第二百三十六話 ひみつプラント♪デッドゾーン②
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食休みと食後の後片付けを終えて鰻鞄からユグドラシルを取り出して、漸く肉壁と向かい合う。
辺りに漂う食後の香りと肉が酸で焼かれる不快な香りが混ざりあった重苦しい空気の中で独り溜息を吐く。
剥き出しの胃壁のような壁からは時折酸が噴き出すような有様であり、退路は上に向かう縦穴。
状況は、ここで初代勇者の出現を待つなどと云う、所謂ご都合主義的な展開は望むべくも無い。
だからと言って胃酸のプールを泳いで初代勇者に面会を申し出る等とは御免蒙りたい話だ、溶けて流れて明日はう……など目も当てられない。
もちろん溶けて爛れてあんた誰?と言う事態もノー・センキューである。
そこでここは一つ、ユグドラシルの権能で初代勇者を吸い尽くす事で決着を付けたいと思う。
言うなれば後始末、唯一つの吸引力とでも何とでも云うが良い。
ユグドラシルを壁の肉に突き立てて厳かに命じてやろうじゃないか。
「吸い尽くせ!ユグドラシル!。」
ユグドラシルから八本の根が突き刺さり壁の肉を啜り上げるように吸い込みはじめる。
音で言えばズゾゾゾゾッと不愉快な音が鳴り響く。
実際には肉として存在している其れが持つ生命力やら存在力を根こそぎ吸い尽くしていく過程ではあるのだが、知らなければ肉を捕食しているだけにしか見えない光景だろう。
奪った存在力の分、それは其処に在る力を確固たるものに替える。
ユグドラシルは異質なその存在を世界から刮ぎ取っていく、世界の理が形を得た成れの果てから零れ落ちた概念武装が閃く度に剥き出しの土と鉄筋が……肉の浸食を免れた瓦礫が残る。
濃密な血の臭いが酸の臭いと混ざり噎せ返る様な重苦しい臭気と化して蟠る。
脆い足元を革靴で踏み固めるようにタツヤは歩き出す。
建物の構造は浸食による崩壊が著しいが"外側"へ漏れ出ている形跡は認められなかった。
狂気の科学者が作った形質保護力場は健在であるようだ。
「ここは初代勇者の監獄の様なものと考えればいいのか……厳重なようでいて、そうでも無いゆるさが気に掛かると云えば気に掛かるのだが。」
中から溢れだす事を警戒しているのか、外から襲い来ることを警戒しているのか、或いは……。
狂気の科学者はどちら側に立って初代勇者を俯瞰していたのだろうか?。
些細な引っ掛かりに惑わされながら、見つけたところでどうしようもない答えを探してしまう。
心は乱れても、槍を振るい乍ら進む足取りだけは乱さずに、初代勇者が封印されているであろう場所を目指して散らかり放題の肉を始末してゆく。
それは"永遠の二番手"が掃除機片手にマンション管理をするような、気の進まない激グロな光景であった。
──── ・ ────
足を踏み入れれば死が確定する。
そんな場所の事をデッドゾーンと呼ぶ。
四十九階層の肉塊の片付けを終えて最後の階層への入口を前にした俺は人の一部が切り取られて瓶詰にされたそれを前に、グロテスクを理由にボカシを掛けるのかそれとも別の理由でボカシを掛けるのかと言う、誠に要らぬ心配をしながら昼食の支度をしていた。
トレイにペーストを並べただけの非常食をスプーンで食べながら先輩から得た知識の通り非常に近未来的な容器を見下ろす。
肉の波により最下層から押し出されてきたそのパーツは右腕である。
見た感じ大人のモノとは思えないサイズであり、歳の頃で云えば十歳児くらいであろうか……。
知識として与えられた初代勇者の年齢に齟齬が見られる、若返ったのかクローンか、それとも転生したのか。
想像力の翼を広げれば際限が無い。
戦闘に突入する状況に追い込まれても地下駐車場並みに広い空間を確保出来た現在、足元に不安は無い。
肉のプールと化した元階段と思しき階下へ続く穴を文字通り掘り進む事になるこれからを思うとうんざりするが退路の確保が出来ただけマシな状況だろう。
唯一つの吸引力よろしくユグドラシルを手にして、食後のトレーを鰻鞄に放り込む。
「余すところなく吸い尽くせよ、ユグドラシル!。」
ユグドラシルから禍々しい瘴気が立ち上ると同時に八本の根が伸び、周囲の肉塊に突き刺さり壁の肉を啜り上げるように貪り始める。
正気度がマイナスになる様な血飛沫を上げ、淀んだ空気に血腥さを新たに振り撒いて肉の壁を切り拓いていく。
泥濘、滑る足元を水音を立てながら歩み、進む。
光源の無い肉色の通路を躊躇無く進めるほど剛毅な性分ではないが、明るくすれば良いと云うものでもないのだ。
血が滴り、蠕動する肉壁と血飛沫を上げて拍動する血管の群れが破れたホースの様に踊り狂う狂演を見たいと言うのであれば明るくなる魔法やら魔道具を使っても構わない。
仄暗い程度の光源だけを腹部に灯して作業に没頭する。
──── ・ ────
一日の労働時間である処の十二時間を目安に作業を切り上げて四十九階のベースキャンプへと帰還した。
見渡す限り廃墟然とした景色のなかで入浴と洗濯を開始する。
作業着は盥に浸した途端真っ赤に染まり、何度か濯ぎ洗いを繰り返して血を洗い流した事を確認してから洗剤の塊でゴシゴシと洗い始める、泡立ったところで洗濯板でリズムよく洗う。
洗ったユグドラシルを物干し竿にして作業着を干し、下着を洗う。
下着を干したら革靴を洗い、適当な場所に掛けてから漸く身体を洗う。
頭髪にこべりついて餅のような粘度になった血をこそぐ様に洗い流し、何度も溶かした洗剤で髪を解しながら洗う。
血の塊やらで斑な盥の中のお湯を捨てて身体を丹念に洗い、魔法で高いところからお湯を落としながら疲れた肩や腰に勢い良く掛け続ける。
うたせ湯魔法と名付けた用途が限られる阿呆な魔法ではあるが、心に余裕を与えるには実用性のあるネタ魔法は欠かせない、少なくとも俺には必要な魔法だ。
他にも光の屈曲を格子状に張り巡らせるモザイク魔法もあるが絶賛展開中なのは言うまでも無い。
誰も見ていないからといって無修正は日本人として御法度だと俺は思うのだ。
腰のあたりまでしか深さの無い盥に不満はあるが、湯に入れる事を無視して文句を垂れ流すのは盥に失礼であろう。
全裸で盥の中で胡坐をかいて薄暗い周囲を見渡せば、何もない静寂の空間にもの悲しさを覚える。
慌てなくてもそのうち初代勇者が保管されている部屋を掘り出す事になるが、ソロで挑んでどうにかなるかは賭けでしかない。
内臓の一部……多分腎臓と膵臓と脾臓が纏めて入った瓶、見るからに肝臓と判る臓器の入った瓶、小腸がみっしりと納められた瓶は下の階に結界石を添えて放置してある。
肉で押して転がしながら地道に移動させてあの成果であるならば、ここから脱出するには少なくとももう二千年は必要そうな移動距離であった。
やるだけ無意味な作業でも暇であるならば幾らでも時間は費やせたと見て良いのかもしれない。
もっとも肉の肥大化がイレギュラーであるならば瓶の移動は只の事故でしかあるまい。
寧ろその事故のお陰で復活出来ない可能性のほうが有力ではなかろうか。
前傾姿勢で打たせ湯を腰に直撃させてコリを解しながら不定期連絡の文面を考える。
「拝啓姉さん……から書くか……。」
今は亡き育ての叔父さん位しか通じないであろう書き出しに独りでウケて独りで笑う。
並行時間軸の自分自身が叔父であった事実にシニカルな笑いしか浮かばない。
俺には俺以外の理解者は存在しなかったと言う証左ではないか。
「そんな事は無いぞタッちゃん。」
中等部の頃に修学旅行で買った京都土産の扇子で俺の頭をしばきながら御堂尊が笑う。
「水臭い野郎だなお前は。」
そういいながら肩を組んでくる石岡琢磨に首をロックされる。
俺の世界は狭い、狭いながらも悪くない世界だった。
世界のどこかが戦地になってはいたが、捨てるには惜しい世界だったのだ。
「恐らくは、他の皆にとっても大切な世界だった。」
ユグドラシルは何かに呼応するように揺れ、洗濯物が揺ら揺らと揺れていた。




