騙すことは悪か?
人を騙すというのは、悪いことだ。
しかし本当にそうなんだろうかと思うことがある。
いわゆるビジョンを描くリーダーはまだ絵空事を語ってるに過ぎない。
最初は嘘かもしれない。描いたものの、
具現化しないかもしれない。
騙すというのは、うそを言ったり偽物を使い、
本当だと思わせるという意味だ。
最初はうそかもしれない。
お前はリーダーなれる、ヒーローになれる、救世主になれる。
ありもしない未来をさもあるかのように、
うそを言う。騙す側はうそを言う。
うそかどうかは、最後までわからない。
そのうそを信じきり、本当に実現してしまったとしたら、それは騙した側は悪なのだろうか。
むしろ騙した側を、私を信じてくれた恩師たる人間として崇められるのかもしれない。
よくある話だ。
君ならやると思ってたよ、という人が本当に最初から信じきっているケースはどのくらいあるのだろう。
まあ無理じゃないか?と思いながら、
君ならできる、頑張れとうそを言う。
いや、たぶん悪意のある無しなんだろう。
しかし悪意があるかどうかも結果論に過ぎない。損失があれば、悪であり、悪意ある嘘だったと。
騙された側に損失が無ければ、
騙すことは悪でないのではないか。
それを目の当たりにしたのだ。
あんな酒飲みポンコツシスターが、
宗教都市を転覆させようと旗を振り役になる。
さながら、かつて読んだオルレアンの乙女の勇ましい姿を重ね合わせる。
我ながら恐ろしい舌だ。
ソフィーを騙し、焚きつけて宗教都市との対立構造を作る。プランニングなら誰でもできる。
それをやり切る力が、あの貧民街でうずくまり
物乞いをして暮らしていた少女にはあったのだ。
まさに今、革命が起きようとしていた。
俺の言葉が彼女の心理をどう揺さぶり、それが行動になり結果を生み出したのだろうか。
それは彼女しかしらない。俺はきっかけを与えただけなのだから。




