第七十二話 デモルグル国との邂逅
デモルグル国軍三万の騎兵は、崩落して道の無くなった砦近くにある壊れてものの役に立たない塹壕と穴だらけの草原に布陣し、砦への斥候を飛ばし、報告を待った。誰一人帰って来ない事を除けば、夜襲も無く平和な朝を迎え拍子抜けも甚だしいものがあった。
一人として帰らぬ斥候に嫌なものを感じながらも、引き続き昼間にも偵察を出して様子を見る。
一戦交えもせずに帰るのは、援軍遅参はさて置き交渉で不利になる事は否めない事実であった。
さりとて馬以外誰も帰って来ない。遠くにいる斥候部隊は何者かに襲撃され、気絶させられたかと思うと、瞬く間に担いで木の上に飛び乗り、山の向こうへと姿を消す。その数、目視可能なだけで三十人程の集団であった。
威力偵察以外道はないと悟った所で夕暮れを迎え、辺りも闇に包まれた頃、斥候と間者を出して、野営する。果たして内側にシルナ王国軍八万は居るのであろうか、静か過ぎるどころの話ではない。
軍議を行っていても情報途絶で面食らった状態が続いている以上、撤退する材料くらいは携えて帰らねば流石に立場が無い。そんな夜の帳が降り始めた頃砦側から魔法か何かで増幅された声が聴こえる。
「デモルグル国軍に告ぐ、シルナ王国と我らの戦争に介入するなら容赦しない。介入の意思あるならそこに踏み止まるといい、後悔は痛い目を見た後でないと出来ないものだ。個人的にはそのまま大人しく引き揚げてくれれば良いと考えている、出来れば友好的な関係を、我らの王も望んでいる。二刻だけ待つ、引き揚げていなければ教訓が其処に形となって現れるであろう。」
タケルならば一刻も待てば撃つだろうなとイスレムは思う。二刻後彼等の陣に昼間より明るい照明石を投擲して、退却していないことを確認するとイスレムは溜息を吐いた。
投擲機と漬物石砲が一斉に火を噴く。実際は真っ暗闇から音だけ聴こえる暗黒の殺戮兵器である。
爆音が轟き一定の高さにあるものが物凄い勢いで抉られ薙ぎ払われていく。腰より高い位置にあるものはそこから吹き飛ばされ引き千切られてしまう。
水と電気で五体と心臓を停止させる悪夢のコンビネーションも健在だ。
射撃を行う者達はタケル隊、つまりソナーとレーダー魔法使いである。戦うなら逃がさないがモットーのタケル隊ではあるが、照明魔法はイスレムからの温情でありタケルの作戦には記されていない。イスレムの命令権が上位なので優先される、ただそれだけの事だ。
「タケル達は温泉へ、俺達は此処で奮戦と…出撃するには、この崖崩れを掘って進まないと無理。丘から狙撃が関の山か、成る程、春まで守れるなこれは。」
「塞いでしまえば無敵の堅城、開いて尚、難攻不落。春までのんびりと侵攻準備に費やせる有難い事だ。」
「デモルグル国軍は騎兵のみで短期決戦の備えしかしてないようだ、これで帰ってくれれば一杯呑って寝れるな。」
今夜も冷え込みそうだとノットは空を見上げる。捕らえた斥候と間者はタケル隊の軍略で有効活用するのかと聞いて見たが答えは簡潔であった。
「デモルグル国は、トリエール王国に対し非道な行いをした過去は無いとの事で、全員魔法拘束で鉱山労働の労役です。」
「タケルの裁きで初めて妥当な裁きを聞いた気がする…。」
「苦役でも仕方が無いところですが、お優しい裁きです。」
打った分響く、そういう性格なんだろうなとノットは思う。
つまり…アイツを戦場に出さなければ物凄く大人しい内政官か裁判官になったんだろうなと、もう手遅れな未来を幻視する。
益体も無い、本当に益体も無い。
蛮族を含めて十万人は既にタケルの策謀によって命を落している。丸々十万トリエール王国に二手に別れて攻めてきて尚この三万の援軍が来ていれば砦を抜かれた時点でトリエール王国は滅亡していたかもしれない。タキトゥス公国もこれを知っていたとすればトリエール王国は少なくとも一年前には包囲網の中にいた事になる。
一つだけ合点の行かなかったタケルの叙爵、騎士爵で、一代限りではあるがこれはもう破格の待遇であった。
全てを知りうる立場ではない者が、お上の思惑を理解できるのは何時も後からである。
御館様が上機嫌だった理由が理解できた。形成されて発動されようとしていた包囲網の一つタキトゥス公国を潰した、これはタケルが養っていた者達に使われた莫大な金で報われていた。書類上な。
本人は金貨一枚で一月を遣り繰りしていたが、誰が見てもあれは報われている様に見えなかった。
市井の者にまで貧乏英雄と呼ばれるのは流石にどうかと思った。だが…。
「僕は、国に借金があるので無駄遣いは出来ません。」
踏み倒せよとは思ったが言えやしねぇな。
御館様も何度か援助しようとしたが、命令でなければ受け取らなかった頑固者だ、其の後の生活に代り映えが全く無かった所から推測すると多分遣ってないな。
そのタケルが援軍の将に選ばれ、俺が責任者として派遣されることになった、因縁と毎年恒例の蛮族との戦だ。
そういや、何時もと違う事があったな、蛮族の最前線を長年支えてきたクルトゥ氏族が敗れたことだ。
その背景は蛮族の武装が整い過ぎていた事にある。深く考えなくともシルナ王国からの支援だ。
それがあっても蛮族の掃討を予定の何倍もの速度で完遂した功績はデカい、国王陛下の側近として周囲から厳しい目で見られている御館様ではあるが、これだけの功労者ともなれば爵位も毟り取って来れるってモンだ。
蛮族平定が済み、やっと本国に戻れたと思ったらタケルは砦に援軍として急遽出陣、俺達は暫くして国からの召喚状で王国騎士待遇、所謂将軍だ。
深く考えなくてもタケルを中心に歴史が動いてる事がわかる。
遠からず温泉で湯治を終えて砦に戻ってくるのだろうが、戻ってきてからのシルナ王国がどうなるのかは考えたくねぇな……あの国のトリエール王国兵に対する拷問や処刑法が鬼畜以外の何者でも無いってのが考えたくない理由だ。
歴史書にも、多くの間者からの報告書にも、血文字で記された報告書が混ざるくらい、壮絶なレパートリーが其処にある。
人を殺すと言う、その一点を遊戯として考えて彼是試して披露する。奴らのやって来た事はそう言う事だ。
それで、これをタケルが読んできっちり纏めてる事が怖くて仕方が無い。
良かったなデモルグル国、少なくともシルナ王国のようなことにはならないぞ。
阿呆みたいに長い射程距離の漬物石に追われながら逃走する、彼等の帰国の無事を祈りながら砦に帰還する。
両国を同時に相手取る状況に収束する事が出来ただけでも包囲網破りは値千金だった。
結構修正。