第四十一話 身は喩えアルタゴの丘に朽ちぬとも
御館様、ダン・シヴァの治める所領は辺境と呼ばれる場所にある。
御館様を旗頭として七つの氏族が手を取り合い八氏連合とも呼ばれているし自称もする。
この連合が成ったのは御館様の父であるハン・シヴァによる「戦い、争っても禍根は残さず水に流す。」そういうとても難しい理念を貫き通したからだと八氏連合の長の一人であるリムラト・ハンは語る。
「我が父はハン・シヴァに敗北し所領を安堵された、遺恨を水に流すハン・シヴァの器の大きさにも敗北したと悟った父は氏族の名を捨て、姓をハンに改めた。共に生きる決意を誓ってな。」
八氏連合は互いの過去の争いや諍い、許せぬとして伝えられ語られた過去を記して集め、良い月の夜を選び、氏族の全てを挙げて守りを捨てて集まり、酒を酌み交わして焚火に投げ入れ、その灰を川に流した。
「互いに背中を預け、各々の領地に戻った時、我々がこの地で最も団結した力ある存在となろう、我々の敵は多く、蛮族との戦いも我らの代では終わらぬ、なれば子々孫々力を合わせ共に生き共に笑おう!!乾杯!!!。」
辺境の小国はその後、蛮族の支配域のほぼ七割を削り取りあと一押しでそれは潰える。
そんな時、隣国であったタキトゥス王国(当時はまだ王政であった)との捕虜交換の話が纏まり、ハン・シヴァは王都へ召喚される。
捕虜交換はカラコルム城とタキトゥス城の丁度中間にあった、地割れにより丘が半分崖崩れを起こしその威容が知られ目印として活用されるアルタゴの丘で行われた。
捕虜交換の調印が済み、各陣営に互いの調印団が戻り、互いの捕虜を一定速度で歩かせて交換という段になって初めて、タキトゥスに捕らわれた兵の全てが奴隷紋で奴隷化されており既に操り人形と化していた事に気づく。だが気付いた時には既に遅くハン・シヴァは血涙を流す兵士五人に抱えられタキトゥス側へと連れ去られてしまう。
捕虜交換の調印は一転流血の巷となったのであるが、タキトゥス王国軍の騎兵が遠方より馬蹄を轟かせて突進してきており、彼等は歯ぎしりしながら奴隷紋で操られた兵士たちを先程までタキトゥス兵達を入れていた檻に投げ込んで王都への帰還を果たす。
以後、ハン・シヴァの返還を求めて砂を嚙むような外交が続けられるが、外交官が漏らした醜悪な一言により開戦が決定される。
曰く、「あんな手も足も片目も無い芋虫を返して欲しいなどとは酔狂な奴らだ。」と。
当時まだ十二歳であったダン・シヴァは七氏を集め、成人する為に足りない年齢のうち三歳分を彼等に望んだ。
七人の長はその場で彼の後見人となる事を誓約し、ダン・シヴァは幼年なれど七氏の長より生きた時を借り受け、その場で成人し父の後を嗣ぐ事となる。
同時にハン・シヴァの救出に七氏全てから騎兵を借り受け王都へと進発を開始する。
王都からも出陣できる略全ての兵士達が動員されアルタゴの丘へと随時進軍が開始される。
其処を猛烈な速さで駆け抜ける騎兵四千騎が現れる。
大きな犬と草原が意匠の黄色い旗を筆頭に七つの氏族の紋章が描かれた小さな旗が続く。ハン・シヴァの旗を息子のダン・シヴァが継承したと言う事の意味は大きい。それになにより七氏の長がそれを認めたと言う事は、ダン・シヴァの後継が一分の隙も無く認められた事の証でもあった。
つまりそれは、北の蛮族と戦いの日々に明け暮れた、精強なる騎馬隊はハン・シヴァを喪っても健在である事を示し、ダン・シヴァは己の戦いぶりを王国に、兵士たちに、何より父に見せて…その悲壮な決意を踏み越えて、武将の道へと最速で至らなくてはならないのだ。
槍兵が整列し敵肉壁隊を槍衾で苛烈に無力化を図り歩兵が雪崩れ込んで生き残りを殺して回る。
体制を整えた槍兵が更に槍先を揃えて次の肉壁隊へと肉薄する。小回りの利く歩兵は槍隊に紛れ盾を空に掲げて頭上を守る。
そうして彼等が無理やり抉じ開けた道へ騎馬隊が殺到し弓箭兵を崩し、アルタゴの丘に至る道をなんとか確保しようと奮闘する。
しかし、その陣容は厚く容易に破れるとは思えない。
補充とばかりに肉壁隊を筆頭に歩兵と槍兵が丘へと至る道を塞ぎ、総崩れとなった敵第一陣が彼等の後方を目指してジリジリと後退してゆく。
鞍上で干し肉を齧りながら空腹を散らし地図を見る姿をノットはタケルに語った。
「先代様と瓜二つだったぜ。」
一進一退に陥りかけた戦況に魔法の爆雷が降り注ぐ。
王太子ネア・イクス・トリエールの親衛隊からの大魔法を行使した攻撃である。
恐慌状態に陥ったタキトゥス軍を騎馬の群れが紙のように引き千切り、槍衾を見舞い、体制が整い指揮が回復する寸前にまた魔法が降り注ぐ。
そのような中でもアルタゴの丘では処刑準備が着々と行われており、それは整えられた。
それは断頭台であった。
身分あるものの処刑に用いられるそれは、苦しまずに死なせる方法として考案されたものであったが、見た目の残酷さの方がパフォーマンスとして良かったのだろう。
タキトゥス側はこの後この処刑を”配慮”であったなどと吐かしてまた戦争になるが、それは別の話。
チラリと、ダン・シヴァは陽光を反射する断頭台の刃の輝きを見た。
全てを振り切る様に右へ左へと偃月刀を振り回し血飛沫を撒き散らす。
優しい父であった、怖い父であった。
へっぴり腰で槍を扱うと烈火の如く怒った。そんな情けない殺され方をされる者の身になれと。
罷り間違ってそんな鍛錬も出来ていない者に殺されては成仏も儘ならんわと説教される。
徹頭徹尾武人として生き抜いた人であった。
ならば、父に見せるものは武人として成長する己の姿を手土産にして頂く事。
ダン・シヴァは父の葬送への手向けとして成人し出陣したのだ、叶うならば初陣をその目に焼きつけて欲しい、そう願って。
手足の無いハン・シヴァは寝台に固定され首枷を付けられる際に、残された左目で黄色い己の軍旗を見て高らかに笑った。
「最後に一番見たいものが見れた。いいぞ、もう思い残す事は無い。」
首を落とすその時まで笑って逝ったと言う。
ハン・シヴァこと、柴半次郎、享年四十一歳であった。
誤字と言い回しの重複修正。ごめんね