10 山中のムカデ
FOI捜査官の1人北村豪は、ドローン事件が始まった頃から多忙になっていた。
大きな体に似合わず大層器用な手を持つ彼は工学系に強く、普段はメンバーの装備品などのメンテナンスを一手に引き受けていたが、ドローンによる攻撃を目の当たりにして、そちらの対応策も行うことにしたのだ。
日本支局には、空が管理者になっている科学系の研究室はあるが、工学系のそれは無い。豪は本部と連絡を取り、そちらの協力を得て自律型捕獲用ドローンを何機か送ってもらい、今回の一連の事件に対応できるよう改造を進めている。それには支局のメインコンピューター・ケトルと、サイバー捜査官の経験もあってAIに関する知識も豊富な春も協力していた。
そんなある日、豪は本部を通じて、A国軍専用基地で支局内で改造した捕獲用ドローンのテスト飛行を行う許可を貰い、そこに出かける事になった。
豪は1人で行く予定だったが、急に空が自分も一緒に行きますと言い出した。丁度その日、そこの専用基地にドクター・ヴィクターが居ると解ったのだ。
ヴィクター・ドゥーデンヘッファー医師とは、それまで連絡がつかなくなっていた。それは彼が私的に行っていた研究が、本部にバレて査察が入ったからだが、丁度その時、空は彼からその私的な研究としての手術を受けて彼の私邸にいたのだ。iPS細胞から培養し作って置いた彼女の心臓を、寿命を迎えかけたそれと交換する、というとんでもないことをやってのけたヴィクターは、空を逃がした後身柄を拘束され、そのまま本部で色々と取り調べを受けていたらしい。
それが漸く仮処分ではあるが一旦解放され、日本のA国軍基地に派遣されたのは、軍司令官の妻が脳出血で倒れ、その手術の執刀を任されたからだという。ヴィクターの腕は、それだけ凄いということなのだろう。そして現在そこに滞在しているヴィクターに、空は直接会ってお礼を言いたいと思ったのだ。
何しろあの時は、何も解らないままタクシーに乗せられて空港に行ったわけで、その後落ち着いてから何度も連絡を取ろうとしたが、全て徒労に終わっていたのだから。
そういう事なら、と博も許可を与え、空と豪は2人で隣の県にあるA国専用空軍基地に出かけた。
豪がテスト飛行を行っている間、空はヴィクターと話をすることが出来た。
「その節はありがとうございました。以前は交換不要と言っていましたが、今となってはそれで良かったと心から思っています」
博の強い要望と、ヴィクターのこっそり抱えていた望みで行われた手術。自分が望んだことでは無かったのだが、それでも今、こうして生きて博の傍にいられることが本当に嬉しいと思っている。
そんな空の言葉に、ヴィクターはいつもの気難しい顔を崩さず淡々と答えた。
「ああ、それなら良い。こっちはあれから色々大変で、先ず私邸にあった全てが没収された。まあ、データは頭の中にあるから良いんだが、屋敷の中は空っぽだ。なのでこの機会に売り払ってしまおうと思っている。監視付きではあるが仕事に戻れそうなので、丁度要請が来ている日本のFOI病棟に勤務するつもりだ。本部の方も、一応左遷という形で終わらせたいだろうから好都合だ」
つまり、近いうちにヴィクターは日本に来るということらしい。おそらく彼は、日本に腰を落ち着けて、ほとぼりが冷めたらどこかに私的な研究所をこっそり建てるのだろう。
ヴィクターとの話が終わり、やがて豪のテスト飛行も終了すると、2人は基地を辞して帰路につく。
高速に乗って暫く走り、サービスエリアで休憩している時、ふと思いついたように豪が言った。
「空さん、ソフトクリーム食べませんか?」
豪は小夜子から、空はソフトクリームが好きらしいと聞いていた。けれど、あんな事件のお陰で結局食べることが出来なかったことも知っている。
「あ、食べたいです。それなら私が買ってきますね。作るところを見たいので」
嬉しそうに答えて、店に小走りで駆けてゆく空の背中を見ながら、豪は彼女から眼を離さないようにして立っていた。妹が居たらこんな感じなのだろうか、と思いながら。
そんな豪の足元に、1匹のトイプードルが近づいてきて、彼の顔を見ながら尻尾を振る。
「おや?迷子かな・・・飼い主さんはどこだろう」
サービスエリアの駐車場の方へ出て行くと危ない。豪はそう考えて犬を抱き上げ、辺りをキョロキョロと見回した。すると、エリアの端に1人の女性が口に手を当てて何か呼んでいるような姿が見える。
豪は一度空の方へ注意を向け、周囲に危険は無さそうだと判断すると、犬を抱えて女性の方に向かった。
「探しているのはこの子ですか?」
豪が腕の中の犬を見せて問いかけると、女性はホッとしたようにお礼を言いながら近づいてくる。そして、犬を抱き取ろうと手を伸ばすが、その片手には黒いスタンガンのような物を隠し持っていた。
空がソフトクリームを受け取って振り返ると、そこにいたはずの豪の姿が無い。周囲を見回すと、エリアの端の方に駐車しているグレーの車に、豪が押し込まれている光景が目に入った。
受け取ったばかりのソフトクリームを店員に押し付けると、空はそちらに向かって走り出そうとする。けれど直ぐにその車はスタートし、彼女の眼の前を走り去っていった。
自分の車に急いで戻り、エンジンをかけハンドルを握る。車を走らせながら支局に連絡を入れ、先ほど見た車のナンバーを告げて応援を頼む。連絡を受けた博は即座に行動に移った。
制限速度ギリギリまでスピードを上げて、半ば強引に追い越しを繰り返した空は、やがて前方に豪を拉致したグレーのセダンを発見した。
後は、尾行するだけだ。
空は自分のスマホのGPSが正常に作動していることを確認すると、スピードを落とし相手の車に気づかれ無いよう、今までの任務で培った経験を最大限に生かして追走を開始した。
やがてグレーの車は高速道路を降り、人気のない山の中に入ってゆく。空は車のナビを見て、彼らが行きどまりにある建物に向かっていることを知ると、狭い道のすれ違い用スペースに車を停めた。そこから建物までは200mくらいだが、すぐ先が急カーブになっているので向こうからは見つけにくいだろう。
豪を拉致したのはおそらく『シラヌイ』だろうと、空は見当をつけていた。自分たちが支局を出た時から監視されていて、基地にいる間に準備を済ませ、サービスエリアで決行したのだ。支局に飛び込んできて空を傷つけたドローン事件から、かなりの日数が経っている。その間に『シラヌイ』は着々と体勢を整え、目の上のたん瘤である支局の戦力を削ぐことに目的を定めたのではないだろうか。
そうなると、豪が連れ込まれた場所は、単に殺害するのに都合が良い場所ということになる。ついでに豪から、支局内情報が得られれば更に都合が良い。
けれど、彼らは追手が来ることも予想しているだろう。
豪を無事に救出するための時間は、あまり無さそうだ。
空は急いで装備を整えると、トランクの工具箱から幾つかの品物を取り出し、上着のポケットに入れる。上着は脱いで行きたかったが、ポケットが無くなるのでそれは諦めた。そして最後に発煙筒を持つと、トランクを閉める。
100m先にヘアピンカーブがある道路を外れ、空は森の中に入った。ショートカットすれば、50mくらいで建物の前につく。ウィップを使って身軽に森の中を移動し、直ぐに彼女は建物の前に着いた。
案の定、グレーの車は建物の前に停まっている。人影はなく、豪を含め全員が中に入っているのだろう。そんな建物は、平屋の古い日本家屋で、今では住人もいない山奥の一軒家のようだった。空は素早く車に近づくと、小型発煙筒を使用し車の下に投げ込んだ。そしてヒップホルダーから小型拳銃を引き抜くと、タイヤ2本を撃ってパンクさせる。銃声を聞きつけた男たちが出てくる前に、彼女は家の裏手に回った。
木製の雨戸が閉まっていたが、その中の1枚を持ちあげて取り去ると、運が良いことに中のガラス戸に鍵は掛かっていなかった。空はそのまま内部に入り、開け放たれている障子の先の座敷を見る。そこには四肢を投げ出して横たわる豪の姿があった。
拘束されていないということは、動けないということだろう。困った事になった、と思いながら空は素早く彼に近づきその状態を探る。意識が無いようなら、自分1人の力では彼を運び出すことは出来ない。けれど豪は、空に気づくと頭を上げて声を出した。
「空さん・・・すみません」
空はホッとして、囁くような声で問いかける。
「動けますか?」
「まだ不自由ですが、何とか少しは・・・スタンガンじゃ無かったみたいです」
豪は唇を噛み締めて上体を起こし、空の肩を借りて何とか立ち上がる。けれど、歩くのはかなり難しそうだ。それでも何とか豪の身体を引きずるようにして、空は家の外に出た。
狭い庭の奥、木立の中まで何とか進んだ時、車の異変に気付いて家から出て行っていた男たちが戻ってきたようで、家の中から声が聞こえてくる。空と豪は、それに構わず森の奥へと身体を運んだ。
「何か、聞こえませんか?」
草や低木、木の根に足を取られながら、それでも必死で麻痺した足を動かしていた豪が、ふと声を上げる。けれど直ぐに、その程度の音は空には聞こえないのだと気付き、言葉を続けた。
「・・・ドローンのような、その中でも軽い飛翔音なので、小型の物が近づいているようです」
空は息を切らして重い豪の身体を支えながら歩いていたが、彼の言葉を聞くと辺りを見回し、大木の根元に茂る藪の方へ進んだ。
「ここに潜って、待っていてください。始末してきます」
空は静かな声でそう告げると、表情を引き締めて立ち上がる。
「でも・・・」
危ないだろうと言いかけた豪に、空は一瞬だけ微笑んで答えた。
「見えれば十分に対応できます。地の利はこちらにありますし」
そんな空の様子に、豪は彼女の魅力を再認識するような気がした。博が心から愛するのも当然だと思う。サービスエリアではソフトクリームに喜び、素直で可愛らしい妹のような様子が微笑ましかったが、こんな緊迫した状況では頼もしい先輩捜査官になる。そのギャップが、人を惹きつけるのかもしれない。
解りました、と答える豪を残し、空はウィップを飛ばして樹上に身を投げると、茂った緑の中に消えて行った。
豪を待たせている場所から10mも離れていない場所で、空は木々を避けながら低速で飛ぶドローンを見つけた。地面から1m程度の高さで飛行しているのは、高い場所にある枝や茂った葉を避けるためだろう。空はポケットから、小さく丸めたネットを取り出した。携帯用の薄いネットは広げれば2m四方くらいになる。そしてウィップを構え、左手でネットを持つと、太い枝の上で飛んでくるドローンを待ち受ける。空のいる枝の真下をドローンが通過しようとしたとき、ウィップをが飛びドローンは一瞬動きを止めた。そこに左手から投げられたネットが機体を覆い、小さなドローンは地面に落下した。
しばらく様子を見るが、自爆するような様子も無いので、空は地面に降りた。このまま放置しておいても自力では抜け出せない様子のドローンだが、念のため絡まっているネットで厳重に包むと、それを持って空は豪の所に戻った。
空が持ち帰ったドローンを見て、豪は何とか普通に動くようになった手でその機体を調べる。
機体には『centipede』の文字があった。
「・・・centipede・・・ムカデですか」
豪は呟いて機体を探り、その機能を一旦停止させた。
空はスマホに入った博たちからの連絡を確認すると、熱心に機体を調べている豪に告げる。
「博と真がこちらに向かっていますが、到着するにはあと1時間くらい掛かりそうです。私は彼らの様子を見てきますが、ここに戻らず行動する場合もありますので、豪はここでそのドローンを守って居てください。博たちが来るまで」
初めて手に入った、『シラヌイ』側の無傷のドローンだ。是非とも持ち帰って研究し、今後に役立てたい。豪は口元を引き締めて大きく肯く。どのみち、まだ足は自由に動かないのだ。
空は豪の了承を確認すると、『シラヌイ』の構成員たちの車が停まっている場所に戻った。
グレーのセダンの周囲には人影もなく、空が車体の下に投げ込んだ発煙筒が、近くの草むらに転がっているだけだった。男たちが見つけて放り出したのだろう。彼らは家の裏側にいるようで、空の耳にも聞こえるような声で怒鳴り合っている。拉致した人間には逃げられ、用意しておいたドローンも戻ってこない。何とかして両方とも取り戻さないとマズイ、と焦っているようだ。
けれど、足が動かない豪を連れて森の中に入った痕跡は、直ぐに見つかるだろう。あの3人を、こちらに引きつけなければならない。
空は発煙筒を拾い上げると再び銃を構え、車の給油口あたりを狙って撃った。数発の銃声が響くと、車体に開いた穴からガソリンが漏れてくる。空は素早く車体から離れ、手に持った発煙筒を零れ落ちるガソリンに向けて放り投げた。煙が出る筒の中の小さな火が、ガソリンに引火する。
大きな爆発音とともに、車体が炎上した。
放り投げた直後に身を伏せて爆風を避けた空は、即座に立ち上がった。構成員たちは、慌ててこちらに来るだろう。けれど、彼らを豪が居る側の森の中に入れるわけにはいかない。
空はポケットから折り畳みナイフを取り出すと、左袖をまくり上げて躊躇せずその刃先を滑らせた。白い肌に透ける青い静脈を狙ったその場所からは、ダラダラと血液が溢れ出す。空はその血を見やすいように地面に垂らし、道路に沿ってゆっくりと走り出す。手負いの獣が逃げるような血の跡が、舗装されていない細い山道に点々と残された。
ヘアピンのように曲がるカーブのところまで来ると、空は外側の森に入った。豪が隠れる場所とは反対側だ。背後から、男たちの気配が近づいて来る。
「・・・あ、ここで途切れてる」
「いや、こっちだ。ここで森の中に入ったな。車の爆発で怪我したんだろうが、イイ目印だぜ」
「こっちは車も無くなっちまったからな。多分サービスエリアにいた仲間が追って来て、奴を連れ出したんだろうが・・・」
「今、追っかけてるのがどっちかは解らねぇが、捕まえりゃここまで乗って来た車を奪えるだろうしな。上手くいけば、捜査官2人消すことが出来て、ドローンも回収できるだろうよ」
血の痕跡を残している相手を見つけて捕まえれば、今までの失態は帳消しになる。構成員たちは、とにかくそれに集中することにしたようだ。空にとっては、狙いが当たったことになる。
森の中を移動し、時折音を立てて彼らの注意を引く。男たちが迷っているようだと解ると、道路に出てまた血の痕跡を残す。追手たちを翻弄するような空の行動は、彼らを引きずり回し時間を稼ぐことが目的だった。博たちの車が到着するまで、と細心の注意を払って森の中を移動し続ける空だが、1時間もたつとそろそろ体力が怪しくなってくる。
腕の傷は出血をさせておかなければならない状況のため、貧血の自覚症状が出てきていた。めまい、息切れ、頭痛も始まっている。
そろそろ限界だろうと自己診断すると、空は道路に出てその真ん中に立ち、追手が森から出てくるのを待つ。時間的にはもう直ぐ、博たちの車が到着する頃だ。
男たちが泥に汚れあちこちに引っかき傷を作りながら、怒りに満ちた形相で森から出て来る。彼らは空の姿を見つけると、怒声を上げながら掴みかかってきた。
その時、後方から凄いスピードで車が突っ込んでくる。車は、男たちに囲まれて道路にへたり込んでいる空の1m手前で急停車した。直ぐに飛び出してきた真と博の姿を見るより先に、空を放り出して逃げる男たちだが、捜査官たちの銃で足を撃ち抜かれその場に転がった。
車には小夜子も乗って来ていて、彼女も車から飛び出し空の元へ駆け寄る。
「大丈夫っ?・・・ああ、まったくもう!」
小夜子は抱えてきた救急バッグから止血帯を取り出し、空の腕に巻き付ける。顔色を見れば、貧血状態なのは一目瞭然だ。
「すみません・・・豪は森の中に・・」
それだけを呟き、空は手当てをする小夜子の肩にコトンと頭を乗せると、小さな溜息と共に瞼を閉じた。




