第二十四話 混沌の蓋
聖イグリット教会から神父とシスターが連れ立ってザン・イグリット教礼拝所跡地へと呼び出されてより半刻。
ジメジメとした空気に肌も汗ばむ六月の気候に、タケルも五人の兵士もやや疲れた様子であった。
聖魔法を簡易的に行使する何時もの雑な埋葬とは違い、祭壇の設営と聖刻を刻む聖なる釘による刻印の音など珍しい光景があり、退屈だけはせずに済んだ。
聖魔法の輝きが聖刻を輝かせるものの、ドス黒い瘴気が輝きを打ち消して何度も儀式は破綻させられる。
呪詛のような形作られたものではなく怨嗟と憎悪が濃縮された蠱毒壺のような、一筋縄では行かない物が渦巻いていると神父は呻くように呟いた。
町中の礼拝所から神父が集められ、祭壇はより高く積まれ、天に至る階として格が上がる。
聖刻も陣を描ける規模となり聖法陣として星が刻まれた。
大魔術で用いられる魔法陣と趣が似通っているが、流れるマナは聖別され清浄な気か満ち満ちていた、まるきり別物である事が肌で判る。
六人の神父が星の角にそれぞれ立ち、聖書の節を順に読み進めていく。
シスター達が聖水を振り、心を込めて祈りながら、決められた一小節を重ねて謳う。
聖法陣が地下室の何かと鬩ぎ合うかのように、強い光を放っては、それに抗う闇に光を喰われる。
闇の領域が可視化され、光の刃がガリガリと闇を削っては砕け散る事を繰り返す。傍から見ていても丸判りな確度で拮抗している事が伝わる。
一般信徒ですら恐ろしいその光景を目の当たりにするや否や、その場に両膝をついて真摯に祈り始める程に闇の抵抗は激しかった。
星の角に立っていた神父の一人が倒れると交代で別の神父がその場に立ち、聖書を広げ十字架を手にして一節から読み上げを始める。
倒れた神父をタケル達が担ぎ上げて、離れた場所へと運んでいく。
予想以上の聖と魔の戦いに、ザン・イグリット教とは何なのかと言う疑問が沸々と沸いてくる。
聖イグリット教がこのように聖魔法を駆使して穢れた地を浄化できる事は、ノットにもイスレムにもダン・シヴァにもローラにも聞かされていたから判ってはいた、だが、それは判ったつもりになっていただけだったのだろう。今、目の前のこの光景が特撮か何かであるのなら、それは幸せな事なのだと思う。
のたうつ闇が足掻きに足掻いて神父達を傷つけているこの情景が、紛れもない真実であり事実と言うのは不幸な事極まりない。
きっとこの地下室の噂自体がザン・イグリット教による罠であったに相違無い。
仰け反る様に倒れてくる神父を受け止めて後ろに下がると、決意に満ちた若い神父が空隙を空かさず埋める。
詰められた何かが発酵して隙間から噴出すような音を立てて、可視化した瘴気が泥のように噴出していた。
シスター達が聖水の蓋栓を抜き、銀の盃にそれを注ぎ、指を浸し滴を飛ばす。
聖水が黒い瘴気の泥を浸食し爆ぜさせる。浄化の光を放ちながら泥は打ち消されていく。
闇の殻は光の刃で断ち割られ、瘴気の泥が倍速で噴出し始める。神父たちも懐から聖水を取り出し、十字架と共に祈りながら振る。
瘴気の泥に何本も断罪の鍵たる黒鍵が突き刺されると、瘴気の泥は灼熱し黒鍵を溶かして反抗を続ける。
次は誰が倒れるのか息を飲んで身構える僕たち兵士には、この瘴気の泥と戦う術が残念ながら無かった。
何年も神に祈りを捧げて修練を積み、試練を数多く乗り越えて至れる力である。
ただ、ディルムッドが使える聖魔法は、神より生まれつき与えられたギフトであるらしく神父たちのような修練も試練も乗り越えた覚えはない、と本人が語っていた……本当のところは知らず知らずの内に色々と乗り越えたんじゃ無いかと思う。ローラの表情で察しただけではあるが。
聖刻印の輝きが闇の押し返す力を凌駕し瘴気の泥が次第に透明なものに変わってゆく。
一人、また一人と神父が倒れ、シスターも倒れる。
慌ただしく走り回る僕たち兵士と、疲弊した彼等を看病する近くの住民たちが固唾を飲んで見守る中、溢れていた瘴気が周囲の草花を根こそぎ枯らしながらも、静かに浄化の光が周囲を包み始める事によって力の均衡が崩れた。
聖刻印がより一層強く輝き、浄化の力が熱を帯びて闇と瘴気を駆逐する。
誰もが張り詰めた空気の中緊張の糸を手放した。
この闇は払われ浄化されると。
────油断した。
荒れ狂う絶望の奔流が天高く吹き上がり、其処に居た住民と聖職者達に襲い掛かる。
解放された喜びに満ち溢れ、喰らった血と肉の味に歓喜し黒い黒い漆黒の泥は歓喜の波となって人を貪る。
悪感情も恐怖も畏怖も憎悪も何もかも。揺れ動く人間の感情と血肉を糧に、それは力を増していくようだった。
血を啜り、肉を骨から剥して美味そうに咀嚼する。逃げる子供に追い縋り頭から齧り付く。
地の底から溢れ出す粘性の高い泥が家族を恋人を纏めて喰らう。
必死になって近くにあった椅子を手に、我が子を捉えた泥の手を何度も何度も半狂乱になって打ち据える父親。
捉えられて引き摺られる娘の身体を掻き抱き、泥に抗う母親。
内臓を引き摺りながら地を這い必死になって逃げるタケル。
そこに顕現したものは、大凡地上に住まう何者とも違う何物とも違うナニモノトモチガウ形の無い何かであった。
聖釈を持ち神父たちとシスター、そして教主たちが反撃を開始する。
直接泥に刻印を穿ち、聖魔法を捨て身で放つ。
静謐な空気が、泥…ケイオススライムの身を引き千切り浄化の光で焼いていく。
怯える民衆たちを背に果敢にケイオススライムの身を寸断し、浄化と覆滅を繰り返す。
人を食えばその身は肥大化し、人の心を喰えばその身は闇色に輝く。不定形にして不死族の王者、それがスライムである。
兎に角削って削って削らなくては処理できない。少しでも残れば其処からじわじわと増殖する。
多大な犠牲を払えばそれだけ増えるので犠牲を払わず倒さなくては終わらない、最悪な敵である。
腹部の肉をゴッソリと持って行かれたタケルは練り上げられないマナと増肉魔法の不安定さに死を覚悟していた。
字下げ忘れ。