1 研修受け入れ
「Life of this sky」シリーズ10作目です。
このシリーズは、1作目から順に時間軸に沿って話が進んでいます。
空は大気に満ちている。
大気の中の様々な物質が、空の色を変え、雲や雨を生み出す。
夕焼けの赤も、突き抜けるような青空も、そして嵐も。
太陽の恵みを受けて、沢山の物質によって、空はその姿を変える。
まるで『空』の生き様のように
FOI日本支局が開局して、1年が過ぎた。
アットホームな職場では、1周年記念パーティーでもやろうかという意見も出たが、何かと雑事に追われていつの間にかそんな話も立ち消えになった。
この1年間、本当に色々な事があったが、それでもメンバー6人が揃っていることが何より嬉しい。支局としても、実績を積んだわけで、本部からも本格的な仕事や依頼が来るようになった。
「本部から、研修の受け入れ依頼です。どうやらここも、1人前の支局として認められたようですね」
朝のミーティングスペースで、いつもの連絡事項が局長である博から穏やかに伝えられる。
「日本支局では初めての受け入れになりますが、内容的には相互研修になります。こちらも色々と教わることがあると思いますので、よろしくお願いします」
今回の研修者は2名。空港まで博と空が出迎えに行って、支局のメインルームに通されたのは、男性と女性が1名ずつだった。
博が集まった捜査官やスタッフを紹介すると、先ず男性の方がにこやかに自己紹介をする。
「ヘンリー・ハイマンです。本部ではプロファイリングチームのチームリーダーを務めていますが、もう定年間際なので、窓際族です」
そう言って笑うハイマン氏は59歳になるが、外見は40代にしか見えない。穏やかで人懐こい笑顔は博に似ていて、初対面でも好感を持たれるタイプだ。学者肌の男性だが、沢山のデータを必要とする専門分野なので、それは大いに役立っていることだろう。
「彼は、プロファイリングと犯罪心理学のオーソリティなんですよ。僕にとっては、尊敬する師匠のような存在で、今回も相互研修と言うよりこちらが全面的に教えを乞うことになります」
博の説明に、ハイマン氏は恐縮したように頭を搔いた。
「いやいや、こちらこそだよ。高木局長の報告やレポートは、本当に素晴らしいからね。今回も最新情報が得られると思うと、楽しみで堪らない。ただ残念なことに向こうの仕事の関係もあって、こっちに居るのは変則的になってしまうんだ。3か月間、来れる時に来る感じになるな。今回は3日間滞在するつもりなので、よろしく頼みます」
出来るだけ頻繁に来て、お互い議論を戦わせ、より高度な学術的進歩を目指そう。そう言って挨拶を終えたハイマン氏は、支局にいる間、時間が許す限り博を独占するつもりのようだ。
「ハイマン氏の本部での通称は『教授』なんですよ。こちらでも、そうお呼びしてよろしいですか?僕の方は、博と呼んでください。ここでは、皆そんな感じで呼び合っているので」
博の言葉に、ハイマン氏は嬉しそうに承諾の意を表した。
そして次は、それまで大人しく後ろに控えていた女性の番だった。
「初めまして、ジェラルディーナ・ハートです。ジーナと呼んでください」
そんな彼女は、見事なブロンドとブルーアイの典型的なA国美人だ。メリハリの効いた、つまりボン・キュッ・ボンの素晴らしい女性的体形を持っている。
そして、堅苦しい真面目な態度はここまでだという様に息をつくと、ニッコリと笑ってベールを脱ぐように雰囲気を変えた。
「紹介しにくいかもしれないから自分で言っちゃうわ。向こうでは、ハニートラップ要員だったの。でも随分顔が売れちゃって、色々やりにくい事が多くなってきたから、それ以外の仕事も覚えなくちゃと思って研修に来たのよ」
ジーナはごく自然に、コケティッシュな笑みを浮かべる。こちらが素の表情なのだろう。
「年齢的に何時までも出来るってもんでもないし、そろそろ落ち着きたいと思うの。ハニートラップ関係は、趣味と実益を兼ねてボチボチ続ける程度にしてね」
そんな事を言ってはいるが、まだまだ充分継続可能な見かけのジーナは、まだ20代後半だ。
「・・・趣味と実益?」
つい呟いてしまったのは真である。こうなると、目のやり場に困るではないか。
「そう・・・ええと日本語では何て言ったかしら。・・・『色好み』かな。行為自体が好きなの。気持ちいいじゃない」
彼女にとってSEXは、整体かエステに行くような感覚なのだろうか。そんな台詞に、真と豪はあからさまに身を引いた。それを見て、ジーナはおかしそうに笑う。
「大丈夫よ、誰かれ構わず見境なく迫ったりしないから。それじゃ、ただの色欲魔でしょ。でも、惚れた相手には素直に迫るのでよろしく」
スーツ姿だがブラウスの胸元を大きく開けて、見事な胸の谷間を見せている彼女に、先ほど身を引いた男2人は同じことを考える。
(惚れられたら、面倒なことが起こりそうな気がする・・・惚れられるとは思わないけど)
そこで漸く、博が口を開いた。
「そう言うことですので、研修中のアテンド役は空にお願いします。外勤と内勤の両方を研修したい、という希望でしたので」
空は、はいと答えてジーナの前に進み丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします、ジーナ」
そんな彼女の姿を、ジーナはサッと上から下まで眺めると、嬉しそうに手を差し出した。
「こちらこそ、よろしく。『Sky』と一緒に出来るなんて光栄。噂は聞いてたし、実は昔1度だけ向こうの局内で見かけたことがあるのよ。その時も美人だなぁって思ったけど、今の方がずっとグレードアップしてるわね」
空はそんな言葉を聞きながら握手をし、穏やかな笑顔で答えた。
「ありがとうございます。ジーナの方がずっと美人ですよ」
顔合わせが終わると、取り敢えず丁度お茶の時間だし、といつもの休憩に入るメンバーである。
コーヒーと用意しておいたケーキを並べ、それぞれが好きな場所で寛ぐ。博と教授は早速ミーティングスペースで、資料を見せ合いながら、犯罪心理学の話を始めた。女性陣はダイニングテーブルに集まって、他愛のない世間話をする。
最初こそ、ジーナに対して身構えていた小夜子と春だが、話をしてみると彼女がごく普通の女性であることに気づく。ファッションや化粧、スイーツや料理、芸能界のゴシップ話に至るまで、楽し気に話に加わってくる。おしゃべり好きで陽気な、年相応の女性なのだ。凄い洋風美人であるけれど。
そんな会話の途中で、ふと小夜子がジーナに聞いてみる。
「ねぇ、さっき惚れた相手って言ってたけど、ジーナのタイプってどんな人?」
まさか自分の亭主が惚れられるとは思えない。けれど真は、見かけは普通の日本人男性だがあれはあれで良いところもある。惚れた欲目かもしれないが、と思いながらもちょっと心配になった小夜子なのだ。
そんな彼女の心中を察したのか、ジーナは明るく答えた。
「そうね、先ずは私の今までしてきたことや性癖なんかを理解してくれる、懐の深い人かな。好きなタイプは、知的でクールで頭が良くて、でも優しくて、ベッドの中では情熱的な人、かな」
最後の所は置いておいて、それ以外は博が当てはまると思う小夜子と春だ。
そして空は、全てが彼に当てはまるとこっそり思う。
(念のため、言っておいた方がいいかしら・・・博と空の事)
そんな風に小夜子が考えて、口を開こうとした時、ミーティングスペースから博の声が掛かった。
「緊急応援要請です。暴力団同士の対立抗争で、規模が拡大し人員不足だそうです。場所はE川に近い工場跡地で、構成員たちの制圧並びに逮捕です。空・真・豪・ジーナで出てください」
応援という事で、基本現場の指揮下に入る。博はジーナを含めた4人を、派遣することにした。
4人の捜査官たちが到着した現場は、雑草が生い茂った広い草地の中にある、既に操業を停止している工場だった。朝から降っていた小雨が、少しずつ強くなっている。梅雨時なので天気は仕方がないが、屋外での任務にはいささか厄介だ。
現場の仮本部には、以前も会ったことがある橋本警部補が待っていた。真と小夜子の拉致監禁事件以来の再会だ。
「地元の『K組』と近頃のさばって来た『シラヌイ』との縄張り争いだったんだが、どっちも応援を呼んだらしくて規模が大きくなっちまった」
『シラヌイ』は暴力団と言うより、海外のギャングに近い犯罪集団で、日本を拠点としている新興勢力だ。『K組』の方は、寧ろ老舗のようなヤクザで構成され、未だに任侠的な部分もある暴力団である。
「工場内の方はうちで何とかできそうなんだが、そろそろ構成員たちが逃走を始めそうな気配でな、出てくる奴らを出来るだけ多く逮捕したいので応援を頼んだ。よろしく頼む」
橋本警部補は、1年前の不機嫌はどこへやらで、生真面目に説明をした。
4人の捜査官は、空とジーナ、真と豪でコンビになり、工場の東門と西門に分かれて移動し任務に入った。どのくらいの人数が出てくるかは解らないが、多いようなら制圧だけして逮捕は後回しにする方向で行動しようと決めていた。
空とジーナは、2人ともFOIの支給品である黒の上下に身を包んでいる。ジーナはブロンドの巻き毛を束ね、装備はヒップホルダーの拳銃だが女性が扱うには大き目のものだった。空はいつものウィップと小型拳銃で、同じく髪を束ねている。
2人は東門の近くまで来ると、そこで待機して中から出てくるであろう構成員たちを待った。
「実は私、こういう現場での実戦は久しぶりなのよね」
そんな事を言いながらも、ジーナは緊張する様子もなく、しゃがんで足元の草を弄っていた。
「・・・何を、しているんですか?」
空の問いかけに、ジーナは悪戯っぽい表情で答えた。
「草結びよ。ただ待ってるのも退屈じゃない?罠としては大したもんじゃないけど、引っかかって転んだら面白いかと思って。田舎育ちなのよ、ワタシ。子供の頃は、よくやったもんだわ」
そんなジーナに、空は感心したように言う。
「・・・確かに面白そうですね。ちょっとやってみたくなりました」
そして彼女は少し離れた場所で、見よう見まねで草結びを作り始めた。
(あら、意外・・・)
ジーナは、空の意外な一面を見たような気がした。第1印象では、真面目で穏やかだがお堅い部分がありそうに見えたのだ。実際、先ほどのティータイムでも、彼女は口数も少なく聞き役に徹していた。こんな子供じみた行動に、乗ってくるようなタイプには思えなかったのだ。
(空って、面白いかも・・・)
興味が湧いてきたジーナは、この研修の先行きが楽しみになって来た。
やがてインカムから情報が入る。数十人くらいの構成員たちが、東門を目指して移動を始めたという。
「・・・かなり多いですね」
空の言葉に、ジーナも頷く。
「か弱い女2人に、数十人の相手をさせるのって酷くない?」
夜のお仕事だって,キツイわよ。と続けるジーナだが、空と同様に落ち着いて立ち上がった。
か弱い女性2人とは、誰と誰の事なのだろうか。
バラバラと出てくる男たちを、2人は手分けするように離れて制圧を開始した。
久しぶりだというジーナだが、そんな様子は微塵も見せず、意外なほどのパワーで相手を投げ飛ばしたり殴りつけたりしている。1度に多人数が相手になると、距離を取って移動しながら銃を使った。
彼女の安定した動きに安心した空は、自分たちに構わず逃走を図る輩を追う方に回る。行動範囲が広がるが、ウィップを使い空中移動で時間は短縮できる。草原で木々などは無いため、ウィップを巻き付ける支点は、相手の身体になるのだが。要するに、1度で2人を相手にする形だ。
やがて、逃走する男たちが途絶え、辺りに意識を失った体がゴロゴロと転がっている状況になると、インカムから終了の連絡が入る。
「あ~~、やっと終わったわ~~」
ジーナが声を上げるが、疲れたような様子はない。パワーも凄いが、タフさも尋常ではないのだろう。
けれど、近くに空の姿はない。彼女は辺りをキョロキョロと見回した。
(・・・流石に、多かったですね)
空は、草原に転がるドラム缶に背中を預けて座り込んでいた。
屈強の男どもを10人以上相手にし、雨の中、足元は滑りやすく視界も悪い。滝のような土砂降りの中での制圧任務は、空にいつも以上の疲労を与えていた。
けれど、終了の合図が聞こえたかのように、雨が小降りになり雲間から光が射してくる。
(戻らないと・・・)
空は自分を叱咤するように立ち上がり、遠くで手を振るジーナの方に向かって歩き始めた。
背筋を伸ばし、1歩ずつしっかりと前を見据えて歩むその姿に光が射し、纏う泥さえも輝く。
雨と泥に濡れて汚れたその姿に、けれどジーナは眼を見開く。
(・・・蓮の花、みたいじゃないの)
泥の中から出て清々しく花を開くその花のようだ、と彼女は素直にそう思った。
制圧終了後も、橋本警部補への報告やら現場の後始末の手伝いやらで、4人が帰局したのは深夜になってからだった。もっとも、後始末の手伝いを担ったのは真と豪だけで、空とジーナは仮本部で休憩しながら警部補の話し相手をしていたのだが。つまりは、この警部補も美人が好きな惚れやすいタイプなのかもしれない。
現場から支局へは、終了時点で連絡を入れていた。帰局が遅くなる旨を告げた時、博からは報告は明朝でいいので、戻ったらゆっくり休んでくださいという返事を貰っている。
空はメインルームのロッカーに装備品を収めると、最後に室内をチェックして部屋に戻る。当然、一応は自室となっている個室ではなく、博と暮らす部屋の方だ。
遅い時間なので彼を起こさないようにそっとドアを開けるが、明るい室内には博が笑顔で待っていた。
「お帰りなさい。お疲れさまでした」
こんな時間まで、何故か溌剌とした雰囲気で起きていた博に、空は驚く。
「ただいま戻りました・・・ですが、遅くなるので休んでいて下さいと、連絡したはずです」
任務終了報告とは別に、個人的な連絡も入れていたのだ。
「やっぱり心配じゃないですか。無事な姿を確認したかったんですよ」
そう言って彼はソファーから立ち上がり、彼女の傍に寄ってくる。
「怪我はしていませんね?疲れているでしょう?」
空の身体を上から下まで、探るように窺う博に、つい言葉が出てしまう。
「怪我はありません。そもそも、そんなにしょっちゅう怪我していません。頻度的には5回に1回くらいです。それも、かすり傷程度です」
特にこのところは、自分でも気を付けているし、危険度が大きい任務も無い。
それなのに、過保護なくらい心配してくる彼が不思議で仕方がない空だ。
そんな彼女の言葉をサラリと流し、博はその身体を抱きしめようと手を伸ばす。
「・・・あの・・・汚れているのでシャワーを浴びてきます」
空は1歩下がって、そのまま浴室に向かおうとした。ある程度、現場で泥は落としてきたが、雨と汗が混じって濡れた身体は、自分もかなり臭いと感じている。
「そうですね、それじゃ無事かどうかのチェックを兼ねて、シャワールームに行きましょうか」
(え?・・・それって)
戸惑う彼女の腕を引いて、博は嬉しそうに付け加える。
「一挙両得、というやつです」
(・・・両得って・・・何と何なのでしょうか)
微かに浮かんだ空の困ったような表情に、彼は満足したように微笑んで浴室のドアを開けるのだった。
明け方に近い時間、博はベッドの上で愛しい人の身体にタオルケットをそっと掛けながら、反省することしきりだった。
空を待って起きていたのは、彼女が心配だったこともあるが、教授との長時間の高度な精神活動のせいか、頭の中が高揚して眠れそうもなかったからでもある。昂る神経を宥めるために、鎮静させるために、彼女を激しく愛してしまったようだ。
これではまるで、自分の昂りを処理するために抱いてしまったようなものだ。しかも、彼女は任務明けで大層疲れていたはずなのに。
「・・・悪い事しましたね。・・・ごめんなさい」
博はそう呟いて、眠る空の額に優しくキスをする。
明日は彼女の午前半休を、自分が申請して自分が承認しようと思いながら、つかの間の睡眠をとるべく、彼は静かに瞼を閉じた。
もう1度、彼女を腕の中に抱き込んで。