「俺の仲間なんだ」
我の消失により、俺が奇術師アベルだということは認識できていないはずだが、自らに魔法をかけていることは確実にばれている。
どうする……逃げるか。
まあ、魔法を解いたところで、顔を見られなければ気づかれることは無いだろう。
決死の覚悟で我の消失を解除する。すると、怪訝な顔をしながらもジークは俺から目をそらした。
今しかない。
(ジャシー! いったん外に出るぞ)
(はへ? ちょっ、引っ張るな! アベル!)
俺はきちんと代金を机に置いてから、ジャシーの手を掴み颯爽と人混みの中に消えていく。
ある程度の距離まで離れなければ、ジークの魔力感知内からは出ることができない。
なるべく遠くへ行かなくては。
「どうしたアベル! 離せ!」
「ぶほっ」
無我夢中に歩き続ける最中、ジャシーの猛烈なビンタを受けてバランスを崩してしまう。
どうやら相当な強さで腕をつかんでいたらしい。
「悪かった」
「ふん! まあいい。状況を説明しろ!」
「ああ。あの中に魔力を感知できる奴がいてな。そいつに警戒された」
「なるほどな! それはそうと逃げないとだぞ! 誰かにつけられてる!」
「わかってる」
酒場からおよそ100メートルは離れただろうか。
途中から間違いなく誰かに追われている。ジークなら堂々と魔法を使って追ってくるはずだ。ジークではないにしても今この状況で俺たちを追うのは、俺たちにとっていい相手とは言えないだろう。
「逃げながら、阻害魔法を仕掛けまくる。うまくついてこいよ」
「誰にものを言ってる!」
それから数十分、俺たちはひたすらに逃げ続けた。
ゲートもいくつか仕掛けたし、さすがにここまではついてこられないはずだ。
ひたすら逃げ続けていたから現在地がよくわからないが、どこかの路地裏のようだ。ここなら人目に付かないし、いったん休憩するのにもちょうどいい。
「しつこかったな。まったく」
「ん! アベルって器用なんだな!」
「そりゃどーも」
思わず本音が漏れてしまう。それくらい、撒くのに時間がかかった。
地面に腰を下ろして、一息つく。
しかし、その油断が間違いで。
「そんな小細工、私には効かないよ」
突如、頭上から落ちてきた影がそんなことを言いながら、俺たちの前に姿を現した。
そうだ。どうして忘れていたのか。
勇者の仲間に一人だけ、魔法が一切通用しな奴がいるんだった。
「ジャシー逃げるぞ!」
俺は咄嗟に声をかけ、奴の反対方向に駆けだす。
こいつに捕まるわけにはいかない。とにかく逃げろと本能が言っている。
「なー! こいつ、やっちまえばいいじゃんか!」
「無理だ! 俺が勝てる相手じゃない!」
奴は勇者の次に攻撃力の高いアタッカー。そのうえ俺の小細工が一切通用しないとなれば、俺は雑魚同然だ。
通用しないとわかっていながらも、ひたすらゲートを仕掛けつつ逃げ続ける。
「待って! 逃げても無駄だよ!」
そんなことを言いながら、奴は何事もなかったかのようにゲートを破壊してくる。
考えろ。奴から逃げ切る方法を。
(ジャシー、お前って今何ができる?)
俺が一生懸命走っているというのに、余裕な表情で空を飛ぶジャシーにそう質問する。
(んー、消えるとか?)
何故に疑問形。てか、そんなことできるのか。
(それは俺にも使えるのか?)
(わからん! 多分!)
俺の魔法にも姿を隠す魔法ならあるが、それでは意味がない。
しかし、ジャシーを含め、魔物が使うのは魔術であって魔法じゃない。その理屈が通用するのかは定かではないが、通用する可能性に欠けるしかない。
(次の曲がり角を曲がったら、すぐに使ってくれ!)
(ん! 仕方ないな!)
俺たちは奴と一定の距離を保ったまま角を右に曲がり、そのすぐ内側でジャシーの『消える』力を発動した。
遅れて角を曲がってきた奴は、俺たちを見失って走ることを止める。
どうやらあの理屈は通用しているようだ。
後は、そのままどこかに行ってくれればいいのだが。
「……!」
今、完全に目が合った。これ、本当に見えてないよな?
俺は息を殺して身を縮める。
それから奴は辺りを見回すと、回れ右をして元来た道を……戻ることはなく。
「封魔!」
暴風と共に、俺たちにかけられた魔術がきれいさっぱり除去された。
「見つけた。もう、逃がさないよ」
くそ……これまでか。
いやいや、おかしいだろ。なんでこんなところで終わらなくちゃいけない。まだ始まったばかりだろ。
諦めてたまるかよ。
「くそが!」
俺は再び逃げようと走り出す。しかし――
「待てぇ。アベルぅ。わっちはもうだめだぁ。力がでないぃ」
さっきまで余裕そうにしていたジャシーが地面に倒れ伏し、俺に助けを求めていた。
おそらく先ほど奴が使った封魔の影響だろう。封魔は魔物の力を極端に抑える能力で、魔法とは少し違う特性のようなものだ。
万事休すか――
「この子、魔物だよね。殺すよ」
奴の手に握る鋭い刃が、ジャシーの首元に突き付けられる。
そしてその刃がジャシーの喉を――
「待て! わかった! わかったから! そいつに手を出すな! ローサ!」
柄にもなく、俺が出せる限界の声でそう叫んだ。
ジャシーが殺されてしまっては、何もかもお終いだ。それだけは、絶対にダメだ。
「……え」
俺たちを追っていた勇者の仲間の一人、聖騎士のローサはそう漏らすように呟いた。
それから、手に握る剣を鞘に納めると、真剣な顔つきで俺の顔を見て言った。
「もう、逃げない?」
違和感を感じる言い方だが、何がと言われると言葉にしずらい。
ただ、もうこれ以上逃げるのは無理そうだ。
「ああ、逃げない。おとなしくする。だからそいつには手を出すな。俺の仲間なんだ」
「……仲間」
ローサはそう言うと、俺の元へやってきて突然――
「……? ……は?」
思い切り抱き着いてきた。
甘い香りが鼻をくすぐる。あまり大きいとは言えない胸を押し付けてきて、吐息が直にかかる至近距離。
抱き着かれて初めて気づく軽装に、不釣り合いな刀剣。
いや、待て。そんな感想を述べている場合じゃない。なんなんだこの状況は。
「おい、なんなんだ。離してくれ」
「嫌だよ! 死んじゃったかと思ったんだから! 本当に、本当に……うぅ、生きててよかったよぉぉ」
ローサは涙を流しながらそう言って、強く俺の体を抱きしめた。