やり残し
早朝、扉が開くとほぼ同時刻に掲示板の貼紙が一新される。近所の鼠駆除から遠方の村への出張、商隊の護衛まで、内容は多種多様だ。
そのため冒険者たちの活動も自然と朝早くなる。一番乗りでギルドにやってきて美味しい依頼を奪い合うのである。
勿論、そんなに良いものばかり並ぶはずもなく、誰の手にも取られない紙は次第に端の方へ追いやられ、とうとう無条件依頼のような扱いになっていく。
伯爵の娘の治療などがその例であったが、あの紙はいつの間にか隅の方からひっそりと姿を消していた。それに気づいた冒険者は少なかった。騒いでいたのはあくまで職員達だけである。
この日もランク4冒険者パーティーのリーダーが開店と同時に掲示板に飛びつきそれぞれの内容を吟味していた。彼は一昨日この街に戻ってきたところで、次に商隊が動くまでの間にできる簡単な小遣い稼ぎを考えていた。
「ん? 何だ、これ」
思わず声を上げた男に、まだ貼り替え作業の途中だった職員が顔を向ける。男は職員に目の前の貼紙を指さした。
「この依頼は何だ? 推奨ランクもねえし、内容が曖昧で報酬額も分からん」
「ははは、私達もそう説明したんですけどね」
「……護衛が六歳児だけ? いたずらか、でなけりゃ相当厄介な案件か」
苦笑しながらも否定しない職員の態度に何かを察したのか、暫く考えたあと、男は手を伸ばす。
その隣にあった魔物退治依頼を掴んだのを確かめ、職員はそっと視線を外した。厄介かどうかはさておき、あの子供が例の娘の病を本当に癒したのだとしたら、資金は潤沢だと思うのだがと考えながら。
日課の朝練を終えたあと、ダルとヒュースと合流して薬草を採取し、合間に魔物を間引いて冒険者ギルドで報告を済ませる。
午後はアデリーヌの様子見のためにエアリスへ戻り、ルカと魔法の練習をして、軽食をご馳走される。
「そうそう、その調子です。大きさが均一で丁寧な魔力操作ですね」
「えへへへ。あ」
両手に一つずつ光の球体を直径十センチほど生じさせて維持していたが、気を緩めた途端に両方とも歪んでしまった。
初級魔法【ライト】はセレナディアとして屋敷にいた頃は全員が術名さえ意識せずできた魔法のひとつである。余計な知識を持つ前から教わる魔法は固定観念に囚われず絶大な威力を発揮する可能性がある……と屋敷の使用人は言っていた。
ルカは少し成長してしまっているとはいえまだ幼い。魔力操作をモノにするには根気が必要そうだが、このまま様々な規模のライトが使えるようになれば順調な成長速度だろう。魔法はとにかく反復練習あるのみである。それをいかに子供が飽きないように続けさせるかが問題だが、今のところルカは問題なさそうだった。飽きたら水球に切り替えて遊ばせよう。
「ライトビーム、なんちゃって」
「なにそれ! ぼくもやる!」
建物の影に入って発動した光線にルカがきゃっきゃとはしゃぐ。よかった。正直、自分に魔法の指導なんてできるか怪しかったが、まだ何とかやれているようだ。
「……何ですかな、それは」
時間を告げに来た執事長がジト目でこちらを眺めている。
「執事長もどうですか?」
「……まあ私も嗜んでおいた方が後々良さそうですが。段々と遠慮がなくなっておりますな」
ばれている。
全属性使えることも露呈しているし、今更できることを隠すよりルカの面倒を見てもらえるように知識を共有しておきたい。さらに本音を言うと早めに巻き込んでしまっておきたい。もし自分が長期間不在にすることになった場合、好奇心旺盛な彼が勝手に他の魔法に手を出さないよう止める役目を負ってほしいのである。
大丈夫、大人でも光の初級魔法くらいなら練習次第できっとできるようになる、はずだ。ライトは初級魔法の中でも魔素の消費が少なく、燃費が良い。多少魔力を制御できればあとは想像次第だ。
そんな期待が滲み出ていたのかとても渋い顔をしていたが、溜息を飲み込んで仲間に加わってくれた。
「まさかこの歳で魔法士見習いになるとは」
「じゃあ、じいもビームしよ!」
「ははは。……参りましたな」
ルカは嬉しそうにしていたが、それを見た執事長の笑顔は引きつり気味だった。
そのあと少し休憩してから養成所へ向かい、日暮れから弓の練習に励む。ディアクの指導は週に1、2回程度だったが、一日のルーティンが固定してきたため時間配分に余裕ができたのと指導員が当分この訓練所から離れないらしいことから、ほぼ毎日通っている。
今までならもし毎日来いと言われていたら絶対に街から逃げていたと思うが、陽が傾きつつある街中を目的地に向かって歩く足取りは軽かった。
夕方に自分が顔を出して彼の手が空いていれば訓練、予定があるなら来なくていいと言われている。その方が互いに予定を合わせる必要がなくて楽だし、結局こうして日参りしているわけである。
現在、端から端まで走りながら壁際の的に当てていく練習をしている。途中、指導員……カーターが投げてくる石を避けたり、設置された障害物を飛び越えながら。
「的が止まり続けるわけがねえ。お前が狙われない理由もない」
そう言ってスリングをこちらに構えるカーターに頷く暇もなく次の矢を取り出した。
風魔法を用いないで放つ矢は、百発七十五中といったところ。的の中心近くを狙うと五割を切ってしまう。
味方の援護、行動阻害を目的にするなら敵のどこかに当たれば十分だ。しかし威力を求めるなら急所を一発で狙えるようにしたい。せめて外側に当たるだけでもいいので八割以上を目指し集中し直すが、的に意識をやり過ぎると背中に石が当たり、障害物に足をつまずかせてしまう。
なかなか難しかった。
「二時間走り通しで速度も落としてないのに余裕かよ!」
やけくそ気味に怒られつつ石が飛んでくる。
矢ではないだけ優しいのだろうが、痛いし当たりどころが悪ければ最悪後遺症も残る。彼の攻撃だけは必ず避けながらもう一度矢を放った。
「それ程でも……」
「褒めてねえし! いや褒めたことになっちまうのかこれ!?」
自分で自分に突っ込みを入れている。
彼と話しているとディアクとの棘のある会話と比較してしまい、気持ちがとても穏やかになる。何だろう。この普通さが、とても安心できる。
そう、彼は生徒を最初から瀕死に追い込まなかったし、自分の攻撃で怪我をした時点で終了してくれるし、あざになっていないか聞いてくるし、回復薬を床に追いて先に帰ることもない。
その代わり回復薬を渡されたこともないが、あれはもしかしてそこそこ値の張る物だったのだろうか。いや、彼が大怪我をさせないように気を回している結果だろう。
「もうずっとカーター先生でいいです」
「冗談じゃねえ……絶対卒業しろ。つうか『で』って何? 何か比較した?」
そんな事を望んだせいか、日に日に特訓内容が厳しくなってしまった。短期間で卒業させたいらしい。
ちなみに、数日してすぐに夕方以降の時間に変えられた特訓時間は、ちゃんと残業代として処理されているそうだ。何よりである。
特訓が終わったらエアリスに取ってある宿に戻る。宿屋の従業員からはとくに連絡は来ていないと聞き、礼を言って遅めの食事を取った。
ギルドから依頼の受注か相談があれば連絡を入れてもらうよう伝えてあるが、流石に数日では何もないか、と納得する。いや、このまま何事もなければ誰からも希望されず、塩漬けにされて流されるかもしれない。
「よしよし、順調順調」
満足気に頷きながらシチューを掬って食べる。
オニキスがあの日、ドナード伯とアンジェリーナ夫人の前で養子になるかどうか話し合ったとき、やり残したことはないかと夫人が問いかけてきた。
とくに親しい家族もないし何もない、と言うつもりだったが、家族という言葉に引っかかるものがあった。
いや、思い出したのだ。
「あの、私を育ててくれた人がいて……彼女に会いに行こうかと」
そう言った自分に、伯爵は初耳だと目を丸くした。
「育ててくれた人、とな」
「はい。小さい頃からずっと面倒を見てくれていた人です」
「そうか、それは大事だな」
だが彼はすぐに理解を示し、詳しく事情を尋ねてきた。
「で、どこに住んでいるんだ? もし大変でなければ招待状を持たせようか。話し合いが必要かもしれんしな」
「それが……」
「何?」
元々住んでいた家は火事のせいで暮らせなくなり、その人とも離れ離れになってしまったのだと打ち明ける。
ここに来る前はなんとか北方の村に辿り着いて居候させてもらっていたこと、おそらく東から移動してきたがその時は土地勘がなくどこからどうやって来たか記憶が曖昧なことも伝えた。
「何と。……ああ、それで薬師殿の弟子をやっておったのだな」
驚きつつも、どこか納得の色を示して頷いている。家を失ってやってきた土地で、手に職を持とうとしていたと思われたのかもしれない。まあ実際そうだが。
「では今はどこに住んでいるか分からんのか」
「まったく」
「血の繋がりもないんだな?」
「恐らく。他の子供とまとめて面倒を見てもらっていました」
「まとめて……孤児院か?」
「いいえ、普通の家でした。小さい頃だけ親戚の子と一緒に世話をしてくれていたんです」
ううむと唸る伯爵。とくに場所は分からないが方角的に元あった家が東の、ズィルバン帝国方面の可能性もあると伝えると、より眉間を寄せて唸り出す。人相絵をばら撒くわけにもいかんか、他国ならほかの領地に頼んでも無駄だな、などと呟いている。
「北方の集落は免税している代わり、情報も暫く入っていないからな。人の往来も把握しとらん。巡回の騎士も最近はめっきり減らしていたからな……今どうなっていることやら」
「そんな不確かな情報だけで探すつもり?」
夫人まで不安げにこちらを見つめてくる。ごもっともである。こちらもそれは弁えているので、ひとつ提案してみる。
「なので期限を設けようかと」
アデリーヌは最低でもあと一年、編入時期を調整するなら一年半はこの屋敷で養生しなければならない。なら自分もその時期に合わせて戻ってくれば良い。
たとえ見つけられなくてもそれまでに帰るようにすると言ったら、ようやく首を縦に振ってくれた。渋々、といった様子だが。
「手がかりが出たわけではないけれど、失敗しても気長に探す気でいるのなら試す価値はあるわね」
アンジェリーナ夫人は私の説明で、世話をしてくれたという女性の話が気になったらしい。ほかに家族の話をしなかったのもあるだろう。ドナード伯爵が家族想いなのもあり、身内は大切にするべきという価値観が根付いているのかもしれない。
これで元の家が家と言うより屋敷規模で、世話をしてくれた人は村の女性とかではなく使用人の一人で、放火したのがその使用人自身だったことまで説明していたら確実に引き留められて根掘り葉掘り問い質されていたに違いない。
もしかすると村や町の子供達を世話する乳母のようなイメージを抱いていそうな伯爵が、まあそれなら構わんか、と膝を叩いた。ボロを出さないように黙って次の言葉を待つ。
「君が遠慮しつつ希望すること自体珍しいからな。良い女性なのだろう。では護衛は誰をつけるかね」
「え?」
「は?」
しかし、その問いかけに思わず声を上げて聞き返してしまった。
不思議そうな二人の視線がぶつかり合う。
「いや、遠方で時間もかかるだろう。ああ、既にあてがあるのか」
「え、いや……」
ここで「はい、勿論です」と答えていればよかったものを、突然だったため正直に戸惑っていたら、二人から執拗に護衛をつけろと諭されてしまった。
「何故養子にするつもりの幼子をひとりで行かせると思うのかね!?」
「いくら冒険者だからって、ねえ。有り得ないわ」
焦った。しかし彼らは頑として引いてくれず、うちの騎士が不満ならせめて雇ってこいと硬貨のたっぷり入った袋を手にねじ込んで命じる始末である。
まだ先日貰った報酬にさえ手を付けていないのにと返そうとしても受け取ってくれず首を横に振られてしまう。仕方なく、肩を落として屋敷を出て行った。
とはいえ彼のポケットマネーは娘の長年の治療費でほぼ枯渇していたため、騎士の人数も絞り込んでおり、護衛の適任者をすぐ思いつかなかったのは不幸中の幸いだった。
ならば先んじて冒険者ギルドで依頼を出そうと考え、今に至る。
「移動のことを考えると、一人の方が圧倒的に楽なんですが」
もぐもぐとパンを浸して齧りながら反芻する。
そう、人気がなければ空を飛んでいきたい身としては、連れ歩く人数はゼロが良いのだ。
北の山脈まで移動して人里から離れた辺りで飛行すればかなりの時間を短縮できるはずだ。地図で確認するとズィルバン帝国の国境まで平野の馬移動でも二十日はかかる。間のアースの各領地を跨いでやっとという距離なのだ。その距離をさらに乗合馬車を利用して宿を転々とする場合は倍以上の日数がかかるそうだ。
しかも探し物が酷い。どこの森とも知れない中にひっそり佇んでいた屋敷を、ほぼ何も情報が無いところから探さなければならない。しかも今は瓦礫しか残っていない可能性すらある。
まあ自分も別に、本当に彼女と会えるとは考えていない。
「しかし」
音を立てずにフォークで刺した野菜を食べる。
今まであまり考えずにいたことだ。
あの屋敷のことである。
あの爆破事故の後、屋敷が全焼したのか、早めに鎮火されたのか。死人は出たのか出なかったのか。彼女は処罰を受けたのか、死んだのか。
そういった仮定の想像をすべて端に追いやっていた。彼らから逃すために追い出したのだとしたら、彼女は自分達のことを顧みてほしいとは考えないだろうから。
いや、生きているのならば別に良い。彼女のことだ、上手くやっているに違いない。
自分もこうして自立できたことだし、下手に会って揉め事に発展してしまったら問題だ。あの屋敷を所有していたらしき本来の実家が安全とは限らない。どころかかなり黒い内情を抱えていると踏んでいる。これから本当に血縁者と出会っても良いことが起きるとは思えない。
だが、もし仮定として、あのまま死んでしまっていたら。
あの屋敷の瓦礫とともに野ざらしにされている可能性があるとしたら。
「……時期も過ぎたし、そろそろ良いはず」
今の自分には新しい名前があり、見た目も変化している。冒険者ランクも低く、そんな子供らはこの土地にもごまんと存在する。今なら人々の間に紛れ込みつつ情報収集ができそうであった。
だから、まずはあの屋敷を目指そう。
そして彼女の生死を確かめることができたら、もしもの場合は―――弔えるだろうかと。
「………ノルン」
ぽつりと漏れた言葉は、随分久しぶりに聞いた気がした。
懐かしいような、そうでもないような奇妙な感覚だ。水を飲んで気持ちを紛らわせる。
あの中身のない依頼書に手をつける間抜けはそういないだろう。
暫く様子を見て、誰の手もつかなければ幸いだ。そうしたら事情を話してダルとヒュースを雇ったと伯爵に紹介するつもりである。
そして二人と一緒に途中まで移動してもらい、頃合いを見計らって別れる策戦だ。二人になら飛行魔法のことくらい話してしまっても構わない。きっと誰にも言いふらさないだろう。ついでに時間があればディルバ村に寄ってもいいかもしれない。
なので是非誰も立候補しないでくれと祈っていた。
しかし、月を跨いだ頃、その報せが届いた。
「え? 依頼の希望者がいる? そんな馬鹿な……」
「何で依頼出したの?」
宿屋の娘が不思議そうに首を傾げて、衝撃で固まってしまった自分を見下ろしていた。




