第二十五話 腹を蹴られて頭を踏まれる
得られた人の血肉で闇に染まった歓喜の唄が響き渡る。
ケイオススライムに喰われた人々が粘液質な眷属となって表面に現れ、言語になっていない唄を歌い出したのだ。
何もかも出鱈目、音節も音域も何もかも外れていた。
混沌の歌姫に全てが統合されて行き、凝縮された魔力が周囲を汚染していく。
闇の浸食に耐えきれず精霊たちが逃げ出す。マナを行使するに最も最悪な真空地帯が誕生し、タケルの魔法が霧散する。
気絶しそうな苦痛に耐えて繋いだ血管がマナの糸を失って血を吹き出す。増幅した自然治癒力を失って傷口が力なく開き、間欠泉のように命の雫を路上に溢し喪っていく。
「あーもぅ五月蠅いわ音痴な小娘。」
遥か上空から音速の壁を纏った御姫様が、片足蹴りのポーズで降りてくる。
何もかもが凍てつく冷気がケイオススライムを冷凍して行き、逃げる事は許さぬとばかりに拘束する。
氷の塑像となったケイオススライムは、御姫様の飛び蹴りの直撃を受けて活動を停止した。
少し遅れて御姫様を追いかける様に、ふわふわとのんきな顔をした執事姿の蝙蝠が飛んでくる。
「遅いぞ執事、妾に耳障りな唄を聞かせたこの慮外者を拘束して宮殿の監獄へ放り込むのだ。」
「拘束って、既にカチコチぢゃねーですかい。」
ケイオススライムを担ぎながら蝙蝠の執事はタケルと目が合う。
「まだ生きてんなら摘まみ食いはダメだなぁ。」
「供物以外のものを食うなら神の許可を得るのだぞ執事。」
「カッ、そりゃ無理だ、生憎とまだ召喚者と契約すらしてねぇってのに、許可貰ったりぃ、約束は出来ねぇわ。」
カラカラと笑いながら何もない空間に扉を召喚してケイオススライムを運んで立ち去って行く。
御姫様はと言えば、タケルの腹を爪先で小突いて氷の力で止血を施す。
「もし生き延びて恩を感じたならお菓子を持ってくるのだぞ。」
何処からか取り出した日傘を開いて重さの無い跳躍をした御姫様が、目の端に見えたあたりでタケルの意識は途切れた。
目覚めたタケルの腹は氷に包まれ、痛覚も感覚も麻痺していた。
懸命に治癒魔法を施し続けていた教会の魔法医師に感謝と礼を一頻り済ませた後、タケルはなんちゃってリジェネを展開する。
血管を縫合し出血の可能性をゼロにして色々と抉られた腸の歪な部分を切り取り繋ぎ合わせていく。
四時間少々の自己修復手術を終えてタケルは眠りに落ちる。
見守っていた魔法医師達は新たな治療法に沸き立つ事となるのだが、それは別の話だった。
結局事件は大きな爪痕と多くの課題を王国に遺していった。
先ずは地下室。
其処はケイオススライムの養殖場であった、そう結論付けた理由は発見された大量の人骨、要するに食事の跡だ。
ケイオススライムは骨を残して肉だけを食べる。遺留品は朽ちていたりもしたが持ち主を割り出す事が出来る程度の損傷である。
遺留品の損傷から見てケイオススライムが養殖されたのは極めて、最近の事であり、噂が流れたのは準備完了の合図か何かであったのだろう。
生き延びた兵士たち二人と記憶を照らし合わせながら報告書と始末書を書き上げ、筋力の落ちた腹筋を撫でる。
新しく作った肉は鍛えていないピュアな筋肉なので全然力が入らないのだ。
腹回りのトレーニングを重点的に増やすプランを脳裏で組み立てながら、あの不可解な二人組を思い出す。
何処にお菓子を持って行けば良いのか判らぬではお礼のしようが無いではないかと気付く。
兵団の官舎の窓辺に一通の便箋を発見するのは、夜も更けて寝る前に窓を閉めようとした時の事であった。
報告書と始末書はさておき、聖釈にマナを注いで町中の汚染を取り除く除染作業にタケルと兵士たちは駆り出されていた。
聖別された聖釈は余程の不信人者で無い限り力を発揮してくれる聖なる掃除道具であった。それを支給されて町中のあちこちに広がった汚染をマナをこめて突いて除染する。
便利な道具であったが、いかんせん効果範囲が狭い。なにかこう改良方法は無いものかと思考するも、聖魔法はその起こりからしてただの魔法とは別物である、試しに構築を試みると打ち消される邪魔な何かが存在している、神父曰く「神の御意志」であるそうだ。
生活魔法使いにはハードルの高い世界だったので改良を諦めて日々作業に没頭する。
最後の食事を食べた者達が静かに息を引き取り、順番に埋葬されていく。
黙々とタケルもその作業に加わり、友人たちを見送る事となる。
肉壁として命を落とした人数四十七名、保護されて後に病を発症して無くなった者五名、サナトリウムより脱走を図ろうと屋上から飛び降りたもの二名、行方不明者三名、意識有り生き延びたもの五名。
安楽死者数三十一名。
等しく生き延びた五人全員から罵られ、殴られたが、割って入った兵士たちによって殺される事は無かった。
墓地を指差しながら僕も良く知る友の名を叫んでいた彼も、又、友であった。
殴られるまま殴り殺されていれば楽であったに違いない。悪事には断罪があって然るべきだろう。
どんな罰が待っているのだとしても僕には、楽な死に方など許されないのだと自覚している。
死に辛くなる魔法を追い求めている理由も其処が基点だからだ。
聖魔法での浄化が済み、自身が殺した友たちの墓に手を合わせ一つ一つ花を手向けていく。
金を手に入れたらこんな木の杭だけの情けない墓を日本式の物に替えてやりたい。
偽善でしかないが、僕に出来る事はそんな事くらいしかない。
兵士宿舎で吐き気を堪えて泣きながらベッドの中でのた打ち回る。
個室でなければ即刻取り押さえられていたのだろう。
後頭部が踏まれる感触がある。
「招待状を受け取って置きながら来ないとは何事だうつけもの。」
其処には奇妙な執事と御姫様が月明りの中、面白い見世物を見ているような顔で見下ろす…やはり良くわからない者達が居た。
僕はベッドの横のズタ袋を手に持ち二人に薦められるがまま幽鬼のようにフラフラと立ち上がり、歩き出す。
「はい、お客様扉はこちらとなって御座います。」
また、ありもしない扉が顕現し蝙蝠の招きで歩を進める。
冴え冴えとした空気が扉の向こうにはあった。
氷の宮殿。其処は何処かで見たことのある雪の女王の城であった。




