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僕は騎士様の乗り物  作者: 昼歩
3/10

 一兎は校舎から出ると、まっすぐ自転車置き場に向かった。居残りをして帰るのが遅くなったせいか、残っている自転車の数はいつもより少なかった。

 定位置に止めた自分の自転車の前で一兎は立ち止まる。大きな車輪と、銀色に光る車体。ハンドルの前方に籠がついたよくあるタイプの通学用自転車、ママチャリだ。


 一兎がワイヤー錠を外して自転車に乗ろうとしたその時、ポケットに入れていたスマホが震動した。そのスマホを確認してみると、一兎の父からメッセージが一件届いていた。一兎は特に表情も変えず、送られてきたメッセージの内容を確認する。


『今日も遅くなりそうだ。夕食は何か買って先に食べていてくれ』


 それはやはり、いつものメッセージだった。一兎は一発で予測変換されるおきまりの返信文を送る。


『うん。わかった』


 父親と一兎のメッセージの履歴には、同じようなやりとりが何度も残されていた。

 一兎はスマホをポケットにしまうと、今度こそ自転車に乗り込み学校を後にした。


 帰り道の途中で一兎はコンビニに立ち寄り、いつものように漫画や雑誌を立ち読みして時間をつぶし、それから弁当を買った。そしてコンビニ内に併設されているイートインコーナーの空いている席に座り、店員に温めてもらった弁当を一人黙々と食べた。いつものように。


 一兎が孤独な夕食を終えてコンビニを出た頃には、とうに夕陽は落ちきっていて、辺りは夜の闇に包まれ始めてていた。外灯が点灯し、サラリーマンやOLなど、会社帰りの人々の姿が増えてくる時間帯だった。


 安全用のライトを点灯させ、一兎は再び自転車を走らせる。帰宅ラッシュの車でごった返す大通りから脇道に入り、外灯の少ない薄暗い小道を進んで行く。

 その先には小さなトンネルがあった。通行する車や人は少なく、いつも静まりかえっている不気味な雰囲気のトンネルだ。しかし、一兎にとっては通学路の一風景でしかない。特に臆することもなく自転車を走らせていく。


 ゆるやかなカーブを描くトンネルの奥へと進むにつれて周囲の雑音が消えていき、アスファルトを走る自転車の音だけが取り残されるように響いた。

 一兎はトンネルの内を自転車で走り続ける。


 しばらくして一兎は妙な違和感に気づき、ブレーキをかけて自転車を止めた。

 背後を振り返る。トンネルがどこまでも続いていて、闇に溶けている。

 前方を見る。同じくトンネルがどこまでも続いている。

 こんなに長いトンネルだっただろうか。一兎は首をひねる。いつもならとっくに出口が見えているはずだった。


 一兎は再び自転車を走らせ、何かにせき立てられるようにペダルを回した。

 自転車はぐんぐんとスピードを上げていくが、どんなに走っても出口の光の兆しすら見えてこなかった。


 それからどれほどの時間走り続けていたのだろうか。


 どこまでも、どこまでもトンネルは続いている。

 ペダルをこぎ続ける一兎はいつしか汗だくになっていた。粘り着くような不快な空気が肌に纏わり付き、喉がひりつくように乾きだした。

 一兎はそれでもひたすら前に進み続ける。この薄暗いトンネルの中で、立ち止まってしまうことのほうが怖かったのだ。

 必死に自転車を走らせ続けて汗すらも出なくなってきた頃に、ようやく暗闇の向こうに何かが見えてきた。


 それは『門』だった。


 トンネルを塞ぐようにして現れたその門の手前で、一兎は自転車を止めた。

 高さ五メートル以上はあるような大きな門だった。表面には細工が施されており、名状しがたい何かが絡みついているように見える。それはうごめく蟲や魚類の大群、もしくは裸の人間の集団が重なり合い、溶け合い、混ざり合っているかのようだった。奇妙なことに、その模様は見る角度や視点を変えるたび、色や形を変えているように見えた。そもそもこの狭いトンネルの中に、こんな大きな門が存在している事自体が異常だった。


 縮尺が狂ったような歪な構造物を前にして、一兎は強い目眩を感じた。

 その時、巨大な門の扉が一兎の目の前で重苦しい音を立てながら、奥の方へと勝手に開き始めた。

 一兎は驚いて自転車に乗ったまま数歩後ずさる。


 開いた門の向こう側はハサミで切り取ったかのような暗黒が広がっていた。その闇の中に、小さな無数の光が寒々しく明滅して渦を巻いているのが見えた。

 その暗黒銀河を見た一兎は魂が震えるような寒気と、異様に惹きつけられる誘惑を同時に感じた。

 一兎の眼は見開かれ、吸い寄せられるように門の奥を見つめる。


 長い、永い間。一兎はその闇の煌めきに魅入られていた。

 頭の奥が霞みがかってきたその時、何かが軋むような音がして一兎は我に返った。

 前方で口を開けていた門が、再び重苦しく動き出していたのだ。今度は独りでに門が閉じられようとしている。それはゆっくりとした、もったいつけるような動きで、一度閉じてしまえば二度と開かなくなってしまいそうな雰囲気をただよわせていた。


 今すぐ門をくぐらなければ、二度とこの門は開くことはないだろう。そんな予感がした。


 一兎は焦り、考えを巡らせる。この閉じようとしている奇妙な門をくぐり抜けるか、それとも来た道を戻るべきなのか。

 もしかしたらこの門が永遠に続くトンネルの唯一の出口なのかもしれない。半ば狂気的な考えが一兎の頭に浮かぶ。


 一兎は迷い続ける。背後を振りかえる、前方の門を見る。そんな動作を何度もくり返す。

 そうしている間にも門は閉じていき、そして……完全に閉ざされてしまった。


 結局、一兎は一歩も動けなかった。決断するという行為から目を背け、自分からは何も選ばず、ただ流れに身を任せたのだ。いつものように。

 一兎はため息をつく。試しに門に近づいて押してみるが、やはり門の扉はビクともしなかった。門が閉ざされてしまった今、トンネルをこれ以上先に進むことはできない。来た道を戻るしかなかった。


 一兎は肩を落としながら自転車をUターンさせる。

 そして走り出そうとした瞬間、一兎の体がガクンと大きく揺れた。

 一兎は驚き、とっさに足元を見た。あのおぞましい造形の門が何故か地面にあったのだ。その門が冗談みたいにパカリと開き、狂気的な暗黒と光の粒子の渦を再び覗かせた。一兎の背筋が凍る。


 まるでコメディ番組の落とし穴のように、一兎は足元に開いた門から落ちていった。深い深い闇の中へと堕ちていく。


《門をくぐるべきか否か》


 そんな選択に初めから意味など無かったのだった。

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