第八十六話 文書と日記と手紙
結論から言うと、火は消えなかった。もっと正確に言うならば、シェナハが集めたマナによる術式が励起し魔法が形を得る前に、扉にマナを吸い取られたのだ。
行き成りマナを失ったシェナハは、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちて昏倒した、私たちは仕方が無く燃える社殿の傍の民家までシェナハを運び一晩夜を明かす事になった。
だが、それでも尚、社殿は燃え続けていた。山火事だけは面倒極まりないので避けたい、ところではあるが消す手段が見当たらなかった。
「マナも回復仕切った、ならば広域殲滅魔法を使えばいい、これなら消せる。」
丸一日魔力枯渇で眠っていたシェナハは突然起き出し、未だ燃え続ける社殿に向けてマナで魔法陣を作り上げていく。
冷気魔法に風精霊を付与した氷晶風嵐が発動し、丸一日燃え盛った社殿を一瞬で消しさる事に成功した。
ただ周囲に与える影響が甚大過ぎて皆、物陰でその猛烈な寒さに歯を食いしばる。
だが荒れ狂うブリザードは扉に吸収されて長く顕現出来ず、程無くして周囲は静寂に包まれ、その中にぼんやり輝く扉が打ち開かれた状態で宙に浮かんでいた。
満足気な顔で扉に近付こうとして見えない壁にぶつかったシェナハが吠える。
「近付けぬ!何故だっ、俺は選ばれている筈なのに!。」
「選ばれていたなら、私とシェナハは、こんなところにいないわよ。」
思わず本心が零れ落ちる。森がシェナハを認めて呉れていればあの扉は自由に行き来できるのだ。
「ちがうっ!魔剣クォイスに選ばれている、そうでなくては可笑しいのだ!。」
古い古い記憶にそんな武器が在ったような…でもそんな古い武器が未だに形を保っていられるのだろうか?。
お気に入りの魔法剣も大体三百年も経てば劣化してしまうのに。
そんな事を思っていると扉から火が溢れ出す。
放火に対する”反射”が始まったようだ。燃やす対象の無い炎は私とシェナハ以外の兵士を一瞬で焼き払った。
シェナハは死んで行った兵士たち全ての名前を慟哭しその死を悼んでいる。
敵対した相手への態度と明らかに温度差があり、その余りにも酷い落差に私は後ずさりした。
タケルの手元に届けられたラゼルの書と銘打たれた本の中身にもゴールディらしき人物の記述があった。
その書と一緒に女性の日記らしきものも同封されており、照らし合わせて読むと同じ内容の別視点であることに気付く。そして其処にもやはり、ザン・イグリット教の司祭ゴールディらしき者の存在があるのだ。
古いイグリット教の経典は、僕も所有しているが、この女性の日記のものと同一のものであるかは判らない。
このラゼルの書といい女性の日記といい、何時の時代のものであるのかどうかが不明な事が煩わしい。
記された伝承の武器についての詳細は今のところ良くは判らない、ただ”神を殺せる剣”で”持ち主を成長させて自らも成長する剣”とは、また異質過ぎる剣ではないか。
魔剣か聖剣かを論ずるより、どちらの特性も備えていると考えた方が無難であると思う。そしてその結果神にも通じる力を得た剣になってしまったのではないか?、妄想は尽きない。
存外にディルムッドは本との巡り合わせに運が向いているのかもしれない。前回より多めの金貨を送り、新しい剪定鋏を買う事と、ローラのスイーツ代金として使ってよい旨を手紙に一筆認める。
あと簡潔に彼から添えられた手紙の返事を書いて置こう。
ディルムッドが手紙を書くことは恐ろしく珍しいので誠意をもって返事しなくてはならない。
”ローラを嫁に貰って欲しいとの事だが、爵位が上がり貴族になってしまえば、その内第二夫人以下に落ちてしまうのだが、どうしても第一夫人が良いと言うのであれば考え直してくれ。
あと、僕自身が欲しくなくとも、国王陛下の押し付けを断れる程の立場では無い事も忘れないように。
ローラ自身に、もしその気があっても平民との結婚は後々問題が発生することも多い、だが、確かに今ならばディルの言う通りローラを嫁にしても爵位も低い騎士爵であるから問題無く結婚できるだろう。
だが良く考えて欲しい、兄として常在戦場の僕に嫁がせて平気なのか?、身を護る為に武器を取らざるを得なくなる状況は、過分にして存在する、それでもいいのか?。
まぁ、僕の方に異存は無い点は明言しておく。イグリットの経典にかけて誓いもするし騎士として誓いもしよう。ローラにその気が無かったら何時でも反故にして構わない。
タケル・ミドウ。”
さて、どんな返事が来るだろうか。
あの闊達なローラにそもそも懸想している相手が居ないなどと言う事は無いだろう。ましてや彼女の周囲の男が放って置くまい。
僕には政略結婚程度の相手で十分じゃないかなと思うのだが、それを手紙書いたところ、ディルムッドのお怒りを買ってしまったようで、ローラと結婚しろ等と言って来たのである。
今も多少困惑はしているが、この世界でローラの年齢だとそろそろ"行き遅れ"な年齢であり、僕は僕でいい加減所帯を持って子供を作れと言う年齢である。
ウロウロと熊のように室内を歩き回りながら部屋が冷えてきた事に気付く。
「殺した分は増やす義務があるんだろうな。」
然程深く考えずに溢した言葉に肚の底が冷える。気分が凍えそうだった。
暖房魔法を室内に新たに設置して、ランプを消してベッドに潜り込む。
聖剣探しの手掛かりを、完全に寝る前に頭の中で整理しながら脱力する。
ここ最近は血塗れになった幻覚や悪夢を見なくなった。冬は戦争が無くていいね、雪が全てを押し留めてくれる、そんな束の間の平和を噛みしめながら眠りに就く。
眠りの世界は本を読む事と同格の娯楽なのだと、この世界に放り投げられてから気付いた。
歓楽街だらけの城下町を作ろうとしたゲーム仲間達の気持ちを少し理解しつつ、そりゃあゲームがない世界なら娯楽を追及したいなと、割とすんなり同意出来てしまうのも暇のなせる業だったのだろう。