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おおよそ外観が完成された、それを、そのままにしておくつもりはなく僕は、躍起になっていた。
それが、ことのほか、うまくいき、年月が過ぎたころ、僕は過去に見ていたものを、もう一度、マジマジ見る機会があった。
それは、全く別のケースで二回あった。
ふと、立ち寄ったお店で、以前見たものがあって、それが前より、悪く見えた。
これが1ケース目。
2ケース目は、それがあるだろうな、と僕が、ある程度、予測して、そこに出向いた時、やはり、それを目にした。
それは、良くなっているように思えた。
1ケース目と2ケース目で、僕が再び、目にしたものは、全く違うモノなのだが、僕個人の視点からすれば、似通った点があった。
自分に正直になったとき、僕は、その二つを再び目にした時点で、所有したいと思わなかった。
モノは、明らかに2ケース目より、1ケース目の方が良い(あくまで僕から見た時)が、僕の印象は、そういったことに落ち着いた。
始めに述べた、おおよそ外観が完成されたものは、現時点では、どうなったか?
良くもなったが、悪くなった箇所もあり、それは、
良くも悪くもなったと言える。
良くも悪くもなった、とは何処か可笑しな言い方だが、良い方が悪い方を上回っていれば、いいのだ。
だがしかし、それがホンの少しだったり、悪い箇所が少なくてもメジャリティー的に歓迎されない要素が大だとしたら、やはり、それは、いただけないことだと思うし、つまるところ、結局は己の視点から見ての話なのでトリトメのないことのように思える。
僕は、ほぼ完成させた、それを、自分の願う、あるべきモノで、いつまでも、あり続けてほしいと思うが今、現在、僕には、それが困難な状態にあった。




