第六十九話 やみのめがみ
それは黒い海だった、漆黒よりもなお深い、黒い、黒い海だった。
黒い靄を四肢から曳いた、闇色の貴婦人の前に、私は立っている。
圧倒的な存在感と威圧感が、微笑を浮かべながら私を───嗤った。
大精霊のクーちゃんが憤慨する。世界とリンクして、根源と繋がって間尺を置かずに私へと魔力を供給する。
今は危機なんだと、それだけで理解できた。今こそ変身しなくちゃいけないんだと。
魔力の糸で戦闘用の服を編む、手袋を編む、靴を編む、魔法に対して戦える私とクーちゃんの友情の証をこの身に纏って顕現する。
闇が広がる、闇が深まる。波打ち際のように寄せては返す黒いマナ。これはきっと彼女の衣装。今なら判る、この力はクーちゃん一人だけの力では太刀打ち不可能だ。
強く握った拳に集めたマナ、これだけじゃ絶対に勝てない。初めて一つに力を溶かして結び合わせたのにこの物凄い闇に勝てそうな気がしない。
「私は魔女ではないわ、お嬢ちゃん…私は闇の女神…よ。魔法使いと大精霊とは云えども、たった一組で挑もうと言うの?。」
私の表情を覗き込んでくる。負けない、負けたくないこの目線の優しさにどうしても負けたくない。
「そう、そんなところに居るのね、娘たちも通わせようかしら、ふふ、仲良くしてあげてね。」
優しく撫でられただけなのに変身が解かれる。完全に一つの存在として同化した筈のパスが解けて霧散する。
「起きなさい!エセル・ティシフォン!!授業中ですよ!。」
高らかに鳴り響く出席簿での一撃が私の夢を吹き飛ばす。両手が汗で気持ち悪い、ポケットからハンドタオルを取り出して掌をしっかりと拭き取る。
一息ついて先生に謝罪すると速やかに黒板の横にある魔力板に手を当てて学園にマナを供給する。
罰として幾つか選択できるうちの私にとっては一番楽な方法だ。それでもまた眠くなるという諸刃の剣みたいなものなのだが、寝ていた分は支払うべきだろう。
「魔法は等価交換ってトモエおねーちゃんも言ってたし。」
先生が席に戻るように言ってくれたので大人しく席に着く。何故寝てしまったのか分からないほど授業は面白い。
五大元素に闇と光、マナに太源に瘴気、そして魔素。学ぶことは多く、また正解のようで正解では無い事も多いと聞かされる。
夢や想い、希望や想像、心の動きが力になり、また新しい道を産むのだと教わる。
生活魔法につい先程革命が起きたと言われ、温風魔法と範囲温風魔法の授業が行われた。
教えてくれた軍人のお兄さんは何処と無く、ユリおねえちゃん達に似ていてとても懐かしかった。
学園で仲間を探して見たけれどクーちゃんみたいな子を連れた魂の友達はまだ見つからなかった。
校長先生が言うには、大精霊は滅多にいない上に交信可能な人間は、それこそ滅多にいないと言っている。
あっちとこっちを繋ぐ扉の向こうにはお友達が一杯いるってクーちゃんは力説してる。こっちには全然いないの?と聞くとコクコクと首を縦に振っている。
そうか、つまり扉を開いてクーちゃんのお友達を連れてきてから適合者ってのを選定しなくちゃいけないのね、言葉が難しくて良く分かんないけど。あ、クーちゃんが落ちた。
ザイニンは武器を、扉はあらゆる魂を。
クーちゃんの言う事は難しいけど頑張って勉強して解る様になるよ。
魔法使いの杖を見せて貰ったけど全然可愛くない。
私とクーちゃんは展示室の隅でブツブツと身体を丸めて座る。タクマにーちゃんが言うには”たいいくすわり”だって、うん…。
どうして”ただの木の枝”、”おじいちゃんの杖”、宝石がのってるけどキラキラしてない。
私もクーちゃんもガッカリだった。顔に出てるよね、むー。
行き成りテンションがマイナスを振り切った私達を見て校長先生が困っている。歴代の魔法使い愛用の貴重品を見てこの状況、校長先生としては予想外だったよね。扉を開ける時自信満々だったもの。
運命を感じる杖との出会いがきっとあると信じて私とクーちゃんは学園街をウロウロと散策する。
学園の制服を着た生徒に悪い事をすると死刑らしいので皆安全だ。
何がどう安全なのかはクーちゃんも知らないらしいけど安全なんだって。
今日の晩御飯を何にするか物色しているとクラスメイトの姉妹がクレープを片手に走ってきた。
「わーエセルちゃんも晩御飯こっちなの?。」
普段は寮で食券を買っての晩御飯だけど今日は杖と出会いたいから外にしたのだ。
「今日はいい日ね、エセルちゃん私たちが行こうとしてるお店、半額なのよ。」
半額と聞いて心が踊る、クーちゃんも踊る。
何を食べるかは考えてなかったので半額を食べよう。何が出るのかなぁ。
ライ麦のパンにとろーりチーズ、お野菜のスープにお好みでお肉をトッピング、王国に来てからお肉は滅多に食べられなくなったけどお野菜は物凄く充実している。兄ちゃん達は凄かった、村人全員が毎日お肉を食べられるように出来たくらい凄かった。
シカさんくらいの歯ごたえが欲しいけどブタさんは柔らかいね、美味しいけど物足りない気がする。
デザートには一寸硬いクッキーって名前の甘めのお菓子が出てきた。これは歯ごたえがあって良い。
二人は硬くて文句言ってるけど、多分それはユリおねーちゃんの言う卵と牛乳あとメレンゲとかが入ってないから硬いって事だよね。
二人とも凄いお金持ちの子だったんだねー、粗相の無いように注意しないとね、お母さんも心配してたし。
クーちゃんもコクコクと注意しようと言っている。でも注意の方向性が若干ちがうかなー。
紅茶に浸して食べると丁度良いので二人に薦めて見た、タツヤ兄がやっていた食べ方だ。
「湿気った煎餅も硬いクッキーもお茶に浸せば皆同じ。うん、うまい。」
紅茶の風味がついてさっきよりおいしいね。
食事を終えて大通りの噴水で夕闇に灯る魔法灯と貴族灯(燃料を使う高級品だよ)を眺めながら一日の終わりを実感する。
両親から離れて生活するのに慣れたのは刑務所でのお洗濯のお仕事をしていた時。そして今は学園の寮生活だ。
魔法の練習をしたら魔法建築の練習場壊しちゃって大変だった事以外取り立てて何もない毎日。
「でも、夢の中の闇の女神はずっとそこにいる…。」




