第九十二話 落ち着きのない娘
重厚な門を潜り抜けて私達は砦の中に迎え入れられた。兄と二人鞄に入る程度の手荷物と大量の本を満載した馬車で広場を抜けて砦の中枢に至る内門に通される。
練兵場を兼ねた中庭に通されると整列した兵士と立派な鎧とマントを身に付けたタケルが待っていた。
「よく来たな、と言いたいところだが、ここは最前線だぞディルムッド。」
馬車から降りながらディルムッドはタケルに答える。
「御館様からの許可は得ている。ローラも俺もお前の使用人待遇での転属だ、文句があるなら御館様に言うと良い。」
馬車据え付けの階段を据えて安定を確かめてからローラの手を引いて馬車から下ろすとローラの背中を押してタケルの懐に押し込む。
「ちょっ兄さん!。」
ローラの苦情には耳一つ化さず馬車からローラと自分の荷物を取り出し、兵士たちにタケルの本を運ぶように指示をだす。あまりにも堂々としたその姿に自然と兵士たちが従う。
「確かに受け取った。」
タケルはタケルでローラの手を引き取り敢えずの部屋まで案内をする、片手にローラの鞄を持ってのエスコートだ。
「そこの偉そうな二人、こっちの本は希少な本なので一般兵には任せられん、頼めるか?。」
そのように言われては敬愛する上官の大切な本と言う事となり、粗雑に扱ってもしもの事があってもいけない。一般兵にその責が負えるかどうかなど火を見るよりも明らかだ、ただ、自身の階級と比べてどう考えても使用人との身分差はある、それでもなんとなく抗えないものを感じて素直に従うこととなる。
「一番最後の箱は御館様よりの土産で中身は酒だ、俺ともどもローラも宜しく願いたい、尚ローラとタケルは見ての通りの間柄なので手を出せば何らかの制裁があるだろう。それは兎も角、仲良くやっていこう。」
最後の箱は慎重に食堂へと運ばれ、なんだやれば出来るじゃないかとディルムッドに悪態を吐かせることとなる。
砦の清掃具合と風紀の乱れはディルムッドの冷笑と叱責を買う事となり、誰もが彼が派遣された理由が綱紀粛正ではないかと青褪める事となる。
「タケル、どういう事だ廊下の隅々の清掃が全くなっていないようだが?。」
随分と遅い合流だったが砦内部を全部チェックしてきた訳ではあるまいなと表情を窺うが、恐らくチェックしてきたのだろう。砦内部が随分と騒がしい理由もなんとなく知れてくる。
「ディルムッドの執事魂は理解しているが兵士は執事志望でも何でもないぞ。」
「駄目だ、環境と着衣の乱れは心を乱れさせる。許容出来ない。」
「わかった、後でコンラッドにお前に必要そうな役職を見繕って貰うよ、其れよりも着席して紅茶でも。」
「俺が煎れた方が美味いと思うが。」
イノの廻りの空気がディルとの間で固体化するのを感じる。
イノは、紅茶に一家言ある生産農家の倅だ、見え見えの挑発を受けて黙っていられるものではない。
だが、その闘志を内に秘め、イノは手慣れた動作で紅茶を煎れる、味は言葉よりも雄弁とでも言わんばかりの真剣勝負だった。
俺もローラも固唾を呑んで二人の戦いを見守る。
「ほぅ…いただこう。」
完璧な所作で優雅に紅茶を嗜む姿も堂に入ったものだ。
「及第点だ、紅茶の管理が甘かったのだろうが、そこは君の責任ではない。恐れ入った。」
茶葉の管理を追求しようとなるとやはり保管庫の手入れと魔法道具が必要になるだろう、生活魔法は得意なのだが永久機関的なものに詳しくないのでどうも魔法道具は作れる気がしない。冷蔵室とかあれば楽なんだろうなとイノの悔しそうな顔を見て思う。今度見つける事が出来たら買い求めて来よう。
「ねぇ、タケルこれなに?。」
「温風魔法だ、ここ最近は冷え込むから常時維持している。」
「割と単純な構造ね。」
「だからと言って構造を曖昧に具現化しようとするな、もっと気を落ちつけて良く見ろ、爆発するぞ。」
そそっかしいローラの手を取り構築を広げて理解させる。数分後彼女の手元に温風魔法が浮いていた。
「えへへー、これ手があったかい。」
「ん?、どうした二人とも。」
やけに生暖かい表情でイノとディルに見守られていた事に気付く。
「イノ、だったな、と言うわけだ、妹共々宜しく頼む。」
「ディルムッドだったな、タケル様の婚約者ともなれば剣にかけて守らせて頂く。」
「服の襟と袖口のほつれを直してから誓ってくれればそれでいい。」
「風紀委員長だな…。」
もうなんとなくディルムッドの立ち位置が決まったような気がした。
その後砦の案内をかねて外に出る事にした僕たちは兵士たちが必死になって裁縫や清掃に走り回っている姿を見ることになる。
「関心な事だ。」
張本人が周囲を見まわしながら兵士達を時折ビクつかせている。塵一つ落ちていない状態を維持させられる日々が続くのだろうが、まぁ良い事なので放って置くことにする。
其れよりもディルムッドの統率力に一定の兵士の支持が付けば武官待遇での取り立ても可能だろう。これも実績作りと思わなくもない。
「だからローラ、興味本位で走り回るな!。」
ローラは基本的に落ち着きがない。特技は迷子だ。ディルムッドは落ち着きの塊だ、特技は迷子探しだ。
この兄妹は足して二で割れば丁度いいと思う、いや冗談抜きで。
「ブラシは細かく前後させて使うんだ、馬の糞で滑って転んで二階級特進したいのか?やり直しだ!。」
お前もう、専任教官でも勤めたらどうだディルムッド。
対照的な二人の兄妹の姿に冬の欝々とした空気も吹き飛ばんばかりであった。
「ローラ、そこはバルコニーじゃないっ!物見台だっ!落ちるぞ。」
目を離したら何処に行くかわからない、こんな娘を嫁に貰って大丈夫なのか?そう思っても、もう一人の自分は笑いながら僕にこう答える、邪魔だとは思ってないだろう?と、それに対して僕はこう答える、悪くない…と。
「イノ、コンラッドを呼んで来い、それでディルムッドを見極めて貰う。問題が起きる前に役職を与えないと混乱が産まれそうだ。」
イノも心得たとばかりに走って執務室へと向かう。
「廊下を走るなぁ!。」
あ、やっぱりそれ言うか。




