糸口
しゃりしゃりと皮を剥く音が流れる。
「今日はうさぎさんがいいわ」
「畏まりました」
ベッドの脇に椅子を並べて座り、黙々と林檎を切っていく。手早くやらねば色味が落ちてしまう。
午後、こうして時折訪ねては、彼女の様子を見がてら話し相手になる。ルカは今のうちに屋敷内の花を交換中だ。
最初の頃は女中もいたし、ちらちらと公務を抜け出して顔を出す伯爵もいたのだが、彼女が二人にしてほしいと毎回言って退散させている。落ち着かないから、だそうだ。
毒味役の女中くらい残してもいいのではと私が言うと、目一杯頬を膨らませて拗ねてしまったので、裏でこの屋敷の使用人らと話し合って諦めてもらっていたりする。
伯爵については更に奥方様もいらっしゃる。何度かお見かけしたが、彼女に似た上品な顔立ちに綺麗な笑みを浮かべて、なおも扉の前で粘るドナード伯を引き剥がし回収していた。女系の家だった。
うさぎ林檎に氷魔法を用い、ひんやりしたままの状態を差し出す。美味しそうに少しずつ齧っていくのが小動物めいているなと眺める。
合間にバラの林檎を作りながら、例の訓練の話になった。
「冒険者の養成所ね、ふうん」
「ご存知ありませんか」
「知ってるわ。でも、私、冒険者ってオニキスしか知らないの」
「ランク2の私だけですか。それは光栄というか、お恥ずかしいというか」
つい先日ランク2に昇格したのだが、それでもまったく半人前である。魔物討伐をしているわけでもないし。
「またけん、けんそん? それって良くないわ、お父様はオニキスは凄いって言ってるのよ」
「何と。恐れ多いことです」
私はただ相槌を挟むだけ、質問は専ら彼女の方から出てくる。私より歳上だが、友達らしき相手もいなさそうだし、新鮮なのだろう。
冒険者養成所の話題に戻るが、始めて彼と打ち合いをしてから、防具は新調している。というよりウェスに頼んで普段着とは別に訓練用に一式揃えて貰った。もっと鍛えてから〜などと言っていた気もするが、気のせいだ。
訓練自体は週一くらいだし回復薬を頂けるので回復するとはいえ、最初から怪我しないように準備するのも大切だ。
「アデリーヌ様と同い年くらいの子らもいます。剣だったり、杖だったり、自分の好きな武器を使って練習するのです」
「へえ、オニキスはやっぱりそれ? それとも杖?」
「これですね」
ちらりと二人で腰に提げているナイフホルダーを見た。
「そうなのね。でも、魔法も凄いでしょ。魔法はやらないのかしら」
「私に魔法を教えられる先生がいないそうですよ、剣の先生も、まあ、ナイフは使ってくれませんが」
「ふうん? その先生は凄いの?」
凄いの定義がよく分からぬ。だが、強さで言うなら飛び抜けている、のではなかろうか。人生で出会った剣士がほとんどいないので比較対象に乏しいが。
「凄いというか、『剣聖ディアク』と呼ばれる人が教えてくれているのですが」
「えっ、剣聖様が⁉︎」
ん? と顔を上げる。彼女も驚いているらしく、片手で口を隠していた。
目を丸くして林檎を食べる手が止まっている。
「ご存知ですか」
「知ってるわ! この街の人ならみーんな知ってるわよ! 王都の聖騎士様より強いって噂よ? 魔物から街を救った剣聖様よ?」
はて、と首を傾げる。
「そんな逸話があったのですか」
「あったのよ、本当の話なんだからね。知らないで教わってたの?」
「そうですが、人違いかもしれませ……」
「そんな有名な方の真似をする人なんていないわよ、みんな知ってるもの。オニキスってどんなヘンピな町から来たのかしら」
散々な言われようである。
しかし、全く知らなかったので否定できない。
確かに、自分から積極的に「剣聖」に関する情報をシャットアウトしていたから初めて聞いたな。やはり、碌な人物ではなかったようだ。
あまり詳しく知りたいと思えない、知ったら知ったで彼への苦手意識が加速しそうだと考えていると、
「ねえ、どんな訓練をしているの?」
ディアクとどんな訓練をしているのか?
思わず口籠る。
突然黙った自分を不思議そうに見つめる無垢な顔。
「そうですね、剣の打ち合いを」
つい視線を逸らしながら話す。
「まあ、オニキスは騎士様になるのかしら」
「なりませんが」
冒険者の養成所で訓練をしているのだから、なれたとして傭兵か戦士くらいではないか。なお、どちらもなる予定はない。
「だって剣聖ディアク様のご指導なのでしょう。みんな羨ましがるはずよ。あのお方は王都で公爵家も王族にもお呼ばれされてらっしゃるもの」
そうなのか。薄々そんな気はしていたが、そうなのか。
いかん、師弟関係なのに益々近寄りたくなくなってくる。
「アデリーヌ様もお詳しそうですね」
「それはもう! ……ぜんぶ聞いた話だけど」
ややばつが悪そうに視線を逸らされてしまった。それには突っ込まずに話を戻す。
「良い実験台にされているだけです。騎士に仕立て上げようとか、そういうことは考えていないと思いますよ。武器もこれですし」
そう言って腰元をぽんと叩く。
何せ一度も剣を取れと命じられたことがない。あくまで慣れ親しんだ戦闘スタイルでの戦い方を学んでいるだけだ。
対する向こうは長剣一択。ナイフを持って教えてくれることもなく、ひたすらリーチ差のひどい武器でビシバシしごいてくる。一本どころか掠りさえしないであしらわれており、上達しているようないないような、実感が湧かない。
せめて一撃入れたい。それくらい思わないとモチベーションが維持できないのだ。上手いこと衣服の下にのみ痣を残す性格の悪さには流石の私も腰が引ける。
……ん? そもそもどうしてナイフばかり特訓しているのか。
一度魔法に興味があると言ってみたが、ディアクが「ここには指導できるほどの魔法士はいないんだ、ごめんね」と言っていたのでそうかと受け入れていた。
だが指導員がいなくても自主練をすれば良いではないか。魔法士見習いだって初級魔法を練習している、それに混ざるか、夕方以降に練習すればよい。
なのに、どうしてディアクが一人でメニューを決めている。というか何故毎回ディアクしか指導員としてついていないのか。それなりに有名人だったのではないのか。
軽いショックを受けている横で、彼女はひとり手を組んでうっとりと宙を眺めている。
「はあ、戦うオニキス。どんな風に舞うのかしら」
アデリーヌ様?
何かあらぬ妄想に耽っているような気がするが、その台詞に耳を疑う。舞ってはいないし、剣を振るっていないと言ったはずなのに。幼児の戦う姿なんて微笑ましくなるだけ……いや、目を背けたくなるだけだな。あの場面だけ区切ったら、児童虐待にしか見えないだろうし。
おほんと咳払いする。
「まだまともに武器を振るうこともできない半端者です。ご想像とはかけ離れていると思いますよ。いつも攻撃を食らってばかりで……」
そう言ったら今度は心配げな視線を向けてきた。
「オニキス、怪我とかは大丈夫なの?」
ああ、そちらの心配か。
「大丈夫です、その点、あの人は丁寧ですから」
丁寧に全身滅多打ちにしてくる。
言葉尻を濁せば彼女はそれならいいけど、となおも不安そうに見つめてくる。
「ご安心を。防具もそうですが、身体強化を欠かしていませんから。多少の怪我は防いでしまえます」
「身体強化って?」
「魔法の一種ですかね。まあ、魔法士でなくとも、武芸を嗜む方でしたら使えるとの事ですが」
ファンタジー世界要素、魔力と気力。
魔法は魔力で行使されるが、武闘派もとい魔力を扱えない者は「気力」なるものを使うらしい。気力は精神力とも言い換えられることがあり、全身に巡らせることで身体能力を向上させ、発展させれば武器防具にも付与させることができるとか。
それって魔力を無意識に使っているだけでは、と私は思っている。現に、かの剣聖殿も体内の僅かな魔力を常に均一に巡らせている。事象の変換まではできずとも、訓練を重ねることで体内で魔力を操作できるということだ。
それと比較して目の前のアデリーヌ様の場合は、まず魔力の流れが感じられない。いや、微かに動いているものの、澱のように体内奥へ沈殿し、それが凝固して動きを堰き止めているように視える。
これではどうやったところで、
「……………」
「オニキス、どうかした?」
無意識に口元に手を伸ばしていた。
今、何を言ったのか思い出せ。
「どうやったところで、流れようがない?」
……そうだろう。魔力が凝固していれば、流動することは不可能だ。
彼女の身体を視る。やはりいつものように心臓近くで滞留している魔力を感知できる。その代わり、足先にはほとんど魔力の動きがない。
この世界の法則では、生物は大なり小なり魔素を含み、魔素を動かす力を魔力と言い表している。血液があって血流、血圧があるようなものだ。つまり魔力とは、魔素を動かす力の総称を表す。
魔力がないなら仕方ない。だが、彼女は有しており、かろうじて生きている。それは大事な臓器の動きを何とか保てているからではないのか。
歩けないのは、このせいなのでは。
「……。身体強化というのは」
ぽつり、考えを纏めながら言葉に変える。
「体内の気の流れを自ら変え、肉体を強化させる技術」
だがそのためにまずクリアしなければならない技術がある。
「気の流れを変えるとは、体内魔素を知覚し、魔力で流れを生むこと。結果として、体組織を構築する魔素そのものを改変、あるいは運動させることで常にはあるまじき力を一時的に得ること」
代償として筋肉痛だとか鋭敏化だとか色々あるが、それは今回は置いておく。
「オニキス?」
「アデリーヌ様、やってみましょうか」
「えっ、な、何を言っているの?」
戸惑う彼女を見つめる。いや、正確にはその内部の魔素、魔力を探るため、無色透明の気配を辿る。
「今のアデリーヌ様の身体は、本来淀みなく流れるはずの流れが止まり、末端に力が入らない状況です。時折激痛が走ると言いましたね。恐らく、停滞している塊が流れを堰き止めているため異常な動きをするのかと」
探りながらゆっくり説明する。彼女の口が閉じる。
それから、どれくらい時間が過ぎたか。
「本当にそれが正しいの?」
冷たい声だった。
そこには、冷めた両目でこちらを見つめる、硬質な気配があった。
今まで何人の医師が彼女の前から立ち去っていったのだろうか。そう思わずにいられないほど、年齢に不釣り合いな諦念の色を浮かべて。
だが自分は医師ではなし。今までの彼女の事情も知らない、しがない冒険者だ。
「医学的根拠はないですね。一般知識を思いつくまま言ってみただけです。それで正解かどうかはさっぱり」
首を振り、両手を広げて惚けてみせると、彼女はぽかんと口を開けてしまった。
だが、少しもしないうちにくしゃりと笑いを零す。
「本当のお医者様じゃないものね、オニキスは。神様のことは信じていて?」
「いてもおかしくはないでしょうが……」
そこでどうして神が出てくるのか謎だ。
この地域にも信仰はある。広く普及しているのは地母神ネルスを主神に祀る多神宗教「ネルズ教」だ。ネルスの地に生きる我ら、という意味らしい。他にも主なる地域が異なるが「真聖典教」とか「聖竜教」とかもあるらしい。
まあ、私自身がこうなったことに意図を付けるなら神がいてもおかしくないとは思う。偶然の産物だと思うが。
こんな回答でよかったのか、しかし彼女は満足そうに笑っている。
「そう、なら、試してみる。司祭様でも、お医者様でもない、オニキスが、……オニキスが、ずっと来てくれたんだもの」
なるほど、彼女はもしかしたら無神論者になってしまったのかも知れない。そんな、割とどうでもよいことが過った。が、口には出さない。
いつも不安なときは毛先を巻きつける指が、そっと、ベッドに添えられていた私の手に触れた。




