第九話 枯れた川 見つめるもの
御館様にとって、我が隊にとって忌み地である丘の宿営地から出立してより二時間少々。
住民が避難し、家畜すら居ない村を素通りし黙々と進むこと一時間、ミネルト川の畔と思しき地点に到達した。
本来は上流に位置する沼沢地が氷精により干上がってしまったために、水の流れぬ枯れた川となったのであろう。悠々と渡河を済ませた我々はタキトゥス公国軍が遺したであろう竈跡と宿営地を発見する。
水を確保出来ない宿営地など無意味でしかない。
敵軍の足跡や輜重隊が遺した荷車の轍を認めると斥候部隊が編成され十騎ばかりが先行する。
水源を求めて移動したと考えられるので隊長格が寄り集まり鞍上で地図を広げ幾つかの方針を立てている。
僕は…、と言えば前夜の自問自答に一つの道筋も付けられずに煩悶としたまま干し肉の欠片をガムのように噛んでいた。
イスレム隊長の戻りをノット等数名と出迎え、とりあえずの行動として敵軍の足跡を追う。
「タケル、何か思いつく事は無いか。」
イスレム隊長に名前で呼ばれて一瞬動揺して転倒しそうになる。
ノットに笑われ、顔が羞恥で真っ赤になりながら取り合えず答申する。
「敵兵の集団の中に肉壁部隊が混在している…かもしれません。」
何故そう思うかを隊長に問われ、並足で馬を並べ進軍しながら遥か前方の足跡を静かに指差す。
「裸足の足跡がところどころ混ざっているからです。」
言われて見るとそれは奇妙な事であった。
本来は先行させて壁として使う兵科が混在していると言う事、つまりは彼等にとって戦争はまだ始まってすらいないと言う証左であるとも言える。
最低速の部隊が混在している。
用途を考えるなら自分の経験を紐解く事が最も正解に近い。
ぬかるみに嵌った車輪を持ち上げて板を敷いたり、輜重隊の荷車を後ろから押したり、使い潰せる人足として槍で殴られながら必死に作業をした記憶が蘇る。
士気ゼロを絵に描いたような存在が雑多に混ざったまま進む部隊に敵地にある緊張感はあるだろうか?。
無いことも無いだろう。だが前線は遥か彼方だ、少なくとも彼等にとってここは後方で、彼等は支援部隊である。
整然と馬蹄で抉られたような痕跡でもあれば別だがそのような痕跡は自分たちの後ろにしか存在しない。
竹ぼうき等を馬の尻から下げて足跡を消している可能性はないか?。
あり得ない。その後ろに部隊が無いのであれば意味があるが殿の仕事である以上それを行うのは、この足跡を刻んでいる者達が負うべき仕事であった。
隊長格が又集まり、速やかに行動が改められた。
最大速度で敵部隊に追い付き突撃を敢行せよ。
斥候の戻りを待たずに指令は下された。
飢えた野犬が食料を狙うように騎馬隊が速力を上げて道を突き進む。
修学旅行の帰り道、夜行列車の窓から流れる景色を見ていた。
交際を願い出て告白した女子に振られたのは出発の前日であり、修学旅行中の記憶は朧げで何をしたのか何を見たのか殆ど覚えてなどいなかった。
「まぁ、元気だせよ。」
そういいながら新選組の鉢巻をくれた友人を見て修学旅行の土産を買い忘れた事を思い出す。
手遅れだった。
「御堂、ありがとうな。」
辛うじて答える事の出来た自分を褒めてやりたい。
寝台車の簡易ベッドのカーテンの隙間から手を振り、応えてくれた粋な友人に感謝しつつ、また窓の外を眺めると…。
暗闇に切れ間差す、無数の目が開かれている。
悍ましい何かがビクリと脈動し此方を睨め付けている。
厭らしい目線が隅々を透かし見る様に、列車に乗る全ての者達を同時に視て回っていた。
その時に俺は理解した。
───選ばれた、と。
奇妙な感覚が全身に粘ついたまま剝がれようとしない。
草いきれが濃密に篭った場所に、吐き出されるように投げ出された痛みに悶絶している内に、その妙な感覚からは解放されたが、全身打撲で身じろぎすら出来ない地獄が替わりに俺を包む。
多少楽になってきた頃に周囲から同じような呻き声と、痛みに堪えきれず泣いたり喚いたりする声が聞こえる。
手足を骨折した教師達がフラフラと生徒の安否を確認するために歩き回り、クラス別に集合するように呼び掛ける。
教員は教員のマニュアルがあり、まず点呼をとり欠員がないかを把握する必要がある。
その気持ちは分かるが俺は痛みでそれどころじゃなかった。
数時間後意識の戻らない生徒や既に事切れた生徒達を除いてクラス別の集合と点呼が果たされる。
体育教師の坂井は百舌鳥のはやにえの様な姿で木にぶら下がっており、全身を隈なく痛めた者達に助けられるような状態ではなかった。
傲慢な態度で助けを求めている声が聞こえ、内申の低い生徒を罵倒しているうちに力尽きて落ちた。
結末は分かっているし労力の無駄なので誰も確認には行っていないが多分死んでいる。
スマホを取り出して連絡を試みようとしている者達は皆一様に圏外であると嘆き、周囲を撮影し、電池が切れると嘆き悲しんだ。
現実感が薄い連中はパシリにジュースを買いに行かせようとしているが、正直こんなところに都合良く自販機など無いだろう。
夜の帳が降りる頃、ボーイスカウト経験者達が火を熾し、食えそうな蛇などを捕らえて食事を始める。
当然そういった生活力の無い者たちは土産物を食べざるを得ない。そして俺はそんなものを持ち合わせてなどいなかった。
失恋パワーのお陰か空腹感など湧き起こらず、速やかに意識を失う。
真っ暗闇ではロクな考えなど浮かぶ訳もなくとっとと寝る方がマシと言うものである。