第五十七話 アバネス砦
蛮族の篭る天嶮要害を一切の自重無く崩壊せしめた我々イスレム領主代行麾下二名の武官であったが、帰国して早々新たな天嶮要害を目視するに至る。
戦前、戦中、戦後の物資やら人員やら見舞い金やら弔慰金やらの書類が今にも崩落しかねない威容を持って我々を待ち構えていたのである。
「イノ、コンラッド直属の部下を率いてこの執務室を占拠せよ、書類は全て系統別に別け緊急性を伴うものだけを選り分けて直ちにノット軍務代行とイスレム領主代行へお届けせよ。」
「それでタケル様は?。」
「戦死者の家を回って謝罪してくる、それが終わったら書類整理に回るコンラッド、常に申し訳なさそうな顔をした胃弱な者を一人回せ。」
「畏まりました。」
誰も遣りたがらない損な役回りではあるが、誰かがやらねばならない。武官の中では最も格下だが、現場で指揮を執った一人である以上適任である。
「護衛は要らない。名簿は持ったかウィルメス。」
「はっ、はい。」
それは、遺族が取り乱す人間模様を延々と見せられる悪趣味な神が好きな演目であった。
幾つかの家では罵声を、幾つかの家では怨嗟の滲んだ啜り泣きを、幾つかの家では飲み物を浴びせられる日々が続く。
五着は用意したはずの着替えも全て飲み物を浴びており途中馬を止めて河原で洗う事にする。
天気はとても良いのだが気持ちは晴れない。
最後の最後で命を狙われたがどうと言う事は無い。愛する恋人を喪ったその重みくらいしっかりと受け止めるべきだ。
五度突き立てられたナイフの痛みよりも、人を刺した後必ず殺すために行う技術を持ち合わせていないご夫人の痛みのほうが遥かに重い。
「大丈夫なのですか隊長…そのお怪我は?。」
「傷は無い。服は流石に仕立て直しだ。」
明日から執務室の天嶮要害の攻略が始まる。完全に内側の肉が繋がるまではどうしても痛いがイノとコンラッドにティータイムくらいは与えてやらないといけない。
ウィルメスと共に執務室に出勤したのは朝六時くらいだったが、そこにはイノとコンラッドが住み込みで作業にあったっていたらしい痕跡が幾つも残されていた。
二人の邪魔をしないようにソファに陣取ると僕の裁量で済ませられる書類を片付けてウィルメスに関係各所に通知させる、当然のように人手が足りなくなり官舎警備の忍び、じゃなくて部下を一人此方に回してもらう。
書類の山はドラゴンスレイヤーでどうにかなるようなヤワなものでは無かった。
だが、ノット軍務代行閣下とイスレム領主代行閣下の裁可を仰ぐべきものと急ぎ決裁を受けなくてはならないものが片付くと、あとは効率の鬼タケルと庶務の武人イノ、そして執政官が勤まりそうなコンラッドの三人で執務が回り始める。
当然ノットとイスレムの裁可が必要だが二人の配下まで部下のように扱うタケル達三名の、甘えることを許さぬ書類分類整理と徹底的に効率と能率を追及した管理システムに手も口も出せない状況となり、二人ともこの状況を見なかった事として先送りしたのだ。
徹頭徹尾武人である二人に文官の才は乏しく、半分以上タケル達が何をやっているのか分からなかったからでもあるが大丈夫なのだろうか。
判り易い書類が二人の手元に届くようになり、裁可を降ろす前にどのような問題点があるかを考慮できるようにコンラッドやタケルとイノのサイン入りの注釈が添えられた、誠に懇切丁寧な書類と化していたのである。
これによって責任の所在がより子細で明確になったきらいもあるが、元々責任をとるのが上役の仕事である。
腹の括り方が明確になったのは良い事と見るべきだろう。武人らしく二人はそう結論付けた。
お役所仕事をよりお役所らしく整然と。
朝の挨拶と体操を取り入れ部署ごとに長を定めて前日の業務報告と業務の擦り合わせを行い就業開始となる。
イスレム領主代行はタケル達の組んだスケジュールで領民と領地の視察を開始、現地で直接見聞きした諸事を業務日誌につける。
翌日その業務日誌の内容に沿って改善点を議論し何日かかけて草案から議題へと昇華させる。
魔物が出ただの、魔獣の被害が出たなどの、軍事が必要な事案はノット軍務代行の仕事となる。
しかし、ストレスと鬱憤の溜まったイスレム領主代行にもたまにその役目を割り振りコントロールする事を忘れてはいけない。
適度なガス抜きを忘れてはならないのである。
代行権限でやっても構わないが、やはり御館様の裁可を仰がなくてはならない事案もわずかだが発生する。
タケル隊はこの時解散する事とした。
己の夢を見つけた者、彼氏、夫を見つけた者、軍務に従事して限界を悟った者、内務に触れてそちらに興味を惹かれた者、様々であった。
一方そのあとで再編成の呼び掛けも行った、今度は後戻り不可能な正式採用の軍人枠である。
タケルをして忍びと言わせた者達は一人も欠ける事無くタケルの傍に立っていた。
元ノット隊の者達も死者以外欠ける事無くタケルの元に残る事となり、正式な隊員として登録されることとなる。
「さて、物好きな連中ばかり残り、女子数名は結婚適齢期を逃しかねん、誠に遺憾ではあるがその責任は取れない事をここに明言する。」
そこで一度隊員を見渡してタケルは号令する。
「全員騎乗!、これよりノット軍務代行より借り受けた騎兵隊五百と共に西の砦アバネスへ援軍へ向かう。」
事後承認の形ではあるが緊急を要する援軍要請に八氏族連合は応える事となったのである。
王都からも援軍がでるであろうが時間差は大凡十日前後、これは遅くはなっても早くはならない時間差である。
荒涼と一言で表すに不足は無い大地を騎兵五百のタケル隊は斜めに進み森の中で三日寄り道をする。
河を筏で下り砦に到着したのは予定より四日遅れてのことである。
騎馬で来たにしては遅いなどと言われてもタケルは一切動じることなく挨拶を済ませた後砦から外に出て筏を解体する作業に勤しんでいた。
敵襲の鐘が鳴り、砦に狂乱の活気が溢れる。崖と崖の間に壁を築いて作られた城壁を砦にしたアバネスは難攻不落ではあるが中の人間たちは長い長い蛮族と隣国に挟まれた戦いにより疲弊しきっていた。
蛮族が滅び、漸く一息付けた頃で隣国がそこそこ大きな兵を催し攻撃を仕掛けてきたのである。
「蛮族滅亡の立役者が遅参するなど。」
アバネス砦の守備隊長は、どんなものかと期待したタケルと言う人物に訝し気な視線を向けざるを得なかった。