今夜は月が綺麗ですね~香月よう子様御礼SS~
「今夜は月が綺麗ですね」
その言葉に、香月よう子は秋の夜空ではなく、隣を歩く彼に目を向けた。
「それ、どういう意味ですか?」
「ん? 言葉通りの意味」
涼しい顔で答える彼に、彼女は眉を寄せる。
言葉通りの意味──。
それは本当に単純に「月が綺麗」という意味なのか。
それとも、かつて名のある作家が例えて言ったとされる「I love you」のことなのか。
隣を歩く彼は飄々としていて、どちらの意味にも受け取れる。
普段、男性とはあまり話さない香月にとって、それがどういう意味で言われた言葉なのかさっぱりわからなかった。
もしかしたら、ただ遊ばれているだけなのかもしれない。
その可能性のほうが高かった。
たくさんの従業員がいる大手化粧品メーカーの中でも、1、2位を争うほどのイケメン課長。
彼と話したくて、わざわざ関係のない領収書まで持ってきて
「これは経費で落ちますか?」
と、どこかのドラマのタイトルのようなことを聞いてくる女子社員もいるくらいだ。
誰にでも優しく、仕事は完璧で、誰からも信頼される完全無欠の男性。
あまりに完璧すぎて、香月にとっては少し腰が引ける存在だった。
それでも。
残業続きの自分の帰りを待ってくれて、
「遅いから家まで送るよ」
と言ってくれたのは嬉しかった。
「仕事は順調?」
「ぼちぼちです」
「ちゃんと息抜きしてる?」
「ええ、休みの時は」
当たり障りのない会話を繰り返すこと10分。
オフィスビルを抜け、人通りもまばらになった頃に、唐突に彼が口にしたのがその言葉だった。
「今夜は月が綺麗ですね」
意味を判じかねて黙りこくる香月に、彼はそっと顔を近づけた。
「でも、今は隣にいる別の月のほうが綺麗だよ」
「別の月?」
一瞬、何を言ってるのかわからなくてきょとんとするも、すぐに香月は「あっ」と声をあげた。
「ち、ちょっと、何言うんですか! からかわないでください!」
顔を赤らめて抗議する彼女に、イケメン課長は「あはは、ごめんごめん」と手を合わせる。
「私、そういう冗談嫌いなんです!」
「ほんとごめん。君の反応が見たくてつい」
なおも笑い続ける彼の姿に、いつもスマートに仕事をこなす時とは違った一面を見た気がした。
いつもの大人びた表情とは違い、今はどこか子供っぽい。
その昼間とは真逆のギャップに、少しドキドキする。
彼は一通り笑うと、真面目な顔でポツリとつぶやいた。
「……でも、冗談なんかじゃなかったんだけどな」
「え?」
香月が聞き返すと、彼は「ううん、なんでもない」と言って、親指をネオンが灯る街のほうに向けた。
「どう? 明日は土曜日だし二人で飲みにいかない?」
「飲みにですか?」
「うん。おごるから」
「……割り勘でしたら」
「えー、おごらせてよ」
「割り勘がいいです」
割り勘と言い張る香月にイケメン課長は「ふう」とため息をついて
「なんでこんな身持ちの固そうな人を好きになってしまったんだろ」
とぼやいた。
「はい?」
「いいや、こっちの話」
怪訝な顔をする彼女にニッコリ微笑むと、彼はその腕を引っ張って夜の街へと向かって行った。
fin
普段、お世話になっている香月よう子様への感謝のSSです。
いつもありがとうございます。




