第八十四話 マルローネ・ディザリ
姉と呼んだ女性でさえ手に掛けなくてはならないのか。心を占める暗闇が、微笑したように思えた。
初恋の女性は兄を選び、僕は静かに身を引いた。人とエルフが結ばれる事は滅多に無い、それが祝福される事も…。
エルダーエルフが姉を説得するためにと言うより強引に迎えに来た。
「マルローネ、我々エルフと人間では釣り合いが取れないのだ、判ってくれ。」
エルダーエルフは魔法により姉を連れ去ろうとしたが、こうなる事を予測したシェナハによって彼女には主従契約の呪いが掛かっており転移魔法は不発に終わった。
最初から説得などする気も無く、森に連れ帰りシェナハが死ぬまで軟禁すれば諦めるだろうと甘く考えていたエルダーエルフは実の娘に刺し殺されてまだまだ続くであろう生涯を終えた。回復魔法を幾度も行使されるのに備えて全身を二百か所以上刺して念入りに殺すのを村人のほぼ全員が見た。だがそれはシェナハに聞かされていなかった念の入れようであったらしく、マルローネは止まらない両手を見て狼狽え、泣き出し、それでも刺し殺すのを止めない自分の身体を、シェナハに止めてくれるように助けを求めた。
無論シェナハが助けようはずも無かった。エルフという戦力を手に入れた、あの時のシェナハの態度は多分そう言う事だったのだろう。
それからしばらくして、樹が大地から水や養分を吸い上げるように、姉、マルローネ・ディザリの肌は黒く染まって行った。
妖精の聖域にダークエルフを住まわす事は出来ない。村はそう結論付けマルローネの追放を決定する。
その日の夜が父とシェナハの大喧嘩の日だ。そしてシェナハは父に大敗しマルローネと共に港から小舟で追放された。風の大精霊の力で追い出したので遥遠くの港に漂着した事までは判っていた。
遠くから鏡の魔法を使って度々二人を覗き見ると父は頭を抱えた。
軍隊に入隊するところまで確認した後父と二人でこれ以上見る事を辞めた。精霊術の悪用を重ねて辿り着いた場所が人殺しの極致となれば、最早なにも言う事は無かった。
追放されたマルローネは砂の国の民族衣装を纏い、街の中で暮らす違和感を可能な限り消す努力をしていた。だが、外の世界は多民族、異民族が犇めいており、単一民族国家を探す方が難しい程に多様性に満ちていた。魔人達が暴れまわった後遺症とでも言おうか、攪拌された人類が辿り着いた場所は概ねこんな状態であった。
シェナハはマルローネの稼ぎに寄生しながら精霊術を使って窃盗を繰り返すコソ泥そのものな生活を送り、ある日ザン・イグリット教教徒の家に空き巣に入る。そこで彼はザン・イグリットの経典と出会い、以後憑りつかれた様に経典を読み続けある日の朝マルローネに力強く告げた。
「俺は軍人になって国を奪う。お前の力が必要だマルローネ、ついて来い。」
一兵卒から始め緒戦で行き成り敵将軍の首を取り手柄を横取りされる前に国王の下へと首を持参して出世を願った。事実上官に報告していれば手柄は横取りされたであろう。暗愚な王は言われるまま昇進を約束し、その日のうちに十人対を率いるように支度金を与えられた。
即座に自宅からマルローネを連れ出し副官として抜擢すると荒くれ共の根城に乱入し強い者を遺して皆殺しにして十人を整えた。
元々は罪人であるので軍人になる事で罪一等を減ずる事が出来る。其れすらも軍には語る事無く戦果を上げ続ける。百人隊から千人隊へと出世し、絶海の孤島トゥレラロウの存在を国王に教え、交易の中継地として確保し島の遺跡を調べてみてはと薦めて見た。
此れには地図に存在すらしていない発見であると宰相も賛同し遠征軍が編成されるに至る。
マルローネは嘆く、三年かけてやる事が復讐なのですか?と。
「あそこには神を殺せる武器が眠っているのだ、俺はあんな連中に復讐するだけが目的ではない。妖精王オベロンを殺す事こそが真の目的だ。」
大それた目的であった、妖精王オベロン様の導きで私はトゥレラロウ島に住んでいたのだ、シェナハも捨て子であったところを妖精王オベロン様の手で助けられたのではなかったのか?。
ここ最近、彼の手の中に必ずある経典に目が留まる。ザン・イグリット教、何の変哲もないただの経典だ、だが、ザンとは何であろうか…イグリット教とは違うものなのだろうか?。
常に大事そうに経典を抱えているシェナハから借り受ける事は早期に断念せざるを得なかった。
一枚の銀貨を手渡され…。
「そんなに欲しければ教会で買えば良いさ。」
年相応のむくれ顔でお金を手渡してきたその顔は見慣れた男の子の顔であった。
教会の建物内部に入った瞬間、身体に昇りあがって来る黒い力を感じる。
司教自らが古い版の経典を奥から持ち出してきて、新しい版の経典と重ねて私に与えてくれた。
「貴方様の記憶と今の世の違いとズレがハッキリするならば幸いです。」
あの司教は私を一目でエルフと見抜いた。その眼力だけでも恐ろしいものを感じてしまったが、一番恐ろしい事は、間違いなく人間であるのにエルダーエルフのような存在感を感じたのだ。
あの猛烈に淀んだ空気の只中で、森のような存在が留まっていられると言うのはそれだけで脅威だった。
手元にある経典はイグリット教の古い経典とザン・イグリット教の新しい経典であった。
恐らくこの古い経典は部外秘の失われた経典とやらではないだろうか?、装丁も印刷の文字の形も見覚えのあるものに間違いはない。
ではこのザン・イグリットの経典は何なのだろうか?
内容の読み比べをすべきなのだろう、私はシェナハの意図を先に知りたくなり新しいザン・イグリット教の経典を読み進める事にした。
違う…違う…なにそれ…。
読めば読むほどおかしくなりそうな内容であった。知らない名前の英雄が知らない神の名の下に知らない逸話や伝説や神話を作り上げていた。
私が会った人間達が書き記されている筈なのにどこにも懐かしい名前が無い。司教の言う通り時代のズレなどではなく改竄でしかないものだらけである。
ではこの古い版の経典、しかもザンなどとはついていないイグリット教のモノはどうなのだろうか?。
課題の句読点。
人名ミス




