第二百三十四話 背景、真っ暗な世界より
俺が先輩と出会ったのは母の押す手押し車の中からであった。
要約するまでも無く初めての出会いなど寸毫も覚えていない、気が付けばお姉さん風を吹かせたいお年頃の、先輩達が興ずるおままごとでの生きた人形のような扱いだったと言うべきである。
その当時の両親は未だ両親の体裁を保っていた。
外部から訪れる近所の子供達などを、招き入れ、持て成し、事故やケガなどが無いように面倒を見るなどと言う行為は、とてもとても心の余裕を必要とするものだからだ。
目を軽く閉じただけで、気付けば刃物を握って荒い呼吸を整えている母の姿を思い出せる俺には、容易に想像できない過去の景色と過去の両親の姿だった。
それはとても幸せそうな、いやとても幸せな夫婦の姿だった。
手の中に転がる新たな核、センパイの別個体が持っていた核が見せる第三者目線の俺達家族の姿。
実感が全く伴わないものを見せられても取り立てて感想などは無かった。
過ぎ去り、取り戻す事など出来ない遠い遠い過去の、言い換えてしまえば幻想の中のワンシーンだ。
散らばった記憶の欠片に緑色の何かが紐づき、しっかりとした繋がりが生まれた事を感じる。
アロエドラゴンのネットワークが、複数存在するセンパイとセンパイを繋いだ。
どうやって?。
ここにある核だけになった黒エルフとアロエドラゴンの眷属である俺が接触したからだ。
既に亡骸となった黒エルフをユグドラシルに吸い尽くさせながら先程のセンパイとの会話を振り返る。
コモンスライムであるセンパイと黒エルフに内包されていたセンパイとの会話に生じた齟齬を整理しなくてはならないだろう。
説明に補足をするとセンパイのコピーは何体も居る。
敵との戦いに備えて情報と己を逃がすために、バックアップが存在している、種明かしと言うほどの事も無い。
そして記憶の統合を果たしていない個体が見つかれば、こちら側サイドから見れば新たな情報が獲得できる事となる。
時系列を揃えて上書きしてゆけば、何れは正確な情報の全てを獲得し過去の概要は掴めるだろう。
飽く迄もセンパイの主観ではあるが、一側面の真実が物差しとして使えると言うことは心強いものだ。
真っ白な世界。
これは俺の心象風景の様だ、何の痕跡も残さず死んで行くつもりであった俺の内面を余す処なく描いた世界だ。
殺風景極まりないが完璧な世界であると思う。
眠りに就きたい欲求に抗い難くはあるが、最下層に用事が出来たのだ、歩いて行くしかないだろう。
センパイの愚痴やら助言やらを思い起こして整理する事を、暇つぶしにしても問題はないはずだ。
錆びた扉を開けて階段を降りると、何の気配も存在しない通路が奥に続いていた。
リノリウムを敷き詰めた廊下を暗視を使いながら漠然とした気持ちで歩く。
─────センパイが召喚されたときには初代勇者が急速発展させた世界は滅びていた。
だがセンパイは初代勇者と直接会っているし戦ってもいる。
個体としてのセンパイが正しく一人であるという保証は無いから保留しよう。
代り映えしないダンジョン、いやダンジョンらしくない公共施設然とした面白味の無い場所を歩いている。
ワクワクもドキドキも無い、ただの迷宮擬きを進むのは苦行でしかない。
黒エルフの脅威が無くなってすっかりと安心しきっているのは危険ではないだろうか。
─────馬鹿みたいに核攻撃を受けたセンパイが再起動した時期は何時だろうか。
俺が再起動させるまであそこにいたのは確かだが、何時頃に背中を押されてタクガクカフェーリアとやらいう龍を素材にした英雄ガチャに装填されたのかは不明だ。
無事を知らせる手紙を鰻カバンに入れて食事を摂る事にした。
火気厳禁の廊下に鳴り響く火災報知器のサイレンとスプリンクラーから噴き出す水がうっとおしいが、卓上燻製器を止める気は無い。
パラソルを叩く水音が静かになる頃に飯が完成した。
地上で狩った魔物の肉の燻製を袋詰めにして鰻カバンに詰め込み、機材も片付ける。
予め煎れておいた温めのお茶とともに、食べる分だけ除けて置いた一食分の燻製肉を食べ始める。
振る舞う相手が存在しない飯に彩りなど不要だ、それでもただ焼いただけの肉を食うよりは大分マシな食事ではある。
マシだよな……。
小休止を終えた俺は乾いたリノリウム張りの廊下を歩く。
盛大にスプリンクラーから撒かれた水はどこへやら、湿度も低く乾ききった廊下となっている、誠に不可思議な状況である。
いやいや、今更などとは言わないでくれ、階下で水が溜まっていて目的地まで潜水……となると中々苦労する道程だろう。
真っ暗闇の通路にぼんやりとした光が、枠らしき存在を誇示するように漏れ出ている。
火を用いた明かりが一切使えない都合上、暗視スキルのみで歩いていた事が発見に繋がったのだろうか。
この弱すぎる光を松明などで照らせば打ち消してしまったかもしれない。
早速枠をノックする。
別に誰かが居る事を想定してノックしたわけではない、隠し扉らしきものをノックする理由は、そこに空洞が存在するかどうかの確認だ。
結果は空洞あり。
早速ユグドラシルを隙間に差し入れて根っ子を伸ばして隙間を抉じ開ける。
ドアらしき機構は存在するものの稼働する動力の有無までは不明、開けられるなら開けてしまえと言う酷い決断であった。
力技でこじ開けられた空間には何もなく、真下に垂直に開けられた穴があるばかりで空気の流れと音が木霊する人口の縦穴があるばかりだ。
覗き込んで真上を見上げると、縦穴は続いていたが光は見えない。
薄暗い発光ダイオードの光がところどころにあり、メンテナンス用に据え付けられたであろう梯子が上下に伸びている。
「エレベーターか……、スンドゥラァ……まぁいい。」
頼りない構造と言う訳ではないが、幅が狭く細い作業用の梯子を命綱も無く降りる心細さは割と精神を削る。
馬鹿げた身体能力や魔法を獲得していてもケツがムズムズするような恐怖には中々馴れるものでは無い。
吊り橋を作る大手建築ゼネコン会社の下請け作業員の皆様が定期的に行う、気の遠くなるほど高い場所で保守点検する小父さん達の替わりは俺に勤まる事は無いだろう。
巨大構造物の保守点検と言う「大」を想起して、現状という「小」を誤魔化そうと試みているのだが、あまり高いところは得意ではない俺の細やかな抵抗と云う奴だ、聞き流して頂けると有難い。
地味に異空間化しているらしいと気付いたのは、階層の距離が等しくない事と稀に梯子の位置がずれる事に気付いたからだ。
エレベーターを保持するワイヤーが切れた原因も恐らくはこれが原因だろう。
トンデモ技術でそのくらい克服してくれていれば縦穴で何度もポータレッジすることも無かっただろうにと溜息を吐く。
縦穴侵入から五日目、疲れを覚えた俺は壁面にアンカーを打ち込みポータレッジを設営する。
そんなに設営に時間は掛からない、メインアンカー一本とサブアンカー二本で支えるシンプルなものだ。
墜落防止にテントを設置して寝袋に身を包んでサッサと寝る。
これが絶壁や岸壁を登って遊んでいる時ならば、雄大な景色を楽しみながらコーヒーや紅茶を飲むのもオツなものなのだが、常に真っ暗、ぼんやりとダイオードが輝くだけの空間では、やるだけ無意味だし労力に全然見合わない。
何事もなく眠れる事の幸せを噛み締め乍ら目覚めても真っ暗な朝まで眠る事にしよう。
言い訳になるので理由は語りませぬ。
長きに渡る更新停止期間は偏に怠けていたからという理由で構いません。
もし待っていたとおっしゃられる方が居りますならば一言、お待たせいたしておりますと御礼の意味を籠めて次回更新に替えさせていただきたく……。
体勢の再編成が僅かながら整いました10/30を持ちまして執筆再開しますが投稿は恐らく11/1です。
誤字脱字を恐れず参りたいと思います。
メイン・サブ・サブ2のPCが全てwin10に 外付けHDDを三台 これで大丈夫な筈……。
草々
11/2 予定通り投稿失敗していました……。




