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ウェンズデイは大慌てでしゃがみ込み、地面に落としたマントを羽織って露出度の高い水の鎧を必死に隠した。
ウェンズデイの白い肌の大部分がマントで隠されてしまう。一兎はちょと残念な気持ちになった。しかし、マントをきっちり巻きつけたせいか、逆にウェンズデイの身体の線が浮き出ており、それはそれで扇情的に見えなくもない。
あのマントの下には、あんなドスケベな水の鎧をまとっているのだ。もしも一兎が生きている肉体をもっていたらゴクリと生唾を飲みこんでいたことだろう。
「おい、君! 変な目で私を見るな!」
ウェンズデイは顔を真っ赤に染めて、ちょっと涙目になりながら一兎を注意する。
どうやら一兎のピンク色な思考がウェンズデイにダダ漏れだったらしい。
一兎は慌てて無心の境地に立とうとするが、思春期の少年には酷なことだった。恥ずかしそうにしてしゃがみこむウェンズデイに、どうしても目を奪われてしまう。
体に巻いたマントをギュッと掴むウェンズデイの白い手は、小さくプルプルと震えていて、脚を閉じた恰好で地面にペタリと座りこんでしまっていた。首筋から肩、そしてくびれから腰へと伸びる柔らかい曲線が女性的な肉感を強調していた。少し前まではキリッとしていた凜々しい眉根が、今は弱々しく垂れ下がり、羞恥に濡れた瞳はやや上目遣いで一兎を見返している。
「元々はちゃんとした鎧だったんだぞ! ホントだぞ! 私だっていくら世界の危機とはいえ、こんな破廉恥な服装で旅などしない! 本当なんだからなっ!」
ウェンズデイが必死に弁解するようにそうまくしたてる。その様子は拗ねた幼い子どものようでどこか微笑ましく見えるのだった。
一兎は初対面の時から、ウェンズデイに超越的な、クールなイメージを持っていたが、今の慌てふためく姿を見ていると、急に親近感が強くなってくるのを感じた。
「どうしてこんなことに……まさか! 『猟犬』の攻撃を受けたあの時、魔力を吸い取られてしまったのか」
何かに気づいたように、ウェンズデイはハッとしてそう言った。『猟犬』というのは、一兎達を襲ってきたあの黒い怪物のことだろうか。
「そうだ。この最果ての世界には、ああいった冒涜的な化物が数多く存在している」
一兎の思考を読んだウェンズデイが、気を取り直した様子で解説する。
「猟犬は時を超えた者をどこまでも狙う追跡者だ。尖った角度から煙のように出現し、酷い悪臭を放つ。そして、触手のような舌で突き刺した相手の精神力や魔力を吸い上げる習性を持つ、と聞いたことがある」
ウェンズデイの話を聞きながら、一兎は『あの時』の光景を思い出す。
時間を超えてこの世界にやってきたらしい一兎を狙って、猟犬は現れたのだろう。
ウェンズデイは襲われる一兎を守ろうとして、猟犬の攻撃を受けてしまったのだ。
「猟犬は君を追いかけるために私を解放したが、それまでの間に水の鎧の力をいくらか吸い取ってしまったようだ。……しかし、それにしては変だな……さっき使った水の聖域魔法や水の剣は何の違和感もなく使えたのだが……」
ウェンズデイはブツブツと言いながら考察を続けている。
詳しい事はよくわからなかったが、自分のせいでウェンズデイの水の鎧の力が弱まってしまった、ということは一兎にもわかった。
ごめんなさい。僕のせいだ。一兎はウェンズデイに謝る。
「君が心を痛める必要はない。あの化物に遅れをとったのは私の責任だ」
でも……。
「もしも君に罪があったとしても、それも私の罪だ。何故なら君をこの世界に呼び込んだのは私なのだから」
ウェンズデイは懺悔をするように語り始めた。
《世界を再起動する旅の伴侶となる乗り物が、『門』を超えて騎士の元にやってくる》
「私はその予言にしたがい、この荒れ果てた地にやってきて『門』を起動させた。……正直なところ、私はてっきり馬がやってくるのだと思っていたんだ。騎士の乗り物と言えば馬だからね。この旅に出る前から馬の世話をしていたし、馬術の腕にも自信はあった。……しかし、門からやってきたのは人間の少年と、妙な機械仕掛けの乗り物だった」
それは……まぁ、がっかりしたことだろう。
ウェンズデイがちょっとバツが悪そうに微笑む。
「確かに気が抜けたところはあったね。しかし、その油断によって猟犬への対応が遅れ、君を守り切ることができなかった……」
沈痛な面持ちでウェンズデイは視線を落とす。
「君がこの世界に呼び出され、無念の死に追いやられてしまった全ての責任は私にある。本当にすまない。恨まれて当然だ。だが、その上でなお厚かましい話だが、恥を忍んで君にお願いしたいことがある」
ウェンズデイが力強い視線で真っ直ぐに一兎を見る。
「私と一緒に、この世界を再起動させる旅に出て欲しいんだ」
女騎士のその言葉を聞き、一兎は複雑な気持ちになった。
現実とは思えない不思議な世界にやってきて、異形の怪物に襲われ、何もしないうちにあっさり死んでしまった。それだけでも十分現実感がないのに、さらに世界を救う旅をする? 僕が?
そもそも、なんで自分なんかがこの世界に呼ばれたのだろうか? 別にたいした力は持っていないし、今は自転車にとりついている幽霊みたいなものだ。自分の力では身動き一つできない。
「それでも君は、一兎は私の旅にかかせない人間だ。私はそう信じている。それに、世界を正しく再起動できれば、君の肉体を再構築して元の居た時代に戻る事もできるはずだ。世界を再起動するというのは、それだけの可能性があるんだよ」
困惑する一兎の意思をくみ取とった、ウェンズデイがそう言った。
しかし、一兎の思考はさらに迷走する。自分なんかが役に立つはずがない。そもそもこの人を信用していいものなのか? わからない。でも……ウェンズデイさんの水の鎧はすごい……エッチだったな。すごかった。……だ、駄目だ、変なことを考えちゃ。心が読まれちゃうんだぞ! でも、あんな鎧を着た美女と一緒に旅ができるなんて、夢のようじゃないか? 夢? そうだ、きっと夢をみているに違いない。いつ目が覚めるのか? わからない。わからない。わからない。
一兎は迷い続け、何も決めきれないでいた。
その時、月明かりに一瞬影が差した。一兎は背筋が凍るような怖気を感じた。
ウェンズデイも何かを感じ取った様子で俊敏に立ち上がると、焚き火の光が届かない周囲の闇に神経を張り巡らせている様子だった。
今、何かが……。
「あぁ、……来ているな」
一人と一台は謎の来訪者の気配を感じ取り、次第に緊張が高まっていく。
そして、闇の向こうからその『何か』がやってきた。