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黒石の魔女  作者: ku
2章 新たな家族
33/44

領主の館

 翌日、ギルドで詳細を確認してから指定の場所へ赴いた。

 辻道の端にあったテラスで休んでいると、向こうから二頭立ての馬車がやってくる。

 ぐるりと旋回して脇に停車する。その背面には教えられていた通りの紋章が施されている。


「こんにちは」

「こんにちは。おや、一人ですか」

 御者台から降りてきた男が少しだけ意外そうに目を丸くし、優しく笑った。

「オニキスです。よろしくお願いします」

「ほう……なるほど。こちらこそよろしくお願い致します。それでは参りましょうか」

 感心したように頷き、座席を開けてくれる。何か事前情報でもあったのだろうか。聞きたいような聞きたくないような。

 昨日見た大通りを再び観察する。表に面しているのは店舗がほとんどで、住宅は全て脇道に逸れた所にある。途中、武具を扱っている店があった。昨日はそこまで回れる時間がなかったので、後ほど覗いてみたいところだ。……ディアクの訓練前に揃えられるだろうか。

 大した距離はなく、すぐに建物が見えてきた。今回は花壇の広場を突っ切り、正面から入場させてもらえる。するりと入っていった先にも、同じように花壇の並ぶ庭があった。

「可愛らしい花壇ですね」

「そう言っていただけると街の者も喜びます」

 馬車を降りた時に伝えたら嬉しそうに返事がきた。この庭園のことを褒めたのに、なぜ街の者なのか。お抱え庭師ではなく街で雇ったということか、花の仕入れ先があの通りの店舗なのか。

 別の男性に交代し道案内を受ける。玄関先から中へ入り、一階の応接室へ。

 先に通されて待っていると廊下から足音が聞こえてくる。

 現れたのはここまで案内してくれた男性と、また別の男性の二人だ。その後ろには侍女が一人控えている。

「お初にお目にかかります、オニキスです」

 暫くしても誰かが代わりに紹介してくれる様子がなかったので自分から挨拶をしてみる。

「おお、おお。礼儀正しい子供だ。ドナード・エアリスという」

 そう言いながら握手を求められる。やはり領主だった。

 この地域でよく見かける薄茶の髪に緑がかった灰色の目。歳は五十か後半あたりだろうか、笑うと深まる皺は厳しさより人当たりの良さを醸し出す。

 出されたのはミルクたっぷりの紅茶と、焼き菓子。ざくざくとした食感にナッツが混ざるのとそうでないもの。

 ありがたく舌鼓を打っていると、明らかに向かいのソファでそわそわしている男が視界に入る。もう少し、こう、雑談を挟む感じかと思っていたので固まった。慌てずにカップを下ろし指についた粉を拭う。

 おほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。

「それで、君は私の依頼を受けて来たのだね」

「はい」

 念押しされ頷くと、じっと双眸が合わさる。

「情報の方だと聞いたが、早速教えて貰おうか」

 早いなと思ったが然もありなん、まだご息女の容態は改善していないのだ。

 ギルドで聞いたところによると、彼女は生まれて暫くして体調を崩しがちになり、身体が成長していくとそれが顕著になっていったという。しかし動かず時間を置けば痛みは取れるらしく、結局は椅子や寝台の上で過ごすようになったらしい。

 厄介なのは原因が分からないことだ。回復薬の中でも効果の高い特級ポーションを用いても治らなかったらしいのだ。下級、中級、上級のさらに上にある特級でも駄目ならば、先天的なもの、つまり病気ではないのかもしれないと、ある医師は判断したそうだ。

 その父ドナード・エアリス伯はこのように治療法を探し続けているわけだけれども。

「直接的な情報ではありませんが」

「いいとも。どんな些細なことでもいい、聞かせておくれ」

 彼は熱心に先を促す。

「私は北のディルバ村の薬師ヨーラ様の弟子でございます。とりなしも、事前の検査もお手伝いできるかと」

 なのでこちらも早々にカードを切った。

 相手の反応は劇的だ。質問攻めにあいながら、これで一先ずは何があっても即応できる場所に入り込めたと胸を撫で下ろす。

 あと万が一ヨーラと会うことになったとして、弟子と名乗ってしまったのがバレた時の言い訳も用意しておかねば。






 屋敷の中はどこもかしこも花やパッチワークで彩られていた。

 メルヘンというかカントリーというか、伯爵邸にしては可愛らしい内装である。

「君のような小さな頃から修行は始まるのだね。流石は噂の薬師殿だ」

 噂とは何だ。しかし今聞く訳にもいかん。

 事前に容態を見させて欲しいと頼んで案内してもらったのは奥に面した一階の角部屋だ。

 開いた扉の先にも赤や黄色を織り込んだ華やかな絨毯が続き、大小のぬいぐるみに囲まれて大きな天蓋付きベッドが窓際に置かれている。もぞりと寝具が動いた。

 その小山に、優しげな声音でエアリス伯が話しかける。

「アデリーヌ、具合はどうだい」

「大丈夫よ、お父さま」

 子供特有の高い声が可愛らしく返事をする。

 掛布をまくって起き上がった彼女がこちらを向いてはにかんだ。

「今日は林檎も美味しく食べられたわ、眠くもないの」

「おお、それは素晴らしいことだ。どれ、気分が良いのなら少し時間を貰えるかい。アデリーヌにお客さんだよ」

「……いつでも歓迎するわ」

 明らかに声から抑揚が消え、ふいっと窓辺を眺めはじめた。

 エアリス伯も溜め息は吐かなかったが、似たような表情で彼女を見てからこちらに視線を寄越す。

 無言で頷き返して彼女のそばに近寄っていく。

 片側に編み込まれた髪を撫で付けるようすはどこか不安げに映る。伯爵と同じような色素に、鼻先に乗ったそばかすが可愛らしく映える。フリルをあしらった寝間着はゆったりとしており、全体的に柔らかく、控えめな印象を受ける。

 だが近付けば近付くほど顔色の悪さもうかがえた。手や首まわりはむくんでいるし、目の下にはっきりと隈が見える。唇の色味もくすんでいて悪い。

 病人といった出で立ちの彼女の前で、その顔を覗き込むように腰を屈める。びっくりしたようにその目が見開かれた。

「林檎がお好きなのですか」

 そう尋ねると、目を泳がせながらぎこちなく頷いた。

「う、うん」

「焼き林檎、林檎パイ、林檎茶、林檎シャーベット……」

「え、えっと、焼き林檎が好きだけど、いま言ったのは知らない……」

「シャーベットは食べたことはありませんか?」

「初めて聞いたわ」

 戸惑いつつも答えを返してくれる。その返答に満足しひとつ頷いた。

「うんと甘いのと、ほどほどのでしたら、どうでしょう。少し酸味の効いた味もありますが」

「わ、分からない。林檎は甘いものよ」

「ああ、そうですね。甘くて美味しいですね」

 なるほどなるほどと頭の中にメモをしつつ聞き取り、精一杯の笑顔を返す。

「次は持って参りましょう。私はオニキスと申しますが、お嬢様のことは何とお呼びすれば?」

「え、あの、アデリーヌ……です」






「で、何か分かったのかね」

 部屋を後にして応接室に戻ったところで聞かれた。

 そうですねと思案げに部屋を見渡しながら、ひとつずつ思いついたことを並べる。

「とても警戒されていたので触りだけですが。まず、直接的な原因は掴めませんでした」

 そう言うとあからさまに落胆した様子だが構わず続ける。

「ただ、それに限らず健康状態に不安が。朝食は焼き林檎のほか、何を?」

「え? チーズと、パンケーキと……あと何かね?」

「ソーセージ、蜂蜜茶ですね」

 後続を執事に答えさせた彼にさらに尋ねる。

「では普段の夕食は何を?」

「消化の良い食べ物だな……リゾットやグラタン、シチューとか」

「間食は?」

「ケーキとかだが……何かね」

「いえ、一応の確認です」

 聞いていて胃もたれしそうになったが貴族にしては簡素なのかもしれない。それと言ってはいないがミルクたっぷりの甘い飲み物も出していそうだ。

「爪が傷んでいたり、髪質や肌荒れが酷い。これは食事を変えれば改善できそうなので問題度は低いでしょう」

 そして次に思いついたのは。

「むくみ……血行がかなり悪そうに見えました。お嬢様は一日一歩も歩かないのですか?」

「まあ、最近はほとんどそうだな。動くにしても椅子から椅子へ、といった状況だ」

 肩を落としながらそう答える伯爵に思案げに顎を撫でる。

「難しいですね。相当無理をして笑っていましたが、明らかに寝不足ですし、体力もほとんど無さそうなご様子。ひとまず尿意を促進するものと、寝付きをよくするハーブティーでも煎じますか」

「そんなことも分かるのか?」

「その程度でしたら問診しなくとも」

 不思議そうな彼にこちらまで不思議そうな顔をしてしまった。あの様子を見れば十人が十人そう答えそうな症状なのだが。

「その茶は効くのかね」

「付け焼き刃でも無いよりまし……その程度のものです。伯爵の、お嬢様が好きなものを与えたい気持ちも分かりますし、苦手なものは避けてお出しすればいかかです。彼女にとっても気分転換になるかと」

「そうか、……そこまで言うのなら試してみるか。いつ頃貰えるのだ?」

「このあと煎じておくので、一晩寝かせて明日には持ってこられます」

「君が作るのか」

 意外そうに聞かれた。

「なるほど、薬師か。侮っていたわけではないが、聞いてみるものだな……」

 深く息を吐きながら呟いた男を眺める。彼も余程気を詰めているように見える。そのうち親子ともに倒れてしまいそうだ。

「お二人分お持ちしますので、今日のところはここで」






 帰り道、街を散策したいからと遠慮して馬車に乗らずに庭を歩かせてもらった。

 規則性なく植えられた花々を眺めながら歩いていたら、花壇からひょこりと頭を覗かせた子供がいて立ち止まる。

 私より一つ二つ小さいだろうか。目をくりくりとさせてこちらを見てくる。その手には両腕いっぱいに花束を抱えている。

 こんにちは、と挨拶したら首を傾げられた。

「新しい街のひと?」

「ううむ、そのようなところですね」

 変な言い回しだなと思っていると草花をより分けながら通路に出てきた。

 薄い金髪についた葉っぱと靴に乗った土を払ってやるとありがとうとお礼を言ってくる。

「この花はどうするのですか?」

「これはね、アデリーヌの部屋に飾るの」

 あれっと屈んでいた身体を起こす。よく見ると目鼻立ちが彼女に似ていなくもないような。

 そういえば伯爵には娘と息子がいたのだったか。娘の噂ばかり聞いていてもう一人の方の影が薄かったのだ。

「アデリーヌ様はあなたのお姉さんなのですか」

「そうだよ。ぼくが花をあげると笑うんだ」

 軽い足取りで屋敷に戻っていく少年を見送る。なるほど、ああして屋敷中に花瓶が添えられるようになったのか。


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