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黒石の魔女  作者: ku
2章 新たな家族
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身体強化

 目を閉じて、呼吸を楽にして、身体の内部に意識を向ける。

 一回できてしまうと忘れないが、これが魔力だと意識するのは難しい。私も最初は分からなかった。小さい子相手に真面目に魔力とは何かを説いても無駄ということだ。

 その代わり、魔法を目で見て、魔力を多量に含む魔物を観察して、時間をかけてどういうものなのか知っていく。

 しかし非効率を嫌うのか、あそこの使用人、必ず戦闘訓練を課してきた。

 特に魔物の観察が酷かった。逃げられない個室で弱った魔物と相部屋にされ、瀕死ながら激しく抵抗してくる魔物を倒すまで出してもらえないのだ。しかも時間を置くと生命力の強い個体は自己再生を始める始末。さらに始めは刃物は危ないからという理由で素手であった。防具もなかった。

 引き摺られて色々思い出してきたが、まあ何やかんやあり、自ずと魔力について知るようになった。

 因みに魔力を知覚できなくても魔法は使えます。

 じゃあ魔法より先に必修にするなという文句はあそこの人達には無効である。覚えたら便利なので否定できないが、だがこう、教え方が致命的に間違っている気がする。

 

 話が飛んでしまった。アデリーヌの方だ。

 魔法ではなく身体強化から教えるという難易度の高い訓練にしたのは、そうせざるを得ないからだ。最終目標は歩けるようになること。これは二人で決めた。

 原因は謎だが生まれた時からの体質だったのだろう。いくら高い回復薬でも「異常」でなければ治せないのだ。治療しに来た人も、彼女も、不運だった。

 体質なら仕方ない。無理矢理変えるしかないのだ。それなら身体強化で改造してしまえば良いではないかという結論に至った。

「はい、では、体質改善のための訓練と名付けましょうか」

「それ良いわね、素敵。とっても良い響きだわ」

 彼女が手を叩いて喜んだのでそれで良いことになった。やる気に繋がるなら良い。

 手本として自分の筋力を強化して壁から壁へ動いてみたり、指先を強化して爪を伸ばしてみたり、聴力強化で遠くの物音を拾って教えたり、まずは実演。「凄いわ」しか言わなくなってしまったが、貴女もやるんですよ。そう返すと固まった。

 その後、体内の魔力を意識する訓練へ。静かに呼吸を整えて目を閉じているだけなので、とても地味だ。だが大事な過程である。

「うう、難しいわ、オニキス……」

「練習ですよ、アデリーヌ様」

 根を上げるのが早い彼女を励ます仕事を隣でやっている。暇なので、膝に石を置いて移し替えをした。

 

 

 

 

 

「うう……ぅ」

 駄目でした。

 数刻しないうちに泣き出してしまった。

「どうしました。どこか痛みますか」

 移し替えで気分が悪くなってきたので、自分も精神統一をしていたところだ。集中し過ぎて気づかなかったうちに彼女の両目からぽたぽたと涙が落ちていた。

「ひっ、ちが、違うの。せっかく、うっく、オニキスが教えてくれるのに、ひっく、わたし、だめだから、」

 瞼をごしごしする手を掴み、背中を撫でる。ううむ、思っていたより情緒が不安定だな。できない自分を追い詰めてしまったようだが、一日でできるようになったら私が驚く。

「すみません、私が悪かったですね。まずどれほど難しいことなのか説明があるべきでした」

 反省だ。そんなつもりはなかったが、屋敷的スパルタ授業になってしまっていただろうか。まず身体に覚えさせろ、話はそれからだ、のような。

「いきなり始めて今日できるようになる訳ではありません。人によりますが、長ければ数年かかることもあるそうですよ」

「そ、そうなの?」

 そうらしいのだ。説明してくれた使用人は十日くらいで覚えたそうだし、自分もそれくらいで理解できたが言わないでおく。

「そんなにかかるの……。もし、ずっとできなかったら、どうしよう……」

 再び俯いてしまった。正直、子供のお守りほど自分に向いていない仕事も無いと思うのだが。いつも仏頂面だし気の利いた台詞も言えない、精々ボディーガードにしか使えない人間なのに目の前で泣かれると途方にくれる。その割に前職ではお嬢様がべったりだったし、今も彼女やルカから構われていて解せない。

 ここで慰めたら落ち着くか? 否、自分の能力に対して自信が持てないのに一時的慰めは無意味だ。では厳しく躾けるか? 否、それは彼女が自分自身に行なっていることだ。今更私が言う必要はない。というかそんなことをしたら今度こそ心を塞いでしまいそうだ。

 それによく考えたら私も悠長なことを言っていられないかもしれない。本当に一年以上かかってしまったら、伯爵はヨーラを呼び寄せるに違いない。

 だとしたら、解決策を講じるか? 可能ではあるが、この方法はあまり使いたくないのだが……。

 見ると、まだ彼女は俯いたままだ。仕方ないか、と意を決する。

「あの、もしかしたらすぐに覚えられるかもしれない方法があるのですが」

「え?」

 こちらを見上げて目を見開く彼女に、固い声のまま慎重に教える。

「おすすめはしません。簡単に言うと、他人の魔力で体内の魔素に干渉し動かして、強制的に覚えさせるのです」

「かんしょう?」

「要は、私がアデリーヌ様の代わりに魔力を動かすので、その感覚だけ追ってもらえればいいですよ、ということです」

 そう言うと、こてんと首を傾げてみせる。

「えっと、どうしておすすめしないの? だって、絶対その方が早いでしょう?」

 良かった。すぐにやろうと食いついてこなくて助かる。彼女はこういう時、とても冷静な性格をしている。

「不快感を伴うからです」

「不快感? 気持ち悪い、のかしら」

「はい。自分の体が勝手に動いている感覚、支配されている恐怖を受けます。それに、血液を動かすようなものですから、場合によっては痛みを感じます。アデリーヌ様、私は、時間をかけても自分で覚える方が負担がなく良いと考えます」

 都合的には早く覚えて欲しいが、彼女の立場を慮るとそういう訳にもいかない。

 無抵抗で魔力の干渉を受けることほど気持ちが悪いことはない。互いに了承があり、丁寧な魔法であればまだしも、本来魔法を使う者は他者からの干渉を嫌う。いつでも殺されかねない状況を嬉しがる変態はいない。

 だから何も知らない相手にこの方法を教えること自体躊躇われるのだが。

 暫く私を見ていた彼女が、静かに頷いた。

「やって。でもオニキスじゃなきゃ嫌よ」

「いいのですか」

 女性でまだ幼い子供なのに、理解できていないだけではなかろうかと疑う。

 彼女はさっきの泣き顔も嘘のようににっこり笑っている。

「だからオニキス以外はいや」

 ね? と促され、どうやら本気で言っているらしいと悟る。ふう、と溜息を吐いた。

「肝が据わっていますね、アデリーヌ様。いつでもやめていいですから」

「優しいのよね、ほんと」

 そんなことを言う彼女を無視して手をもう一度握り直す。魔力が弱々しく、やはり中央から溶かすしかないかと眺める。

 視力強化。皮下、体組織そのものを注視するように、そこにある色もない純粋な「力」を感じ取る。

「では、『入ります』。まずは魔力を同化させます」

 なるべく丁寧に行いたい。その一心で彼女の魔力を探る。動き方、速度を追いかけ、捉えようとする。

 私の魔力を指先から僅かずつ侵入させていく。

 まだ感覚はないようで、彼女は不思議そうに手元を眺めていた。辛いのはこの後だ。

 彼女の魔力と私の魔力では質が異なりすぎている。その差を埋めるように変質させ、一体化するまで時間をかける。魔力の移し替えを毎日行なっていて良かった、本当に良かった。その成果が同化時間の短縮に繋がっている。

 どちらのものか分からなくなるほど同化が完了したところで、次の段階へ進む。

 私の力で彼女の魔力操作を奪う。

「は……?」

 突然動かせなくなった体に驚いているのだろうか、だが今はそれどころではない。

 暴れないように流れを操り、身体を固定する。心臓付近、下腹部、四肢の順に魔力の流れを作り、それに乗せるように中央に沈殿していた魔素を切り崩す。

「いっ、イ……ッ」

 ガチリと奥歯を鳴らす音が聞こえた。一瞬で青ざめた額に汗が浮いている。そうか、痛覚が先に来るか。やはり凝り固まった魔素を崩すこと自体が一筋縄ではいかないようだ。

 跳ねはするが身動きは取れない状態の彼女を観察し、それ以上の問題はなさそうだと作業に集中する。

 僅かずつ、それこそ一ミリにも満たないような分量を削り、その分だけ下半身に流し込む。これまで全く与えられなかった魔素と魔力に過剰反応する下肢が強張っているので、少量ずつゆっくり動かした。

 

 

 

 

 

 疲れた。

 自分の魔素を輩出し続ける移し替え訓練とは違いそこにある魔素を操作するだけだが、他人の体内での緻密な作業だ。強化し続けた眼球が痙攣しているし、水泳で何時間も泳いだ後のような倦怠感が全身に襲っていた。

 彼女の方は全身にぐっしょりと汗を掻き、布団に突っ伏して気絶していた。魔素の塊はまだほんの少ししか削れていないが、疲れて魔力操作を解除した途端に倒れたので使用人も呼んで急いでタオルで拭いてもらったりしている。


 そんな中、廊下で伯爵と執事長、そして奥方様の厳しい視線に晒され、弁明をしている。先に説明すべきはこちらであった。

 私の服の裾を掴んでそわそわしているルカの背を宥めながら、何をしていたのか洗いざらい説明した。

 最初は憤って突っかかりそうだった伯爵も、聞いているうちに大人しくなり、しかし聞き終わるとまた厳しい顔つきになった。

「オニキス、我々に許しもなく、なぜアデリーヌだけに危険な判断を任せた」

「申し訳ありません。全て私の不注意が原因です」

 きつく叱られているが怒鳴られないのは、治療のためだと分かっているからだろう。彼も彼女の身体が治るかもしれないと期待している。

「いつの間に、そこまで心を許していたのね、あの子は……」

 頬に手を添えて溜息を吐いたのは奥方、アンジェリーナ様だ。ドナード伯とどれくらいの歳の差なのか聞いてみたくなるほど若々しい。こうして間近で見ると、どちらかというとルカと似た顔立ちをした線の細い、おっとりとした美人だ。髪の色はこの辺りでは見かけない銀色、瞳は薄い緑だ。ニジルガラハウンドと似ているなという感想は永劫胸に秘めておこう。

 彼女は心配しつつも別のことが気になっている様子だ。いや、それは私も知りたいのだが。

 そして一番衝撃的だったのが執事長の厳しい叱責だった。

「オニキス殿。他者の魔力を操作することは場合によっては犯罪として身柄を拘束される恐れのある、大変危険な行為です」

 全く初耳である。

「え、そうなのですか」

「そうなのですよ。失礼ながらオニキス殿はどちらからいらっしゃったのか……」

 その台詞、つい先ほど聞いたばかりのような気がする。

「魔力操作の件は理解できます。ええ、そのことも色々と伺いたいことがありますが、他者の肉体を改造してどんな副作用があるかも分かりません。しかも生まれた時から固まっていた魔素を崩したとか。どれほど危険な行為であるか分かりますね」

 そんな感じで懇々と説教させられている。うむ、完全に私のせいであった。耳が痛い……というか始めて知った内容だったので興味深く傾聴していた。

 そうか、この世界、魔法に関する法律もあるのか。考えたら当然か。魔法を学ぶ前に法律の勉強をしたくなってきた。

「あの、反省していますか」

「勿論です」

 神妙に相槌を打つ。呑気に冒険者なんかやっていたがこれは由々しき事態である。しかし、法律系の書物、冒険者ギルドにあったろうか。なかった気がする。もしかして協会とかに行けば見つかるだろうか。

「あの、本当に聞いていますか」

「ええ、耳の痛い話です」

「オニキス殿……」

 半眼になった執事長が声をかけようとした時。

 

 わっ、と室内から声が上がった。

 

 顔を見合わせて扉を見やる。どよめきが壁越しに伝わってきていた。

 何かまずいことが起きたのかと急いでドナード伯が扉を叩き開けた。しかし、その背が数歩室内に入った途端動かなくなってしまった。

「お、……おお……」

「どうしたの、貴方……」

 妙な声をあげた彼に続いた奥方様も隣で固まった。仕方なくその傍からこっそり顔を出す。

 

 アデリーヌが立っていた。

 震えながら、ベッドから足を下ろし、侍女に寄りかかりながら立ち上がっている。

 魔素を流した影響がこんなに早く出るとは思わず、自分も驚いて固まる。

「あ、お父様、お母様……」

 こちらに気付いて声を上げる。生まれたての子鹿という表現がまさにぴったり当て嵌まるような震えっぷりだが、その足が一歩、二歩と前へ進む。

 三歩目は残念ながら挫けて座り込んでしまったが、その後の彼らの喜びようは言葉で表せないほどだった。

 


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