第九十五話 ドラゴン鞄
俺が予約した店は、休日にふらりと立ち寄ったリストランテだ。
質素な、飾らない店構えでありながら、掃除が行き届いている外観であった事が入店の動機で、勿論何を食べる事が出来る店なのかの予備知識もなかったが、迷わず入口のドアを開けて店内へと侵入する。
店内は上品な調度品と素朴な絵画が幾つかあるだけで、清潔そうなテーブルクロスに良く磨かれたナイフとフォークとスプーンが心地良い、好感の持てる普通のリストランテだった。
文明度が低いと言っても差支えの無いこの世界で、現代人であるタツヤが普通だと感じられる水準は決して低くはない。
それはこの店のレベルがこの世界の平均値よりも低くはない事を言外に表しており、大衆食堂のような野趣溢れるものを饗するような店舗ではない事を意味していた。
迷う事無く窓際の二人掛けのテーブルに着席しメニューを手に取って開く。お勧めのランチメニューを確認してテーブルに据えられたベルを鳴らす。
高級店であるかはさて置き、昼間は店の味を知って貰うためにランチメニューを出す店も多い。渡来した元の世界の住人が伝えたのかどうかは定かでは無いが、かなりの人口を抱えたカラコルムでは当然の営業形態なのだろう。ウェイターの女性が水差しと陶器のコップを持って現れ、テーブルにそれらをトレイごと設置する。
「ランチメニューを頼む。」
店内の他のお客と同様の注文なので速やかに注文を取ると、丁寧にお辞儀をしてウェイターは厨房へと注文を通しに下がって行く。大きな声でオーダーを雑踏のような店内で絶叫するスタイルではない。
店内には肉体労働者の姿は無く、頭脳労働に従事する人間の割合が高い。着ている服装も何処と無く洗練されており、店内で五等国民は自分のみでは無いかと思われる。
魔法でクラッシュアイスをコップに出して水差しから水を注ぐ。無から有を産み出す魔法を使える人間は大体職業軍人になるので平服を着た俺を見て周囲が奇異の目で見つめる。
冷水を一口嚥下して壁の絵画を見る。成る程若手の絵を買う事で応援するタイプの店主かそれとも店主夫人か、筆致に迷いが見られるが良い絵を描くものだと関心する。
料理が届き給仕を受ける間に首からナフキンをかけてフィンガーボールで指を洗い手を拭い、ナイフフォークを手に魚料理を頂く。
テーブルマナーは叔父に仕込まれているので迷う事など在りはしない。それが驚きだった様で高等国民の目つきが座った気がする。
「食事中にキョロキョロとするんじゃないと親に教わらなかったのか?。」
初老の高等国民に手痛い一言を浴びせてスープを一口味わう。牛乳の味になんだかデジャヴを感じる。
憤懣やるかたないと言った感じの初老の高等国民が此方を睨んできたので久方振りに殺気を浴びせて差し上げる。右手にあるナイフと左手にあるフォークは普通に食事をしているだけだ。
「食事中に妄りに立つな、座れ、躾のなってない子供か貴様。」
飽きたので殺気を解いて解放する。美味い料理にケチがつくじゃないかと思いながら、あまりうまくないパンに魚料理のソースを浸して食べる。
主役は魚、パンはソースを引き立てる為にある。絶妙なバランスが嬉しい。
手元の呼び鈴でウェイターを呼ぶ。食事の途中ではあるがシェフを呼んで貰おう、出て来る頃には食べ終わる筈だ。
俺が出入口に程近い場所に陣取っている為に精神的金縛りにより身動きの出来なくなった初老の高等国民はさて置き、厨房から現れたシェフの料理を讃えると同時にクリスマスのディナーの予約を入れた。四人組で席は六人席をリザーブし、初老の高等国民の分の料金も支払って店を出る。躾のなってない子供扱いしたからには大人として料金の一つくらい払って置いてやるのが大人というものであろう。
良い気分で市場を冷かしながら家路につく。
-***-
────そして現在、ウェイターと話し合う場所から見える席に、いつぞやの初老の高等国民御一家が見える。
だが一点だけ、物凄い違和感がある。あちらから絡んで来ない限り触れない事としよう。
「──と言う事で一人増えてしまったのだが大丈夫かな?。」
ウェイターに事情を話し一人前の追加は可能かと問い、追加料金は割り増しで払う旨を伝えて交渉中だ。
他の皆は街でプレゼントを買い求めているところだ、俺も急がないと不味い。エセルちゃんへのプレゼントは流石に前もって用意してなどいない。
おのれ運命神め、もう少し早めに再会させてくれたならケーキの一つでも焼いただろうに、なんと気の効かない神だろうか。
結果として全体的に多めに作っていると言う嬉しいお言葉を頂けたので素直に甘えさせて頂くと同時に、卵を二十個ほど心づけに包んでおいた。サプライズになれば幸いである。
店を出て急いで商店を巡る。誰とも被らないプレゼントとなると相当に難しい。此処だけは運命神の加護が欲しい、なにしろ既視感が全く発動しないギャンブルタイムだった、こんなの伊勢丹以来だなと過去を振り返りながら服飾品の店に入…れない、中にユリがいたと言う事は被る!、宝飾品の店にはトモエかっ!いかん定番が押さえられている。
武器屋にはブレイブロックか…予想通りだ。ここには最初から用はない。
魔道具屋のドアを開けて店舗を通り抜け、店の魔道具開発にも協力して頂いた工房長の元へと押しかける。
「フェーリィ!、ドラゴン皮で作ったアレの縫製は出来ているか?。」
開口一番に製品の督促に来たクライアントの様に工房へ突撃して雄叫びを上げる。
「いきなりなんだっ!取次も無しに飛び込んでくるなよ。」
「済まんが、人生で、最も、最高に、俺は焦っている。」
「近い!近い!、云われた通り四つ縫ってるよ、今しがた一つだけ完成したばかりだが。」
差し出された其れを問答無用でひったくり、広げ、解れが無いか確認し縫製に致命的なズレが無いか確認する。
満足の鼻息を一つ、安堵の溜息を一つ吐いて後に、フェーリィの肩を叩いて二倍の料金を約束しがてら、もう一つ追加で鞄の制作を依頼する。
「あと一つ追加だな、解かった、それは良いけどさ、どんな魔法道具を造るのかいい加減教えてくれないか?この依頼受けてから気になって仕方が無いんだよ。」
「マジックバッグだ。」
「魔法鞄は判るよ、鞄だものな、これ。」
「見た目よりも物が多く入る鞄だ。鞄の内部の空間を広げて大量に物が入るように魔法処理を施す。」
「ぼ、ボクにも判るように説明して欲しいなぁ、魔法式は…どうなるんだい?。」
フェーリィが何事か言っていた様だが、これさえ入手出来ればもう此処には用は無い。
空間拡張魔法と使用者のパーソナルデーターを組み込めばその人だけの専用魔法鞄は簡単に作れる。
問題は、それだけの魔法に耐えられる素材がドラゴンの皮くらいのものだというレアぶりだ。
この皮素材を獲得する機会を与えてくれた、タケル・ミドウ等"ドラゴンスレイヤー"の称号を持つ者たちに感謝せざるを得ない。
「おーい、聞いてる?おーーい。」
ウナギの皮鞄と言ってしまうと、やや、微妙な感じがしてアレではあるが。