自然の中を動く方々は、大丈夫なのだろうかと思ってしまう。多分、皮膚自体が驚くほど丈夫なのではないだろうか、とも。
「う~~ん・・・」
博は思わず唸ってしまった。大怪我とかすり傷なら、当然後者の方が良い筈だが・・・
考えても仕方がない、と思考を放棄した博は、取り敢えず怪我に障らないよう彼女の身体を抱きしめることにした。暗い雰囲気は、一旦消えたので、それだけは良かったのかもしれない。
そして翌朝、ミーティングが行われた。
豪は寝不足で眼を真っ赤にしながらも、気分が高揚しているのか元気溌剌だ。
「昨日は、色々とお世話になり、すみませんでした。先ず、サービスエリアでのことから報告します」
豪は拉致された時の事を全員に報告する。すると春が、警察から届いた連絡を追加して、幾つかの事が明らかになった。
一軒家に残されていた連絡用のノートパソコンとスタンガンのような物は、警察が押収していた。連絡によると、男3人は『シラヌイ』の構成員であることは間違いなく、今は警察病院の方にいるが、余罪もありそうなので勾留して取り調べを行う予定だという。
「あれは、スタンガンではありませんでした。一見そのように見えますが、多分高圧によって短時間で注入できる麻酔銃のようなものではなかったかと思います」
豪は、半袖ポロシャツから覗く腕を見せながら付け加える。そこには針が刺さったような跡が、赤く残っていた。市販のものでは無く、どこかでこっそり開発された物だろう。
そして彼は、昨晩時間をかけて調べたドローンについて報告をした。
「ムカデ『centipede』の名が機体についた小型ドローンですが、機体に液体タンクが搭載されていて、中に強酸性と思われる液体が入っていました。それを噴射するタイプのドローンだと思われます」
強い毒を持つ虫、ムカデの名に相応しい性能なのかもしれない。
「液体については、本部に送って調べて貰おうと思いますが・・・」
「それなら、ここの研究室でもできますが」
豪の言葉に空が口を挟んだが、それを追うように小夜子から厳しい声が上がる。
「空!左腕、安静っ!」
確かに設備的には可能だが、分析をするのは管理者である空以外にはいない。
「・・・・はい」
空はシュンとなって、身をすくませた。
厳しい保護者が1人増えたような気がする。
博はそんな彼女を見て、随分自然に感情が態度に出るようになったとこっそり嬉しく思いながら、その液体の分析は本部に任せることにする。
「搭載していたAIも完全な状態で入手できたので、それの解析は春とケトルに頼みたいと思うのですが」
さらに続く豪の言葉に、春はニコッと笑って頷いた。
「では、春、お願いします。今回の事件で、だいぶ色々な事が解ってきましたが、『シラヌイ』がこちらに対してある意味宣戦布告をしてきたという状況になっています。皆、くれぐれも注意して下さい」
博はそう言って、ミーティングを締めくくった。
どれほど仕事が忙しくても、休憩は大事だ。
春はここ数日ずっと続けてきた解析作業を一旦終わらせ、コーヒーを淹れに立ち上がる。今の時間、他の捜査官たちは全員出払っていた。春がこんな風に留守番になることが多いのは、彼女に任されている仕事内容のせいだろう。かと言って、いつもと言うわけでは無い。小夜子がメインルームで仕事をする場合も多いし、空も大抵午前中はここで仕事をしている。
けれどその日は小夜子も捜査に出ていたし、空は日本に来たドクター・ヴィクターから早速呼び出しを受けて留守だ。
春はコーヒーのマグカップを持って、リビングスペースのソファーに座った。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、頭の中を切り替えようとするが、どうしても浮かんでくるのはドローンの事だ。仕方が無いので、いっそ連想形式で別の事を考えてみようとする。
(ドローン・・・Drone beetle・・・カナブンのことよね・・・)
そう言えば、カナブンってどういう虫だったっけ?と思った春は、ノートパソコンを持ってきて調べてみる。元々虫はあまり好きではない春は、様々な画像を見て驚いた。
(カナブンって、綺麗なのもいるのね・・・)
緑と茶色のしか知らなかったような気がする、と思った時、ふと頭の中にある台詞が浮かんだ。
『カナブンって、綺麗なんだぞ!』
それは小学生の頃、同じクラスの男の子が何度も繰り返し力説していた言葉ではなかっただろうか。
春はコーヒーを飲みながら、当時の事を思い出してみる。
(・・・確か・・カナブンっていうあだ名の子だったな)
けれどそれがどんな男の子だったのかは、全く思い出せない。
(小学校のころだしなぁ。あ、そう言えば真由ちゃんと近頃連絡とってないや)
春は未だに付き合いが続く、小学校以来の友人を思い出して電話を掛けてみた。
最初は久しぶりの挨拶から始まった友達との会話がひと段落すると、春はついでに「カナブン」と呼ばれていた男の子の事を聞いてみる。
「ああ、カナブンね。私、中学と高校もアイツと同じだったのよ。仲が良いわけじゃなかったけど」
そして彼女は、知っていることを全て教えてくれた。
小川|奏文というその男子生徒は、子供の頃から虫が好きで昆虫博士とクラスメートに言われるくらいだった。奏文という名前から、カナブンと呼ばれることも彼には嬉しかったらしい。彼は高校2年の時に両親を亡くし、親戚の家に引き取られ養子になった。引き取られた先は『虫辺製作所』という町工場で、彼は虫辺奏文と言う名前に変わる。そんな苗字にも、喜んでいたそうだ。そして、大学は工学系に進み現在はその町工場を継いでいるらしい。
春の友人、真由は特に詮索もせず、そんな事を教えてくれた。
そして、近いうちにランチでもしようね、と言って春は通話を切る。
(虫辺・・・虫・・・奏文・・・カナブン・・・工学系・・・ドローン)
虫好きで工学系の進路に進む人間は、掃いて捨てるほどいるだろう。けれど何故か、春はその男の事が気になって仕方がない。春はもう1度電話を掛けなおし、真由が奏文と一緒だったという高校の名前を聞いておいた。
以前の職場で働いていた頃の春だったら、この程度の事を誰かに話したりはしなかっただろう。警視庁のサイバー捜査官の末席にいて、内気で引っ込み思案の彼女は、いつも誰かの陰に隠れるようにして発言などしたことは無かった。
けれど今の職場、FOI日本支局はアットホームで居心地がよく、春はいつの間にか自分の性格を忘れていたくらいだ。何を言い出しても、メンバーは笑ったり圧力を掛けてきたりしない。
春は、皆が帰ってきたら、世間話のついでに話してみようと思っていた。
春の話に、捜査官たちは春自身が驚くくらい食いついてきた。真は、その高校に行って話を聞いて来ようと言い出す。
「・・・いえ、そこまでの事じゃないと思うんですけど」
寧ろ春の方が、真を止めようとする。そんな春に、真はニヤリと笑って答えた。
「その虫辺って奴が何も関係なければ、面白い名前の人間がいるんだなぁってことで終わるだろ。でももし、そいつがドローン事件に関わってると後で解ったら、春自身が後悔すると思うぜ」
どのみち捜査は行き詰っている感があり、藁にもすがりたい気分でもあるのだ。
『シラヌイ』が捜査官たちを狙っていることでもあるので、ドローンのAI解析などに忙しい春と豪は作業を続けて貰うことにし、虫辺の調査は真と小夜子が行くことになった。
以前この夫婦は、一緒に拉致されたこともあったのだが、あれから2人とも随分成長している。
「まとめて拉致されないように充分気を付けるわ。真が襲われたら、私は全力で逃げるわね」
そんな小夜子の冗談に、真は是非そうしてくれと言うのだった。
高校で虫辺奏文の進学先を教えてもらい、その工科大学に直ぐに向かった2人である。行動は迅速で無ければならない。『シラヌイ』に時間の余裕を与えては、いつ準備を整えて狙って来るか解らないのだ。
そして大学では虫辺と親しかった学生が解り、連絡をつけて貰って話を聞くことが出来た。
「あ~~、カナブンね。近頃会ってないんスよ。最後に会ったのは半年くらい前かなぁ。俺も昆虫好きだから結構話が合ったんだけど、1年くらい前にアイツの家、町工場が倒産しちゃってそれから何か色々大変だったみたいなんだよね」
虫辺奏文は、それ以来大学に来ることも減り、結局は退学してしまったという。
「やっぱ経済的にも難しかったんだろうなぁ。以前は2人で、ドローンについてよく話しててサ。いずれ、そっち方面に就職したいなんて話し合ったんだ」
ドローン!
話を聞いていた真と小夜子は、思わず身を乗り出す。
「半年前、カナブンが退学届けを出したって聞いて、電話して会う事にしたんだけど、アイツすっかり変っちゃってて・・・会うのも嫌そうだったけど、無理やり呼び出したんだよ。なんかこう、滅茶苦茶暗くなってて、話も自分が町工場で自作してるっていうドローンの話ばっかりだった。何か、ヤバそうな気がしたんで、法に触れるような事はするな、って言っておいたけどなぁ」
真と小夜子の元刑事としてのカンが、虫辺奏文と言う男はかなり黒に近いと告げていた。
2人は虫辺製作所の場所を聞き支局に報告すると、直ぐにそちらに向かうと伝える。2人だけでは危険だし、虫辺を連行するならもう少し人手が必要だと判断した博は、自分と空もそこに行くと決めた。
空の左腕の怪我は、まだ完全に塞がってはいないが、三角巾は取れていて痛みも無いと本人は言う。博としてはもう少し安静にしていて欲しかったが、運転手がいないと自分1人では移動が不便なのだ。基本的に空を車内待機させることにして、2人は町工場に向かった。
虫辺製作所は、下町の町工場が並ぶ界隈の片隅にあった。錆びたトタンで覆われた小さな町工場は他にも沢山並んでいるが、シャッターを閉めているところが多い。虫辺製作所も同じように痛んだシャッターが閉まっており、その隣にある居住区に入るらしいドアも破損が酷かった。
集まった捜査官たちは辺りの聞き込みを始め、漸く見つかった住人から話を聞くことが出来た。
それによると、倒産した後も虫辺はそこに住んでいたようだが、近頃は家を空けていることが多く、家に居る時は見知らぬ男たちが何人も出入りしているらしい。けれど一昨日辺りから窓に灯りが付いているので、今は家に居るのだろうと言うことだった。
製作所から少し離れた場所に停めた2台の車のうち、1台の車内に空を残し、博・真・小夜子の3人は取り敢えず虫辺奏文を訪問することにした。
ドアにチャイムなどは付いていないので、鍵も掛かっていないドアを開けるとそこは直ぐ階段になっている。2階に向かって声を掛けるが返事はなく、博の鋭い聴覚だけが奥から届く機械音を拾った。
「中に入ってみましょう。異変を感じた、ということにして」
捜査令状も無いし、虫辺を逮捕するような証拠も無い。けれどここで引き返すことは出来ないと判断した博は、何かあったら責任を取るつもりで決断する。
3人は念のため装備を確認し、ドアの中に入った。
ドアの奥に続く階段を足を忍ばせて上がった先には、もう1つのドアがある。中の様子を窺うと、数人の気配がした。
丁度その頃、空が待機する車の横を、1人の男が手にコンビニの袋を下げて通り過ぎた。どこか荒れた雰囲気があるその男は、ジーンズの腰に幾重にも巻いた細いチェーンを下げている。
(あれは・・・)
これまで『シラヌイ』の調査をしてきた中で、何人かの幹部直属らしい構成員の情報があった。その中の1人に該当すると確認した空はインカムで3人の捜査官に連絡すると、車から出て気づかれないように男の後を追った。
(緊急事態、ということで・・・彼が中に入るのを確認したら、直ぐに車に戻れば良いでしょう)
空は、心の中で言い訳をした。
博たちは、形式的にノックをして返事も待たずに中に入る。そこには虫辺奏文と見られる男と、『シラヌイ』の構成員らしい男たちが2人いた。小夜子を戦力外だとしても、博と真で制圧できる。『シラヌイ』の男2人は突然乱入してきた2人に驚くが、直ぐに飛び掛ってきた。
4人が揉み合っているその時、小夜子がいきなり大声を上げた。
「ダメよっ!」
虫辺奏文と見られる男は紙袋を抱え、2階の窓ガラスを突き破り外の道路に落下した。
空が尾行していた男は、虫辺製作所のドアを開けるところだった。
そこに、ガラスの割れる音と共に、紙袋を抱えた男が落ちてくる。コンビニの袋を持った男はそれを放り出し、落ちてきた男の抱える紙袋を奪おうとその傍らにしゃがみこんだ。
その時、空気を切るような音が鋭く鳴り、空のウィップが飛んだ。
左手は使えないが、右手に装着しているウィップなら扱える。念のため車内で装備していた空だ。
けれど男の動きの方が僅かに早く、ウィップは宙に舞った。即座に飛び退いた男は、腰に手を当てチェーンを外した。
「その紙袋は、重要な物なのですか?」
空は手首でウィップを手元に戻すと、落ち着いた声で男に声を掛ける。2階から落下した虫辺は、ピクリとも動かない。そんな彼に眼もくれず、男は腰から外したチェーンを両手で持ち、長く下がった方の端をヒュンヒュンと回し始めた。
(チェーン使いですか・・・長さは3m・・・)
空はチェーンの長さを目測し、彼のリーチを加えて4mほど距離を取る。男はかなりの力量であるように思えた。幹部直属の戦闘要員なのだろう。傭兵上がりの構成員を迎えているという情報もあった。
チェーン使いの男は何度かその先端を空に向かって飛ばすが、彼女はギリギリのところでそれをすべてかわし、距離を詰めようと図った。
けれどその時、ドアの中から階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。男は直ぐに踵を返し、全速力で逃走する。無理だと判断すれば直ぐに撤退する、熟練の戦闘要員なのだろうと思われた。
ドアから出て来たのは真と博で、小夜子が後から続いて来る。
「すみません、逃げられてしまいました」
空は申し訳なさそうに謝るが、つかつかと歩み寄って来た博は、空の左手を取って眉を顰めた。
「謝るのはそっちじゃないでしょう。車内で待機、と言いましたよね」
彼女の右腕の包帯は赤く染まっていた。
傷口が開いたことは、間違いなかった。




