第四十話 萌芽
あれから一月が過ぎ、女子生徒は全員買い手が付いたのだと言う。私は売りものではないそうだ。
そのあと紹介された褐色の肌をもつタキトゥス人二人がこれからの私の世話役だと言う。
深い従属魔法が施されているので詳細な命令を出さなくてはならないと私の所有者が注意する。
「今日から好きなところに好きなだけ出掛けると良い、其方の身分は私の保障するところとなったのでな。」
流石に驚くが同時にそうなのかとも思う。
「最初から其方の奴隷紋など解呪しておるし市民権も取ってあるな。仕事は見事達成しておるし対価としてはそこの奴隷二人と生涯の生活保護だ。」
初耳だったがどうして手を出してこないかも理解した。最初から奴隷化しなくてはならない娘たちへの脅迫目的としての楔が私だった訳だ。
「では、ツムギ・コルディリネ、我が家の末端として好きに生きるが良い。部屋はこの通り空き放題だから何時でも好きに使うと良いぞ。」
お言葉に甘えてリハビリがてら屋敷の庭に出る。
車椅子をノロノロと押す奴隷と日傘を差しながら黙って付き従う奴隷。名前を聞いても答えがこない。
商人としてどの程度の家柄なのかは知る由も無いが、海から吹き付ける風がとても心地良い。
室内で欝々と下らない事ばかり考えていても良い事など在りはしない。この身体でも行けそうな場所は無いかメイドに尋ねると既に話が通っている様でお嬢様と呼ばれるようになっていた。
宙ぶらりんな扱いであったので彼女たちも扱いに困っていたのであろう。
一時間程経過してメイド三名が国内の名所や近隣国の名所を記した文献や書類の類を持ってきて私を膝にのせてページを捲ってくれる。
気恥ずかしいけれど手足がないのでどうにもならない。
ふと思う。部屋の隅でボンヤリしているあの子は陽の光があるうちはあそこから動かない。あれは一体何なのだろうか…。
その日の夜、眠っている私の夢の中に、顔形が判然としない部屋の隅の娘が顕れる。
「ねぇ、ママ、イシがアレ食べていいか、聞いてって。」
なんだか良くないモノのようだ。そんな即断即決出来ないことを聞かないで欲しい。
「そっかぁ。」
部屋の隅より向こうのほうへと駆けていく。なんだか可愛い。
遠くの方から小さな声が聞こえてくる「ママがダメだってー。」「えーあんなのお人形さんより意味ないじゃない。」「うん、私も意味ないとおもうけどねー。」姉妹か…でも私がママっておかしいな…。
姦しい二人の会話が遠くになるにつれ私は深い眠りに落ちた。
夢の中なのに眠るのか…おかしいね。
それは大きな街だった。屋敷の反対側は市街地となっており、上級国民と呼ばれる商人たちと貴族の街であった。
「此処より外の区画に出る場合は護衛と馬車を使うが良い、そうでなければ易々と命を落とすからな。」
執務の合間に見送ってくれたヴィトー・コルディオネ卿に頭を下げる。
カロカロと運ばれる私は、傍から見ればお金持ちのそれであろうか…食膳に乗せられるケーキかなにかであろうか。
茫洋と町並みを見ながら、タケル君を想う。
想っても届かないのにね。
パキパキと何かが剝がれるような、弾けるようなそんな感覚がずっとしている。
魔法。
私の手足を切り裂いた後、私に死を許さなかったもの。私の死を邪魔したもの。
魔力と言う良くわからないもの。
私の全身を駆け巡る、無くなった筈の手足にまで駆け巡る奇妙な力。
ファントムペイン。無くなったはずの場所が痛む、何故か痛い。手で其処を押さえようとする、でも届かない。
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鎖で雁字搦めにされて指先も動かせない、闇色の貴婦人が心臓を穿たれる。
口の端を零れ落ちる紅い血液が薔薇の花弁を散らして床に落ちる。
彼女はこの期に及んでも諦めない、彼女は何時だって諦めない。何度だって蘇り何度だってここに戻って来る。
屠られながら屠る。それだって何度繰り返してきたか。
永劫の時の果てで世界を変える力を練り上げる。時の大時計が輝く伽藍の中に顕現する。
産まれた時の前に月の輝きと結ばれたあの日に、時計の発条を回す、ぐるぐるぐるぐる。
娘たち二人の力を借りて発条を回す。あの月の下へ帰るために、あの時に帰るために。
さあ、始めよう。
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目覚めると呆然と立ち尽くした奴隷二人に命じて街を巡る。奇異の目をしても車椅子の家紋を見て殆どの人々の表情が凍りつく。
おいしそうなものは無いかと菓子店を訪れ、自分でも着れそうな服は無いか?下着は無いかと買い求めに回る。
買い物の持つストレス発散の力は正しく魔法のようなものだ。
無くしたものを取り戻すように手足の様に動く奴隷を従えて、無心に商店を巡っていると日暮れが迫っていた。
馬車に乗り屋敷への帰路に就く。流れる景色と夕焼けを見ながら、そしてやがて訪れる夜に不安を感じながら。
暗い部屋に二人の娘が月の光で魔法を編み上げていた。
「ママ!、エレとねイシは決めたんだよ!。」
「全部忘れちゃったママを助けるって!。」
何を言っているのか判らないがこの子たちを認識出来るのは私だけだ、私を運び命令に従うだけの自我の無くなったタキトゥス人には何も出来ようはずは無かった。
この娘達は各々片手と片足だけ存在がハッキリしていた。だからママなのだろう。
時計を動かす機構のような歯車が月明りの黄金色で織り上げられて行く。
次々と形状の違う歯車が組み合わさり、やがてセカイが構築される。
反転から暗転し世界が丸ごと裏返しになった。
景色が色を無くし、私の鼓動も止まった。術式は依然として働いており、娘たちは月の光に包まれていた。
不快な音が世界を揺さぶる、玩具箱を振り乍ら暴れる何かの声がする。
今居る世界…元居た世界を見つけて手を伸ばす。届かない、届かない!、届かない!!、届かない!!!。
有らん限りの力を込めてあの日のあの場所へと手を伸ばす。届け、届け!届いてぇぇぇぇぇ!!!。
物凄く太い何かが力任せに引き千切られた音が聞こえた。
途切れてはいけない何かが切断された音が聞こえた。
「おかえりママ。」
「はい、ママ大丈夫?”立てる?”。」
出来そうもない言葉を言われた気がした。




