「映画館は敷居が高い」と聞いたのだけど
映画館によく行きます。
この場合の「よく」は、SNSで見かけるような同じ映画を何十回と見るというものではなくて、贔屓の俳優が出ているとか好みの監督の作品だとか、そういったものを一度ずつ見に行く程度を指していると思ってください。
熱心なファンほどの頻度ではないけれど、特別少なくもない。ごく普通だと私自身は考えていました。
ところが、どうやら世間一般はそうでもないらしいのです。
職場でよくある「休日なにしたトーク」のなかで、私は映画を見たことを話題に出しました。すると同僚が、「自分は映画館に行ったことがない」と言ったのです。「私も二、三回くらいしか」と同意したのも一人や二人ではありませんでした。
びっくりして理由を尋ねると、子どもの頃から映画館へ行く習慣がなかったから敷居が高い。ネットで配信サービスがあるから、わざわざ劇場まで行かない。ということだそう。映画は見るけれど、映画館へは行かないと。
気になる作品があれば足を運ぶ私の方が少数派とは、なかなかの衝撃です。自分の常識を過信してはいけない、いい例ですね。
もったいないな〜と感じながらも、私は娯楽に敷居という概念が存在することに驚きました。
これはやはり、子どもの頃から映画館を身近なものとして育ったおかげなのでしょう。
一番古い映画館の記憶を頭に描くとき、私は決まって椅子ではなく階段に座っています。
自宅から車で四十分ほどかかる市中心部の商店街にあった、古い映画館。後ろのほうは天井が低く、空調もあまり効かないため快適とはいえなかった記憶がありますが、母は何度も連れて行ってくれました。特にドラえもんシリーズは毎年の恒例で、入場特典のオモチャを握りしめながら見たものです。まだドラえもんズがいた頃。ドラ・ザ・キッドが好きでした。
さて、なぜ階段に座っていたのか?
席が空いていなかったのです。
当時の映画館は自由席で、上映ごとの入れ替え制でもありませんでした。そのため入ったはいいが座る席がない! なんて事態がよく発生していました。
途中の入退場もOK、大人は立ち見で、子どもは電線の上で身を寄せるスズメのように階段に座っていました。なかなかの無法地帯です。そんな場所ですから、少々の不便やストレスはお互いさま。子どもの私にとって、そういったどこか混沌とした空気感も含めて非日常を楽しめる場所が映画館でした。
かなり昭和テイストな光景ですが、れっきとした平成の世のお話です。レトロな劇場でした。
次に通うようになったのは、車で二十分の距離に新設されたシネコン。郊外型のショッピングモールが建ち始めた頃で、田舎住まいの私もその恩恵にあずかりました。
いまでも、映画館といえばここを思い出します。自宅から近くなり、子ども向けのアニメジャンル以外でも二時間耐えられるくらいに成長して、鑑賞する回数が増えたことも理由でしょう。
チケット売り場は一階、シアターは二階という造りで、窓口の係員からチケットを受け取り、エスカレーターで二階へ昇るのが、異空間へのゲートみたいで毎回ワクワクしました。構造上の都合だったのかもしれませんが、これはいい演出だと思います。
ポップコーンとドリンクという映画の「おとも」を知ったのも、この映画館でした。
しょっぱいポップコーンを食べつつジュース──当時の私はコーラが飲めなかったので──を飲む。それも映画を見ながら。とてつもない贅沢です。
なぜ母は、いままでこの楽しみを教えてくれなかったのかと思い返しましたが、それもそのはず。さきの映画館には、座席にドリンクホルダーがなかったのです。
階段は論外として、席に座れたとしても相手はドラえもんのオモチャを振り回す子どもです。暗闇で危険物を持たせる勇気はなかったに違いありません。
映画の鑑賞スタイルに革命を起こしたこの映画館、座席がとてもよいのです。硬すぎず柔らかすぎないシートで、長時間座っても疲れません。前後の高低差が大きく、身長が百八十センチ超えの人でもこないかぎり、背の低い私でも前の人の頭が視界に入りませんでした。
また、満席になるなどということがまずない田舎であることに加え、この頃はまだ自由席であったので、そんなレアケースに遭遇しても他の席へ移ってしまえばよかったのです。
入れ替え制が徹底されていたあたりは、さすがに平成中期といえますが。
そうして映画館の楽しみ方を覚えた現在の私が利用しているのは、なんと自宅から車で五分という好立地に登場した新たなショッピングモールの映画館です。
車で五分。都市部の人には「いや歩けよ!」と呆れられそうな近さ。ここで一気にハードルが下がったのが、朝一番の上映回とレイトショーでした。
まだモール内のショップがオープンしていない時間から始まる朝イチの上映は、集まるお客さんのお行儀がよく、比較的──個人的な比較ですが──平和に映画を楽しめます。昨今のマナー違反に関するあれこれを見ますと、これはかなり大事な要素です。
では夜はどうでしょう。仕事の帰りにちょっとお得に映画を見て帰宅しても、まったく負担になりません。上映が終わって十分後には家にいられるのですから。
外出や夜が得意ではない私にとって、優しいどころか最高な環境の完成です。
ちなみにここは上映ごとの完全入れ替え制で全席指定。田舎が令和に追いつきました。
さらにはネットでの事前予約も券売機のクレジット支払いも可能で、いうことなしの映画館です。システムの進歩は素晴らしい。
現在に至るまで、映画館は来場者が気軽に訪れて快適に過ごせるよう進化してきたと思います。
アーティストのライブが見られるライブビューイングや、爆音上映などニーズに特化した興行も増えてきました。4DXなど、アトラクション感覚で楽しめるのもいいですね。(残念ながら田舎にはありませんが)
早めに入場し、前の回のエンドロールを見つつ帰る人の座席を横目で狙わなくてもいいし、入れ替えのために清掃が入るのでこぼれたポップコーンが散らかっていることもありません。たいへん治安が良く、歴戦の猛者でなくとも利用しやすくなっています。
なにより、映画を見るためだけに作られた、スクリーン以外の情報が視界に入らない空間。自宅のテレビやパソコンの画面、ましてスマホでは見落としてしまう推し俳優の表情や動きもつぶさに観察でき、かすかな息遣いまで聞こえる音響で作品を楽しみ尽くすことができるのは、やはり映画館ならではなのです。
もちろん、映画に興味がないなど、映画館に向かない人に無理やり勧めるつもりはありません。けれど「なんとなく」で敬遠したり、ネット配信の映画で満足している人がいるとしたら。
「映画館で見る映画はいいものよ……」
そう言いたくなってしまうのです。