不吉の黒猫、勇者に出会う
誤字脱字、変な日本語のご指摘はいつでもお待ちしています。
私、フェリス・フィーライン二十二歳・雌は猫族の獣人である。獣人と言っても人間の体に獣の耳と尻尾がついたようなものではなく、人間の体格になった猫である。頭は猫。身体の骨格は人間、全身を猫の体毛で覆われている。瞳の色は金色だ。
猫の獣人というだけならば問題は無かったのだが、不幸な事に黒猫だ。
黒は魔族の色だ。魔族はたわむれに人を弄弄び殺す人類の大敵であるが、その魔族たちの髪はほとんどが漆黒、好むよそおいも大抵は黒。住む場所すら何やら黒々しい。ヒトたちの髪は金や赤や茶で、黒いものはいない。
つまり、黒は人間に嫌われる。
毛が黒いというだけで忌避されるのだ。
私は追われていた。黒いというだけで虐げられる生活、様々な迫害の手から逃れてこんな東の果ての地に来たはいいが、ここでもまたこれといった仕事にありつける事も無く、都会よりはマシだけど、やはりまた迫害され、駄目だとは分かっていたのに空腹に負けて店の商品を失敬するまでに落ちぶれてしまい、見つかり追われて脚に傷を負わされ、思うようにも逃げられない。
衛兵に捕まれば最後、お前のせいだと、全くいわれのない罪まで大量に被せられて地下牢に捕らわれ殺されるなりなんなりするのだろう。そんな黒猫獣人の話はこれまでに沢山聞いた。
不吉な黒猫、良くない事の象徴、前を通るだけで人に災いをもたらす。
実に馬鹿馬鹿しい。そんな力がこの身にあろうはずもないし、そんなことより出来る事なら平和に寝ていたい。
けれど人間はそうはみなさない。悪い事は全て黒猫のせいだ。きっと呪いだ。良くない事が起きる、殺せ。そうして黒猫は石もて追われるのだ。
世界は実に理不尽だ。最後に同じ黒猫獣人に出会ったのはいつの事だったろう? 人間たちに虐められ、その数は大分減ったと聞いた。たまに他の獣人が憐れに思い助けてくれるけれど、負担を掛け過ぎると彼等にすら疎まれる。暖かかった視線が冷たく変わって行くのを見るのはなかなかに心にキく。頼らないほうがマシだった。
「見つけたぞ、盗人め」
盗んだ店の用心棒に私はとうとう追い詰められてしまった。脚が痛む。逃げきれない。
確かにものを盗むのは悪い事ではあるが、ではこの黒猫の身にどうやって生きて行けと言うの。勿論そんな事は店主には関係のない事だろうが、私は世界に、怒りと絶望をずっとずっと感じ続けている。
お前たちが毎日熱心に祈る神とやらは、黒猫のためには手を差し伸べて下さらない。なんとこの世は理不尽なのだろう。
終わりか。私は覚悟を決める。捕まって惨めで苦しい生活を続けるより、ここで殺されたほうがまだいいと思う。
けれど。
「ちょっと待ったああああああああっ!!!」
用心棒と私の間に、一人の人間が立ちはだかった。がさがさに見える痛んだ金の髪。装備は軽装の、戦士に見える。
「何してるか教えて貰っていいスかねえ?」
突然現れた男は用心棒から私を守るように立っている。男は私に背を向けているし夜の闇の中逆光になっていて、私から男の表情は分からない。
「この黒猫が物を盗んだんだ、切り捨てて何が悪い」とつぶやく用心棒。
「じゃ、俺が弁償します、これで見逃して貰えませんかねえ?」
男はちゃり、と用心棒に子袋を投げ渡す。ちらりと見えただけでも私が盗んだものの数百倍の金額が入っていそうだった。用心棒はそれを拾うと機嫌良く去って行った。
残された私と男。男は私に向き直る。だが男は目を合わせてこない。そして、力つきていて路地に座り込み壁にもたれている私からある程度距離を取り、荷物から何かを取り出ししゃがんでそれをこちらにちらつかせる。
小さな干し肉だ。
「ち、ち、ほ~ら、怖くないッスよ、怖くない。あ、ナウシカになんかこんな台詞ありましたよね、うわひっで、猫なのにヒゲ切れてるじゃないスか、毛並みもぼろぼろ。俺ホ○ミ使えるんスよスゲーでしょ、ああホイ○つっても通じねえか、回復呪文? ちょっと手を近づけますね」
男は私に手をかざし呪文を唱えると、私の脚の傷や、毛が抜けて皮膚がガサガサになっていた部分がみるみうちに癒えて行った。
……!
……なんだ? この男は。
なんでもいい、私は空腹で死にそうだった。食べても構わなさそうなので小さな干し肉にかぶりつく。取りあえず男は敵ではないと判断した。
美味い。美味しい。
その干し肉の美味さと言ったらなかった。これまでの獣人生で一番美味かったかもしれない。私はそれ位美味いと感じた。噛み締めればじわりと芳醇な塩と肉の旨味が広がりそれが身体に沁みてゆく。口の中でなくなってしまうのを惜しみながら、男の手についた残り香すら全て舐め取る。「おぉ……、手から直接、ご褒美……、こそばゆい……、たまらん……、でも舌の感触が人間に近い……」という音が男の口から零れていた気がするが肉に夢中で意味を拾えなかった。
「俺勇者やってるんですけど、ちょっと俺んち行きましょーよ、金貯まったんで最近新築の家を買ったんです。勇者のチートスゲー! あのまま日本にいたらそんなもん絶対買えなかったです」
男はひょいと私を肩に抱え、何か魔術を唱えると、――転移した。本のページをめくる様に簡単に景色が変わった。
男の家だというここは天井が高く中々の広さで、新しい木の香りが心地よかった。床に敷いた柔らかな絨毯の上に降ろされる。
「自由にして下さいね」
理解が追いつかず圧倒される私を傍らに、男は台所で何かを漁りはじめる。
「獣人さんだから喋れますよね? 猫缶とか無いんですけど、肉と魚どっちが好きッスか?」
「に、肉」猫缶とは何だろう、と思いながら私は答えた。
海に行った事がないのでそもそも魚の味を知らない、と付け加えると、「じゃあ今度海沿いの大きな街で魚食べ歩きしましょう。俺いい街知ってますよ、あ、猫はイカは駄目だからそれだけ気をつけなきゃですかね」と男は楽しそうに言う。
なんなのだ。私は未だ理解が追い付かない。
「猫獣人さんって、肉はどうやって食うんスか? 生? 火を通す? 味は人間と同じですか? やっぱ薄味スかね? それとも味無し? あ、さっきの干し肉きっと味がキツ過ぎましたよね、すいません」
「な、生でも火を通すでも、薄味で」
「ラジャーっス。いい牛肉あって良かったっス」
干し肉は最高の味がしたのだ。猫獣人は半分人間だから、人の半分ほどは塩分が必要だ。ずっと不足していたのだ。あの干し肉で満たされた。私は男にそれを伝えなければと思った。
「ほ、干し肉は、美味しかった。……人生でいちばん」
「そりゃ、良かった」
男の目が嬉しそうに細まって少し目が合う時間が長かった。その後男は台所で調理に取り掛かる。
「獣人にも塩は必要。でもあの干し肉で十分摂取出来たから、後まだ何かくれるなら、薄味で」
「了解っス」
男が肉を軽く炙り薄く切って別付けのソースと共に出して来たものに、私はかぶりつく。
「塩分がよく分からないんで別付けにしました。お腹びっくりするといけないから、ゆっくり食ってほしいっス」
そんなやわなお腹ではない、と思いつつかぶりつき続ける。
「ご飯ならこれからずっとあげますから、満腹になっても更にもっと詰め込むとかしないで下さいね? 大丈夫っすから」
ずっと? これからずっと? それはもしかして、この先の人生ずっとを意味する? いやそれは期待しすぎだ。そんなことあるはずがない。
一体この男はなんなのだろう、敵ではない。
「あ、忘れてました、俺、タカムラ・イツキ、地球の日本って言う異世界から来ました、二十歳です、勇者やってます、下僕って呼んで下さい、あ、ご主人って呼んでいいですか? ご主人の名前は?」
「フェリス・フィーライン」
「フェリス」
嬉しそうに呼ばれる。その表情がに浮かべる嬉しさの意味が分からずに私は戸惑う。
なんなのだこの男は! 説明を受けても訳が分からない!
出された水をぴちゃぴちゃと飲みながら私はひと心地つく。見渡せば下僕を名乗った男がいないと思ったら、風呂を沸かしていたようだ。
お風呂。
入りたくない。
「ダーメ、ご主人、綺麗にしましょうねー、一人で入れないなら俺が無理矢理入れてあげますねー」
待て、いやほんと待って! この男、イツキは私をまるきり猫そのものと扱ってないか!?
獣人とはいえ半分人なので露出度は高くとも鎧は着ているし、相手が異種族とはいえ、秘するべき場所を見られれば羞恥を覚えるのだけれど。だが男はそんな事を一切知らないように私の着ている薄い革鎧を剥ぎ取り、自身は服を着たまま私を浴槽に放り込んだ。
「ぎ、ぎにゃああああっ」
「大丈夫、支えてますよ、出来れば下僕に爪は立てないで欲しいっスけど回復呪文あるんで構わないっちゃ構わないっス」
香りの無い石鹸を泡立て洗われる。毛がべっちょりと張り付き重さを増す。
「ま、待って自分で洗う! 洗うからぁっ!」
「自分で洗ってくれるなら文句は無いっス」
本当になんなんだこの男は!
私は半泣きで自らの全身を洗う。その間も男に見られっぱなしの羞恥プレイだ。いやらしさは一切感じないが一体何なの本当に。
きちんと全身を洗うのを見届けると満足したのか男は浴室から出て行った。
お風呂から上がれば大きなタオルと、男物だが新しい服が用意されており、タオルでごしごし毛皮の水を吹き飛っていると「ちょっと失礼しますね」とイツキが入って来て魔法で暖かい風を出し乾かされる。毛がそれなりに長いから助かる。私はまだ裸だったのだけど、もう諦めた。
「俺の櫛しかないですけど、明日専用のブラシ買って来るんで今はこれで諦めて下さい」
黒い体毛にイツキが優しく櫛を掛ける。ずっとごわごわだった毛並みがかつてない程ふわふわになり、気分は良かった。ちなみに私はまだずっと裸のままだ。ブラッシングが終わってやっと服を着る事を許される。
しかし本当に何なのこの男は。名はイツキと言った? 下僕と呼べと言っていたけど、何故下僕になろうとするの?
「俺、猫好きなんですけど、賃貸マンションで実家じゃ縁がなくて、一度猫をお迎えしてみたくて。んで、偽善かもしれないですけど個人的な考えでどうせならペットショップで買うとかじゃなく保健所とかで処分されそうなコを迎えたいと思ってたんですよ」
ホケンジョとか意味がよく分からなかったが、この男は私を飼うつもりなのだと理解した。曲がりなりにも人類に分類される私が飼われる日が来るとは。そんな話他の獣人でも聞いた事がない。
鼻息荒くして「い、い、一緒に寝ていただいていいスか、ご主人」と言われた時には性交をする覚悟をしたが、男の匂いのする柔らかな寝台で、ただ抱きしめられ何もされずに普通に眠った。おそるおそる顔を擦り付けられるのが慣れないが嫌ではないし、これまでの、いつ人に石をぶつけられるか分からない中うとうとと外の地面に寝ていた生活を思えば雲泥の差の安心感。ここでは物音がして飛び起きる必要もない。びくびくと怯える必要もない。「すげぇ……もふもふ、至福……」とイツキが微妙にうるさいくらいだ。
イツキは私の前で自らを下僕と呼ぶが、本当に何なのだ。イセカイジンとは皆こうなのだろうか。
翌朝、食事(これまた美味しかった)を用意したイツキは「俺、勇者なんで魔王を倒す旅をしてるっす。夜には移動呪文でここに戻って来ますけどね、ご主人はどうしますか? ついて来てもらってもいいしここで寝てて貰ってももいいっス。いなくなっては……欲しくないっすけど」などと言う。
寝てて、いい?
「疲れてる。寝てる」
「ラジャーっす。また飯時に戻って来ます」
下僕は移動呪文を唱えてどこかへ消えて行った。
独り取り残されたこの家は、逃亡生活で疲れた私には落ち着けて心地よく、肌寒い季節に被る布団はぬくぬくと暖かかった。何もかもを忘れてただ眠った。
ふと何かに撫でられたと思ったら下僕が帰って来ていた。その目はこれまで誰にも向けられたことが無いくらいに優しくて、撫でられたのが何だか心地よく、寝ぼけながら下僕の手に頭を擦り付ける。
イツキはうわご褒美たまらねえスとか何とか呟いていたが、「まぐろの焼いて色々薄味で和えて貰ったのを買ってきたっス! 玉葱はあらかじめ抜いてもらったから大丈夫」と私に食事を与える。食べると、なんとも言えずこれもまた美味だった。こんなに幸せでいいのだろうか。
昼食を共にしてイツキはまた旅立って行った。夕方には帰って来て共に過ごした。夕食になればまた美味しい食事を与えられ、夜は同じ寝台で共に眠りについた。接触は鬱陶しい位にあるが性的な接触は無かった。
そんな日が続き、ふと気紛れに、ソファーにくつろぐイツキの膝にお腹を乗せて寝そべってもイツキは嫌がらなかった。時間が経とうともイツキは私をどかそうとはせず、私は彼がどこまで耐えるのか見てみたくなり、そしていつの間にか私はそのまま眠っていた。寝て起きて、そのままイツキは動いていなかった。私が退くと、イツキは痺れた足で地獄を味わいながら、はばかりへと急いで行った。本当に奇妙なヤツだった。痺れる前にどかせばいいのに。
私はその生活を享受し続けた。そんな毎日は何だかくすぐったかった。下僕も食事を貢ぎ、たまに質の良い服を買ってきてくれた。何故かいつも男物を与えられるから、もしかしたらオスと勘違いしてるのかと思ったが面白いので黙っておいた。いつ気がつくだろう。風呂に強制的に入れられる事は好きではなかったが、それに目を瞑ればとても穏やかな生活だった。昼間寝過ぎた時は夜こっそり抜け出して注意深く街を飛び回る。人に近づかなければ何もされない、大丈夫。もう私は日銭の事を考えなくて良いのだから、人間と距離を取り好きに生きられる。自由に夜の世界を跳び回れば、なんだか夜の女王にでもなった気分。
一緒に寝てあげるのも慣れた。季節はだんだんと冬に移り変わりつつあるので暖かくて心地よい。去年までを思えば天国にいるようだった。下僕を枕にしてやると動けずに痺れるらしいが、主人の心地よさを優先すべきだろう。身体を擦り付けて匂いをたっぷり移してあげたのだ、感謝するべきだ。
気が向いたら、たまに下僕と遊んでやる。すると下僕は目をきらきら輝かせて紐にくくりつけた柔らかいおもちゃを振り回すので、やれやれと思いながら付き合ううちに、こちらもつい遊びに熱が入ってしまうのだ。私は完猫ではない、サイズだって人間だから、たまに跳び移ったソファーを倒してしまったりする。イツキはそれを怒らずにただ笑って粛々と直すのだ。
私はイツキが嫌いではない。
「ご主人、見て下さい、俺、盾とか鎧とかに黒猫の紋章入れるようにしてみたんです」
ある日下僕が、新しく装備に入れた紋章を見せて来た。中心にいる黒猫の尻尾が長く丸く円を書き円環にしてある紋章だ。男が刻むには可愛い過ぎるだろうと私は思ったが喋ってやるのも面倒なので黙っていた。
「勇者が黒猫の紋章つけてたら黒猫のイメージアップじゃね? って作戦っす! 猫虐待マジ反対」
なんと下僕は黒猫獣人が迫害されぬように色々知恵を絞っているらしい。なかなかに見所のあるヤツじゃないか。
そして日々は過ぎ、季節は完全に冬になった。
「ご主人、ちょとオレと一緒に魔王倒しに行きませんか?」
イツキにそんな事を言われる。「魔石モニターで中継されるんで、たくさんの人間が見ています。ご主人が勇者の仲間にいたら一気に黒猫のイメージアップに繋がると思うんです。俺がデカイ傷負ったらテキトーにポーション投げつけてくれるだけでいいんで。ダイジョーブ、俺、レベルカンストしてからラスボスに挑む仙〇タイプなんで負けないです」
仙なんとかはよく分からなかったが、下僕なりに主人のことを考えていると伝わって来たので、ついて行ってやることにした。寒いからと毛皮の上に毛皮を着せられるのは妙な気分だった。だが、大事にされている。その実感は私の心をむずむずさせた。たくさんの防御魔法のかけられた首飾りをつけられ、これまた沢山の祝福のかけられたふわふわのブーツをはかされる。
「最上級装備にして行きますけど、自分から攻撃しようとは絶対に思わないで出来るだけ避けて。防御魔法とかまだ現地でかけますんでそのつもりで。あ、俺が適当に傷ついたらコレ投げつけて下さい」
渡された袋に山盛りの高級そうなポーション、多分私の首に下げられた石一つでひと財産だ。全く彼はよくわからない。そんなものを黒猫獣人の首にほいほい下げるのはイツキ位だ。
* * *
魔王はぐちゃぐちゃとした存在だった。人かと思えばある部分は軟体動物で、ある部分は獅子、ある部分は黒竜。圧倒的質量を持ち、ともすればすくみ上りそうな威圧感だが、「よくあるデザインっすよね」と、さして面白そうでもなく淡々とイツキはそれに斬りかかる。剣を振るう度に魔力の残滓が空間に妙な煌めきを残した。
時に私にも禍々しい攻撃が来たが、届く前にイツキが全て弾く。それでも間に合わずに私が食らう分の魔法をイツキが食らい、流石に流血していたのでポーションを投げつけるとパリンと澄んだ音を立てて割れ、きらきらとした光とともにイツキの傷は全快した。
「ご主人を狙わないでくれないっスかねえ!」
イツキはざしゅ、ざしゅっ! とその細い体躯に似合わない大剣を振るい魔王の触手を切り裂く。
「ご主人の幸せの為なら――」
ザシュッ!!
「下僕は何でもするっス!」
イツキの刺した大剣を通して魔王に特大の雷撃が落ち、長い戦いの末にとうとう魔王は黒い塵になり、風に溶けて行った――。
その後勇者イツキは、自らを召喚した国の国王に謁見し、褒美
に 「黒い動物及び黒い体毛の獣人、黒い毛髪の人間を虐待しないことを国民に努力させて下さい」と要求した。それを受けて国王は、黒いものたちにそれまで認められていなかった、教育を受ける権利や裁判を受ける権利など、他の国民に与えられている様々なものを与え保証した。
***
「あんな褒美で良かったの?」私は訊ねる。世界を渡り、異なる世界を救った英雄に対する報酬があれで本当に良かったというのだろうか。
「あー、俺、自毛が黒なんですよ、バイトで髪を金色にする薬を品出ししてる時にこの世界に召還されたんで、俺と一緒にこの世界に来たその薬でこれまで自分の髪を金パツにしてきたんスけど、ずっと続けると将来禿げそうで、黒髪に戻したいんです、自分のためなんス。黒が悪魔の色だとか災いを呼ぶとかマジねーし、そんな常識迷惑だし」
あくまで自分のため、あれで良かったとサラリと言うイツキ。
その態度に、男らしさを感じない訳が無かった。
匂いをつけるように頭と身体を擦り付ける私。
「おうおう、もふもふ至福」
「ね、イツキ」
「はい、ご主人?」
「イツキは、猫を飼うのは私が初めてなの?」
「ですです、俺の育った家、賃貸マンションって言って動物を飼えない建物で、でもいつか猫をお迎えしてみたくて、ご主人を見つけて、この世界の今の家なら迎えられるなって思って。
あの時のご主人はボロボロで、毛が抜けてて酷い有り様で、あんなお猫様見てほっとける奴は猫好きとは言えないです。
心配しなくても大丈夫ですよ、俺、お迎えした責任はちゃんと取りますから。ずっとここにいてくれていいんスよ」
「下僕、ちょっとベッドにおいでよ」私はイツキの服の後ろ襟を咥えてイツキをベッドに引っ張る。
「なんすかじゃれてくれるんスか、嬉し むぐっ」
「もう春だね? イツキ」
「そっスねえ、ちょっと寒さがマシでほっぺたとか痛くならなくていいですねえ、え、ご主人」
ごろごろと喉を鳴らしながらイツキの服を脱がせる。
「イツキは知らないみたいだけど、春になったら私たちは繁殖するんだよね」
「繁殖」
「責任は取るんでしょう?」
「ちょ待っ、俺オスですよ!」
「私はメス、何も問題ないね」
「はっ!???」
めすぅ!? と素っ頓狂な声を出す。
「え、あの、だって胸とか無……」
「貧しいだけだよ。獣人はだいたいグラマーだけど私みたいな平たい胸のもいるんだ」
「獣人ってよく分っかんねえ!! だって最初に着てたものが毛の上に直に戦闘用の薄い革鎧だったから! 完全オスだと思ってて! っていうか何で今の今まで言ってくれなかったんですかあああっ」
「お風呂で見たろうに気づいてないとか。何もついてなかったでしょ?」
「いや、そもそも毛がもふもふで分からないですし! オレ猫好きだけど猫は追うと逃げるし猫の負担になりたくなくて猫自体あんまり触った事なくて、うちの地域ヘタに高級なとこで地域猫とか一切駄目なとこで野良とか全然いないし、ペットショップは何か可哀想になっちゃって苦手で、猫のアソコとかあんまり見た事なくてっ」
腹に格納されてるとでも思っていたのこいつは。私は爬虫類じゃないぞ。哺乳類は睾丸が体外に出ているものだろうに。でないと発熱で機能が死ぬ。
「まあ聞いてよ。
イツキが好き。毛の色が黒いというだけで私は疎まれ、石を投げられ追われる生活だった。逃げてもその先で追われ餓えに苦しみとうとう盗みまで犯した私を、救ってくれた。
その手を愛おしいと思わない筈がないでしょう? 好き。イツキが作ってくれるご飯が好き。イツキがブラッシングしてくれる時間が好き。一緒に寝ている時の暖かな体温が好き。イツキが外から帰って来た時の汗の匂いすら好き。嗅ぐとなんだか癖になってむずむずする。私の存在を喜んでくれるのが好き。今まで厭われこそすれ、愛でられた事なんて無かった。私の手触りを喜んでくれたのはイツキだけ、私をこんなにも助けてくれたのはイツキだけ、安心をくれたのはイツキだけ、仲間たちの名誉を回復し守ってくれたのはイツキだ。好き、大好き。私に愛を教えてくれた、イツキの子を私は産みたい」
そこかしこを甘噛みして愛を囁く。
「あ、あの、俺、ご主人、フェリスの事狂おしいくらい愛してますけど、毎日毎日きゅんきゅんしてますけど、こういうたぐいの愛かって言うとその、うあっ、止めて色々舐められると野郎は勃つ」
「勃たせてるからね」
「いえあの俺ケモナーでは、ああご主人の舌人間っぽい、ザラザラしてない、あ、あっ」
「嫌?」
「いやちょっと今の今までそんな感覚が無かったから戸惑ってて、うあっ」
「なら」
「うわあああ気持ちいいけど何か罪悪感が凄いいいい」
勇者に悲鳴を上げさせて、私の征服欲が満たされて行く。猫は本来捕食者なのだ。屈服させれば喜びを感じる。この愛しい愛しいオスを同じ匂いに染め上げてやる。少し無理やりだが、拒否はされなかった。
種類が違うかもしれないが、イツキにこれまで注がれたぶんの愛を、今度は私がイツキに注いだ。
私はイツキを愛している。
* * *
今日も私はイツキの膝の上にぐでんと寝そべりブラッシングをされている。昼間はイツキが私に愛を注ぎ、夜は私がイツキに愛を注ぐのだ。何もおかしいことはない。
「痺れた? イツキ」「いえ、至福です」
「私を拾った事、後悔している?」「いえ! 最近までちょっとこうなると思ってなかっただけで! めっちゃ幸せです! 繁殖期、控えめに言って最の高でした。来年が待ち遠しいです、あれを知っちゃったらなんかもう人間には戻れないって言うか獣人さいこうだし誰にも文句は言わせない。……本当ですよ? 今はもう、フェリスの事、ちゃんと愛してますし。いえ元々一生一緒にいる覚悟はしてましたから、その種類がちょっと変わっただけで。つまりケモナー万歳」
「うん」
下僕の返事に満足すると、ごろごろと喉を鳴らしながら頬をイツキにごしごしと擦り付ける。イツキの「たまらん……」という声を聴きながら、私は再び金の瞳を閉じ、その暖かな膝の上で眠るのだった。
ああ、しあわせ。
お読みいただきありがとうございました