第七十七話 救済への助走
温泉での湯治と観光を終えた精鋭四万は漲る英気と共にトリエール王国領内の街道を南進していた。
旅程にして約十日ではあるが十二分な骨休めであったようだ。
砦と王都との連絡を密にして盗賊狩りや魔物狩りを行い練兵も欠かさず三日後の夜には砦へと到着した。
「いいご身分だなぁタケル。」
ノットに出迎えられて土産に酒がある事を耳打ちすると態度がコロリと変わる。
こめかみを押さえるイスレムの前で拝跪すると四万将兵も一斉に居住まいを正す。
「十二分に英気を養ったようだな、ご苦労。明日より砦正面改築に従事して貰う事になる。」
「それにつきまして国王陛下より何通かの文と公文書を預かって来ております、お納めください。」
静かにコンラッドが盆を携えてイスレムの副官に手渡す。
タケルの目配せから意図を察したイスレムの副官が一番上にある国王よりの文を手渡し、暫し読了を待つ。
「現在砦を守護する三万将兵は此れより北に向かい温泉での湯治を命ずるものとする。なるほど、その許可を頂いて参ったか。」
「兵士間の不平不満もこれで和らげばと。」
イスレムから文はノットに手渡され、大声で笑いながら下士官たちに湯治の下知を告知し国王陛下万歳の合唱が響き渡る。
「それでタケル、お主がここの代官を務めるのか?。」
「いいえ、皆様の湯治の間はこのコンラッドがここの代官で、私は守備兵を鍛えます。」
「な、何故かダン・シヴァ様よりの直々の命にて何とかなりませぬかと。」
「イスレム様、御館様の命を曲げる方法など無いと云い含めてやって下さい、道中この調子で…。」
ダン・シヴァの腹心として長く務めてきたイスレムにとってこの程度の人事で驚くのは難しい。タケルのような馬に乘れない者でも目を見るだけで役割を与えてしまう直感型人事をするお方なのだ。
「コンラッドとやら、一々御館様の差配に驚いておったら胃に穴が開くぞ。もし空いたらそこの薬篭に胃薬がある、後で調べて確認しておくと良い、いい薬だぞ。」
憐れむように慈しむ様に、この文人としての才がありそうな少年を見遣る。シヴァ家に猛烈に不足している文人の筆頭になってくれないかと言う御館様の怒涛の期待が透けて見える。
願わくば潰れる事無く一廉の人物に育って欲しいと願いつつ任命状を読み上げてコンラッドに手渡す。
「は、拝命しましたぁ。」
「では引継ぎがあるから気の利く手の者を連れて執務室に来るように、では土産も大量にあるとの事だ、三時間後には宴会がある、各員出来る限りの仕事を片付けて平服で大広間に集合だ。」
イスレムの号令一下各員は仕事に一段落を付けに散って行く。輜重隊というより土産物隊の面々は歩兵部隊の手も借りて砦の調理場へ土産物や肉、魚、酒を運び入れる。
特に注目すべきものは酒だ、王都から来たものであることは疑いなく、王からの褒美であると言う触れ込みもこれから胃に染みる褒賞となるであろう。
秋も深まりやがて冬が訪れる…。
一方その頃───。
シルナ王国では地獄の疫病が蔓延し猛威を振るっていた。
強力な付与魔法により寒さに耐久する混合疫病がその正体であった。
何故この様な改悪した疫病を制作したのかと言うと、シルナ王国は人体を実験材料として医学と薬学を発展させてきた国柄で、生半可な疫病であれば直ぐに対策を打つのでは?と、危惧したからだ。
実際には症状に合わせた施薬と施術が行われただけで、悪魔的に感染する威力と手の施しようの無い進行速度から後手後手に回り、遂には貴族にまで感染を許してしまう体たらくであった。
難民は最初からシルナ王国政府の支援など期待しておらず、自らを難民などとは語らずに、さっさと中央都市チキンに逃げ込み、非常に自然に普通の生活を開始してしまい、政府が状況把握に失敗した事情も現状悪化に拍車を掛けたと言える。
その上、病には潜伏期間と言うものがある。中央都市に入った後に、時間差であらゆる区画で発症されたのだ、都市機能が麻痺にまで陥っていないだけまだ救われていると云えたが状況は決して良くは無い。
特効薬のような対処法が無いのだ。
「特権階級なら治癒魔法でなんとかするさ、それにな、雪が降れば粗方死滅してしまう、そういうものさ。」
春まで生き延びられてしまえばタケルが軍を率いて消毒して回らなければならなくなるが、その時はその時だ、飲んでしまえば中毒確定なアルコール消毒をするか魔法で精製するかで大半は死滅する。もっと楽にやりたいなら燃やす。だが爆破は厳禁、じっくりやんわり粘着質に燃やすのだ。
「ナフサが何処かで滾々と湧き出してないモンかねぇ。」
それを避けるならイグリット教の声望を高めまくる意味でも浄化、所謂ピュリフィケイションによるエリアの浄化だ、完遂後は間違いなく入信者が増える。
さて、どれが一番統治に有利に働くかな。
「それ、教主呼び出して聞く質問じゃないですよねタケル様。」
「恩を売られたくないリストの筆頭でしょ僕。」
国王陛下に依頼して派遣して貰った教主にシルナ王国の救済について説教して頂く趣旨で砦に簡易的だが懺悔室と教会を仮制作したのだ。
宴会の四日後に教主達を図書室に招き、シルナ王国のこれまでの罪業と、非道の数々を懇切丁寧に学んで頂き、小休止の間に虚無からの聖水の産み出し方や、魔法と聖法の違いとそのメカニズムについての考察などをレクチャーし、砦の最上階からシルナ王国を見下ろしてティータイムと言う運びであった。
「統治に有利と申しますと、まさかシルナ王国が降伏するとでも?。」
ふるふると、イノとタケルは首を振る。
タケルは指をぐるりと回しておもむろに虚空を鷲掴みにする。
「来年には半分程度はトリエール王国の領土です。」
「デモルグル国との戦いもありますしね。」
シレッとイノも西を眺めながら後頭部を掻く。
そしてイノは教主の背後の背もたれの傍へ、タケル教主の正面に姿勢を正して座る。
「虐殺者としての宗教家を望みますか?略奪者としての宗教家を望みますか?それとも両方ですか?。」
「救済では無いのですか?、その……最後の選択肢では浄化の聖法の行使による民心の安寧…。」
「古き神を殺し、民衆を略奪し剰え国を奪う、その上心までも捧げさせる行為を甘美な言葉で飾り立てればそうなりますね。」
イグリット教の教主として長く務めた彼も肌で感じてしまった。間違いなく、恩を売られたくないリストの筆頭と呼ばれるだけの事はある、と。
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