第六十四話 三歩後ろの貴婦人
戦い終えて静けさの戻った穢れた大地に、月明りの下、日傘を差して夜の散歩を楽しむ貴婦人御一行。
土の下から崩れた肉体と残滓で補った身体で、もぞもぞと貴婦人の後ろに並んで歩く。
整列、整列、大行列。
黒い闇の扉を苦痛に呻きながら歩き去って行く。
心地良い月の光を浴びながら、六万余の影の群れ、扉を潜って何処へ行く?、暗闇にどぷりと沈み新天地。
大行軍の果ては何処や、其れを知るは貴婦人達、月の中、人攫いの影が差す。
熱い熱いと泣く子等の、魂従え馬車に乗る、揺らり揺らりと月の下、愛しの君に傘を振る。
「見られて尚、止めないか……ザナドゥあれはなんだ?。」
「お知り合いではないのですかタケル様。」
黒い靄を曳いた手で月の雫を掬い取り、静かな動作で黄金の輝きをザナドゥに投げつける。その仕草だけで悪魔が爆ぜる。
下半身だけで佇むザナドゥから声がする。
「私にも解りかねます……なんだよアイツやべぇな。」
地が出てるよ蝙蝠の悪魔。
見て解る事は、ああして僕が殺した者達を、悉皆集めて回っている事くらいだ。
死体を消しても無意味…と、今、理解させてもらったが、何の目的があってそうしているのかまでは解らない。
今宵も寸劇の幕が下りる、周囲の怨念を食いながら急速に回復する執事の足元に、僕は力なく倒れ伏す。
やっぱり、夢じゃないのか。
途切れかけた意識の中、嫌な現実を突きつけられたまま寝るのは、喩え様も無く腹立たしかった。
月明りの狂気を見た翌朝、痕跡は何一つ残されておらず、僕はベッドの上で薄い毛布で身体を包むように眠っていた。それで全て現実だと確信するに至る。
「僕が眠るときに暖房魔法を忘れるわけないだろう。」
ツメの甘い従者の娘の、その口元が歪んだ気がした。
後から殺した二万人の遺体はそのままだったが周辺には戦場に必ず漂う独特のあの重苦しい何かが欠けていた。怨念や憎悪の感情の残滓は執事のオヤツの様なもので、まだ周囲を漂うように残っているが、なにかこう決定的なパズルのピースが欠けている感じがするのだ。
(ここらの魂は、みぃんな持って行かれちまったみたいだぜ。)
蝙蝠の悪魔は力を回復する為だと宣い乍ら怨念をピザの様に食して笑う。
魂、魂か…。そんな正体不明なモノ実在するんだなと呆れてしまう。まぁ、魔法があるんだ何でもあるだろう。
「ただし帰る方法は無いんだよなぁ。」
召喚されたり何らかのパスを繋がれた訳でなく、僕たちは放り出されたのだ。何処から?地球からだ。
因果の投網か底引き網で引き込まれて投げ捨てられた、ある程度は狙い澄まされては居たのだろう。
召喚が釣りだとすれば僕たちは漁だと思う。だから帰り道など見当たらないのだ。
神が僕達をここに喚んだのならば迷う事無く神を殺せばいい、簡単だ、とても判り易い仇討ちだ。
偶然で喚び出されたのならば自重無く今のまま遊び尽くして死ぬのもいい。ちょっと命をコインにしたシミュレーションゲームのノリで遊んで死ねばそれでいい。
でも世界を救えとかこの世界の住民の為に戦えとか目的ありきで僕達を喚んだのならば、悪いけれど全部リセットさせてもらう。他人に責任押し付けて解決した気になるヤツは大嫌いなんだ。
「誰も死なずに丁重に出迎えられていたなら、こんな事やる必要も無いんだけどね。」
蝙蝠の執事が固まっている。あまり他人の心象風景を覗き込まない方が良い、死にたくないならばの話だけれども。
死体を三人単位で結び荷車に積んで敵王城へと軍隊は進む。増援部隊三万の歩兵に新造したトレバシェット部隊だ。
ちょっとした都市規模のあるあの国を台無しにする手段として黒死病はきっと役に立つだろう。
死体に仕込んだクズ魔石に成長促進魔法を付与しただけで物凄い勢いで細菌や雑菌が大増殖する。
黒い斑点の出た死体は流石に処分したが、実験結果は良い仕上がりだと云える。
何らかの目的があって僕らを喚び出した者が居たとしたらこれは想定の範囲内であろうか?、どこに閥値があるのか誠心誠意探らせて貰おうと思う。
そのうち空を飛ぶ船でも作って主要都市の全てを爆撃でもしようかと、綺麗な青空を見上げて思う。
空を埋め尽くす大船団に本物の焼夷弾をバラ撒かせるのもいいな。
ナフサが産出しそうな地を探さなければならないが、そう遠くない未来に見つかるだろう。
何か思いついたようにメモ帳を取り出して日本語で今後の予定を記す。
魔法は便利だ、達成すべき難点や人の手が及び辛い部分も魔法が概ね解決してくれる。
人が触れば怪我をする様なものも魔法を使えば無傷で運べる。
遠心分離機も魔法で回転させれば其れだけで代用可能だ、牛乳から乳清を取り出す事も朝飯前だった。
鉱石の研究は進んでいないが知っている鉱石なら手付かずで掘り放題だ、炭鉱労働者の能率を高めてアレまで辿り着いて欲しい。
幾らかのメモの羅列があってもタケル以外読める者はいない。
メモの最初のページには、こう書かれている。
みんなと僕がやられた分をやり返すまで、死んではいけない。
タケルの行動原理は唯一つ、やり返す事。
未来より過去に囚われたまま生きる、三歩後ろに貴婦人が歩く、そんな生き方だった。
王都の新聞にタケル・ミドウの名が登場したのはこの時期だ。
何気なく新聞を読んでいた石岡が仰け反って畳らしきものの上で転び後頭部に座卓が命中する。
「店長、休憩時間だからと言って燥ぐな。」
左目に拡大レンズの嵌った宝石鑑定のようなルーペを付けた倉橋があきれ顔で小上がりで悶絶する石岡を眺める。
「いやっ、そうじゃない、そうじゃないよ、ホラここ見て見ろよここ。」
下駄をカラカラ鳴らして駆け寄って来る石岡から渋々新聞を受け取ると見覚えのある名前が見えた。
「タケル・ミドウか、長生きしない…じゃなくて早すぎる…じゃなくて…んん。」
行き成り新聞をテーブルに置いて吐きそうな顔をして倉橋はトイレの方へ歩いていく。
「お、おいどうした驚き方の方角が随分と斜め上なんだが。」
面食らった石岡を置き去りにして倉橋達也は文面が八重に重なった新聞記事を思い起こす。
既視感ってこんなに纏めて来るものか?…と。
合わない眼鏡に酔ってます。




