第九十一話 うなぎ
『本日はお昼までの営業となっております。誠に申し訳ありませんがご予約は締め切りとなっております。またのご来店を心よりお待ちいたしております。』
魔道具が予約を書き込もうとしているお客さんにお詫びをしている。もう少し遅かったら私もあんな顔になるんだなぁと並んで待っていると、ぞろぞろと人が出て行き、テーブルを片付ける店員さんが凄い勢いで片付けていく。名前と予約番号と人数を呼ぶと何人かが片付いたテーブルやカウンター席に座って行く。
まだかなーまだかなー。私とクーちゃんはシンクロしながら店内を窺う。
「ありゃ、魔法学校の制服だね。」
おかみさんが気付く。手を出せば即刻磔刑の歩く死刑製造機の生徒さんだ。粗相があってはならない。
「セクハラしそうな常連をマーク、顔がエロそうな奴もだ、頼んだぞ。」
「いえす・さー・ロック。」
敬礼する看板娘にほろ苦い表情を返しながら、とうとう西田さんにまで”ロック”と呼ばれた事を嘆く。
今泣いているのは悲しみではない、猪の肉が焼ける煙のせいだ。
『ナンバー611、エセル様、一名カウンター席へどうぞー。』
結構高さのあるカウンター席の椅子に攀じ登り着席すると速やかに冷たいお水が出される。
目の前にあるお品書きと言う文字を見て提供されるメニューを眺める。
その時、目の前で赤い火が立ち昇った、それは鮮烈な赤い火と強烈な香りを放ったアノ匂いだった。
「す、すいませんそれ下さい。」
私はそれを指差して頼んでいた。
「お値段少しお高めだけど大丈夫?。」
「え、あ、はい、それなんて名前ですか?。」
「うなぎ、だよ、お値段で大きくなると考えていい、塩とタレの二種類があるから好きなのを選んでね。」
メニューを見る、いける、ちょっとだけお高めだけどこのお値段なら食べられる。この香りを嗅がされてたべないなんて無理だよ。
「うなきの並をタレでお願いします!。」
「あいよ、店長丼の支度願います。」
「はい、並一丁。」
目の前で串を打たれたその横に長いお魚(?)が網の上に乗ると赤く燃える炭の上でチリチリと焼かれていく。
焼けていく過程を見るのは久しぶりだった、村を離れてからは学食や学生街の食堂かサロンで食事をしていたのだからしかたがない。刑務所でもドアの下から入れられたご飯だったよ…。
焚火の前で美味しそうに焼ける食べ物は何時だってわくわくする。滅多に食べられなかったお肉もお魚も焚火の前で食べるともっともっと美味しかった。
隣では別のお肉も串焼きにされていて、そちらもタレと塩があるみたいだ、くるくるとリズムよく回されるお肉にクーちゃんが熱視線を送っている。でもそれまで食べたらお腹が破裂します、ダメですクーちゃん。
ブワッと熱気と炎が上がりジュワァと焼ける音が耳を打つ。お魚から零れた脂と水分が宙を舞い、匂いの奔流を解き放ったのだ、いけない、まだあのタレがかかっていないのに既においしそうだ、塩だともう食べられたのかっ!と思ったところで頭を振る。私の最初の目的は胃袋さんが覚えてる。
おもむろに網の上から宙を舞い漆黒の液体が満たされた壺の中に焼きたての鰻が沈み、鉄の棒が二本並んだ焼き台に串を橋渡しにしてタレの付いた鰻が焼かれる。余分なタレは炭に落ち、私の胃袋さんを鷲掴みにしたあの独特な香りが立ち昇る。
表、裏と両面焼いていよいよかと身構えたところでもう一度タレの海にうなぎは還った。
それがもう一度焼き台に乗って激しい音と香りを撒き散らす。もう、目が釘付けで離せない。
クーちゃん、クーちゃんそっちいったら危ないよ美味しい香りのクーちゃんになっちゃうよー。
焼き上がった私のうなぎから串が外されて濡れた葉っぱが敷かれた笊の上に乗せられ隣のお兄さんの手元に移動する。
まな板の上に乗せられたうなぎが音も無く包丁で切られて二本の棒で器用に摘まんで白い何かが入った丼に並べられてタレが三本の注ぎ口の付いたお玉で手早くかけられる。そして蓋が被せられ、木で出来たトレーに、小皿料理も丼の横に乗せられてやって来る。
「お待たせしましたー。銅貨二枚になりまーす。」
ずっと手に握ってて温かくなった銅貨をお姉さんに支払い、目の前の丼と対峙する。
丼自体が温められて居るらしくほのかに温かい。陶器で出来た蓋に手を触れる、木の食器と比べると物凄く高い食器に緊張する。
蓋を開けて漂う香りに胃が限界を迎えている、匙を手に取りうなぎを口に運ぶ。
柔らかい…凄く柔らかい。香ばしくて甘くてしょっぱくて香り高いものが混ざりあった味が舌の上で転がる。弾力のある噛み応えに噛むと染み出るうなぎの旨味に陶然となる。これは脂が美味しいお魚なのかな。
味覚を共有しているクーちゃんが呆けているので一寸だけ驚く、クーちゃんも食べた事の無い味なのだと納得する。
うなぎの下に敷き詰められた白いものにタレが染み込んでいる。一口、口に運ぶ。タレの味だ、でもこの白いものは実は白いものだけでなく、色々なものが混ぜられて作られている。山で食べた事のある穀物も混ぜられていた。
うなぎと一緒に噛みしめて味わう。美味しい。
その内私は考える事を放棄して一心不乱にうなぎを食べ始める。止められない。
小皿料理にも手を付ける、甘い漬物だ、強めのうなぎの味を消してくれるさわやかな味だった。
再度うなぎに戻る。一度初期状態に戻された私の舌にまたうなぎの味が轟く。おいしい。
村でも、学食でも、学生街でも、ましてや刑務所でも出会わなかった味。
漬物とうなぎを数度繰り返して匙が丼の中で空振りして気付く。終わったのだと。
名残惜しくて堪らないこの気持ちを、振り切るように手を合わせて。
「ごちそうさまでした。」
「どういたしまして。」
其処には、あの四人が、村で別れたあの日の四人が私を見てニコニコしながら待っていた。
会いたいとずっと願っていた皆が其処に居た。
「ほら、口の周りタレとご飯でベタベタだよ。」
トモエお姉ちゃんだ。
「元気だった?エセルちゃん、風邪とか引いてない?。」
ユリお姉ちゃんだ。
「元気が無い食べ方じゃないから大丈夫だ、なっ?。」
タクマお兄ちゃんだ。
「店が終わったら良い物食わせてやるから楽しみにしておけよ。」
タツヤお兄ちゃんだ。
みんな生きてたんだ。
難産その②




