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どれぐらい時間がたったのだろうか。
気がつくと一兎は意識を取り戻していた。自分でもいつ目覚めたのかわからないほどの、唐突な覚醒だった。
生きている。
まずはじめに一兎はそう思った。だが、なぜそう思ったのか、一兎にはその理由がわからなかった。思い出せなかった。記憶が混濁している。
空には爛々と輝く月があり、その月明かりで周囲の状況がぼんやりと見渡せた。赤茶けた砂地と岩石、そして切り立つ断崖が見える。一兎の記憶に無い、見覚えの無い場所だった。
どうしてこんな所にいるのか。
一兎は白痴のようにポカンとしながらそう思っていたが、遠く輝く星空を眺めているうちに、あの異様な門の暗黒銀河を思い出し、それから芋づる式に記憶が蘇ってきた。
学校の進路相談。コンビニで食べた弁当。永遠に続くような長いトンネル。門。マント姿の美女。そして、あの怪物。そうだ、あの怪物はどうなった?
一兎は地面に手を突いて起き上がろうとしたが、体がまったく動かなかった。指一本動かせない。怪物に食いつかれたはずの首の傷を確かめたかったが、それすらできなかった。
なんとか体を動かそうとしていると、一兎の耳に足音が聞こえてきた。何者かが足早に、駆け足で一兎の元に近づいてくる。
まさか、あの怪物がまた追ってきたのだろうか? 一兎に緊張が走る。
しかし、姿を現したのはあの灰色マントを纏った女性だった。一時は怪物の触手に囚われ、何かを吸い取られているように見えたが、どうやら無事だったようだ。
一兎は安心し、ホッと胸をなで下ろす、つもりだったがやはり体は動かない。
マントの女性は一兎のすぐ近くに転がっていた黒い塊の前で足を止めると、膝から崩れ落ちた。
「すまない……本当に……すまない。私の旅に巻き込んでしまった。君を助けられなかった」
マントを羽織った白髪の女性は心の底から悔いるようにそう言った。確かにそう言った。彼女が口にするあの謎めいた言葉が、今の一兎には何故か理解できた。
彼女は地面に横たわる黒い塊に手を伸ばす。そして、所々不自然に折れ曲がった何者かの手をとった。いや、違う。それは一兎にとってはとても馴染みのある手だった。
一兎は呆然とした気持ちで黒い塊を注意深く観察する。
それは『一兎達』の死体だった。
一兎とあの怪物が一緒くたに巨大なミキサーに放り込まれ、雑にかき混ぜられ、最後にはベチャリと押し潰されたような、凄惨な死体だった。そんな死体の傍にずっといたせいか嗅覚が麻痺してしまっていたようだ。血の臭いと怪物の腐臭が今になってようやく感じ取れた。
そうか。僕は死んでしまったのか。
一兎は感慨もなく、そうつぶやいた。自分の死という一大事のはずなのに、何故か他人事のように感じられた。
「……! 何者だ!」
突然、マントの女性が立ち上がりながら身を翻す。
え? 何? 一兎も驚きの声をあげる。
「姿を現せ!」
マントの女性はいつの間にか青白い輝きを放つ剣を抜いていた。
「我が名はウェンズデイ。最後の騎士にして、この世を『再起動』させる使命を与えられた七人の一人。邪悪なる者よ、滅せられる覚悟があるのなら我が前に出でよ!」
マントの女性は、ウェンズデイと名乗りを上げた。最後の騎士というとおり、剣を構える姿も様になっている。
それにしても、ウェンズデイ・・・・・・水曜日? 変わった名前だ。一兎はそう思った。
「何だと? 旅の使命を与えられた時に授けられし私の名を侮辱するか! 悪霊め!」
うわっ、ごめんなさい! ・・・・・・ってあれ? 僕の声が聞こえているの?
ウェンズデイの怒気に当てられた一兎は思わず謝るが、彼女に自分の声が届いていることに気がついた。
「まさかこの声は、彼の声なのか? そんな、馬鹿な……彼は死んでいるはずだ……」
ウェンズデイは一兎の死体に目をやりながら、気を抜かず周囲を警戒している。
確かに僕は死んじゃっているみたいですけど、まだここに『居る』んです! 僕、一体どうなっちゃんてるんですか? 一兎はそう言った。必死な思いで自分の存在をウェンズデイにアピールする。具体的に言うとウェンズデイから見て左下あたりに『居る』ことを伝える。
いぶかしみながらも、ウェンズデイは一兎が『居る』そばまでやって来てしゃがみ込んだ。
「これは、彼が乗っていた、乗り物・・・・・・か?」
ウェンズデイが一兎の体にペタペタと触れる。その手の暖かさが一兎に伝わってきた。
「車輪が二つ、細長く固い鉄の身体、馬具の鐙のようなものがあるが、……回転するのかこれは? それにカゴもついているな。あの高さから落下したにも関わらず、損傷がほとんど見られない。よほど頑丈なのか……ふむ、思っていたより軽いな」
ウェンズデイが地面に倒れていた一兎を、少々乱暴に持ち上げ起こした。一兎の視点の高さが変わる。
「確か彼はこの小さな鞍に座っていたな。手はたしかこの棒を握っていたようだが・・・・・・」
ウェンズデイが独り言を言いながら一兎の身体を検分していく。それを聞いていると、ある身近な乗り物のイメージが一兎の頭の中に浮かんでくる。
あの・・・・・・ためしにハンドルのレバーを引いてみてもらっていいですか?
一兎は認めたくない気持ちを抑えつつ、ウェンズデイにそう言ってみた。
「はんどる? ればー? これの事か?」
ウェンズデイがむんずと一兎のブレーキレバーを握りこむ。一兎の内部構造が稼働し、車輪がロックされるのが感じられた。
ハンドルを左右に振ってみて貰っていいですか? 再度、一兎はウェンズデイに頼む。
「こうか?」
一兎のハンドルが左右に動かされると同時に、一兎の前輪が同じように向きを変えた。
「なるほど、こうして車輪の向きを操作するのか」
ウェンズデイは感心したように呟いた。
一兎自身もようやく自らの体の状態がわかりかけてきた。
どういう理屈なのかまったくわからないが、一兎は自分が乗っていた自転車、ママチャリになってしまったのだ!