第二百三十話 背景、真っ白な世界より
透明な樹と光の反射で葉脈が確認できる、形状から言ってアカシアで間違いないだろう。
そっと触れてみると、風を受けてザワザワと葉っぱが騒ぎ、何時しか様々な事象の系統樹のような何かに手が届く。
枝葉末節を辿って至る事で気になった事の答えを得る、知的好奇心を無駄に満たされると、訪れるものは虚無だ。
リンクが為された事に時の女神の満面の笑みが見えた、だがついでに時の女神の居場所と行動の真意を把握した。
便利な樹だわ、コレ。
青褪めた顔でイヤイヤと首を振る時の女神の姿が幻視できた、一刻も早くユグドラシルの全力でもって老婆の姿にしてやりたいものだ。
幾つか必要な情報だけを抜き取り、透明なアカシアの樹とのリンクを切る。
賢者が欲しがる究極の到達点とやらは、恣意的に改竄される事の無い記憶媒体でしかないのだと思う。
可能性の未来の先には蕾どころか葉すら無いからだ。
透明なアカシアの樹から離れて、どこまでも白い世界をゆっくりと散歩がてらに歩く。
慌てる事は無いが意識を失う事は避けなくてはならない。
ここは俺の深層心理でありユグドラシルを構成する基部そのものだ、今は黒エルフと俺の身体を栄養にして一本の樹……いや苗木になろうとしているところだが、邪魔してやらなくてはならない、もう少し出番は後なのだから。
生前の黒エルフの筋骨隆々な面影は薄れているが、アレの栄養が尽きれば次は俺の番がやってくる。
焦る気持ちを深呼吸でどうにか整えて深奥に至らなくてはならない。
白い世界に広がる大地に転がる、透明だがどこか濁った色の欠片が爪先に当たる。
拾い上げて透かして見れば正体が判る、俺の記憶と記録、失敗の歴史の残滓だ。
炎上する王都でタケルが自害して果てる未来の欠片では、転送者狩りが活発化していた。
技術革新が過ぎでガトリング砲や大砲、果ては空爆による爆撃で飽和攻撃を行う、この世の地獄が其処にあった。
戦車が石畳を破壊しながら北の凍土から王都カラコルムに殺到する。
軍事オタクの木下、徳永、金田の三人が生き延びて、北のクリムソール城下街の奴隷市場で将官の奴隷として買われ、そこで更に運良く魔導科学技術庁にモルモットとして抜擢されれば起こり得る未来である。
恐ろしく低い確率で発生する事故のような未来だが、この時点で彼ら三人は帰らぬ人となっている。
魔法を用いた脳の記憶を吸い取る術式の途中で、麻薬と自白剤のカクテルを、まるで浴びるように大量投与された結果だ。
前述の転送者狩りは、この成功に味を占めた研究者たちや政治指導者による欲望の発露であった。
センパイが自身の肉体を手に入れた場合、確実に復活させるロストテクノロジーの一つが、脳の記憶を吸い取る術式である。
記憶のサルベージないし、インポート、エクスポートを自在に行う技術が無ければ、喩え自身の肉体が出来たとしても只の等身大の肉人形でしかない。
「それ自体に需要が無い訳ではないけれどねぇ。」
不穏な言葉がセンパイから漏れ聞こえるが気にしないようにしたい。
「キミだって自由に練習できる生きた献体があったとして、それが人道的にも金額的にもクリアされた代物だったらならば毎日だって捌いて技術を磨くだろう?、医師や研究者は経験値を稼げるフィールドを求めて大病院や大学に併設された病院に所属しつつ、日夜研究する事を望む生き物なのだからさ。」
随分久しぶりにセンパイの顔を見た。
なるほど、俺の記憶野にセンパイを構成する素材は揃っていたらしい。
「おぅふ、随分と胸が薄いじゃないか、キミはボクをこんなサイズだと思っていたのかね?。」
怒るところそこかよ、と思いつつ胸元に現在の先輩を配置して納得して頂く。
「これはこれで忸怩たるものがあるが……、可愛い後輩君の忖度に機嫌を直してやろうじゃないか。」
寛大なセンパイに感謝しつつ、さて、どのようにしてこの白い世界にセンパイが遣って来たのかを問い質さざるを得ない。
「一体どうやって”他人の脳内”に入って来たのか聞かせて戴けますか。」
「答えは簡単さね、私の母の加護で皆リンクしているんだよ、母の肉体の力で傷を癒した事のある者達は、軽い意味で眷属みたいなものさ、お婆ちゃんは何時だって孫や曾孫が心配なんだよ。」
アロエスライムはアロエドラゴンの加護と心配の結果だと答えた。
これは街に戻ったらお婆ちゃんに挨拶に行かねばなるまい、落ち着いたら培養土つくりと株分けもしっかりやろうと心に決める。
「随分と厄介な者達にしがみ付かれてるんだね後輩君は。」
俺の背中の向こう側を覗き込みながらセンパイは鼻白む。
「まぁ、居場所も割れましたから、後はお仕置きするだけですよ。」
そう嘯く俺の目を見据えながらセンパイは無言で一本の使い捨て手術ナイフを大量に投擲する。
白く透明な眼球を貫かれた観客達が、不意打ちの眼痛に呻く声が聞こえる。
「オーディエンスは投票ボタンでも押していればいいのだよ。」
「クイズ番組ですか。」
色のある世界ならば恐らくは血の海となっている筈の濡れた床を歩く。
水音の分だけ目玉を抉られた観客がいると仮定するだけでもうんざりするが、視えなきゃ気にするだけ無駄である。
「君の意識野や記憶野についての考察はさて置くとして、ここの外側……、所謂”ひみつプラント♪”について説明する義務がボクにはある。でも聞きたいことは、そんなもんじゃないだろうね。」
「妹の事ですか、元気だったならそれで充分ですよ、最初に召喚を行った下衆の正体も知っていますし妹を殺した初代勇者は死んでいますからね。」
深い溜息を吐くセンパイが、力無く笑う。
どうしようもない何かを飴玉のように転がしているような表情でその言葉を吐き出した。
「ごめんね、二人は生きているのだよ。」
聴きたくなかった答えを聞かされた俺を、早まったかなと言う表情でセンパイは見ていた。
どの様に生きてどの様に死んだのかを知れば、俺は流石に受け止めるための何かをしなくてはならない、そのアクションを起こす事を躊躇ったからこそ、透明なアカシアの樹とのリンクを切ったのだが、センパイは俺の臆病を許すつもりは無かったのだろう。
このタイミングで湧いて出て来た説明としては、まずまずのものかと苦笑する。
「キミの妹は不完全な形で復活しかけていたところを、通りすがりの大魔法使いが正しく目覚めさせる道筋をつけちゃったんだ、だから慌てなくても再会は確実だねぇ。」
思わず頭を抱える。
妹が失踪した件について、俺はその記憶の殆どを失っている。
それを思い出そうとすると両親から受けた責め苦がフラッシュバックして正常な精神状態を保てなくなるのだ。
震える俺の肩に手を置いてセンパイが強く声をかけてくれた。
「考えるな!。」
強い癒しの力が働き、アロエドラゴンの加護が励起する。
乱れた心拍数と息切れが緩やかに収まり焦点がゆっくりと合っていく。
軽いパニックに陥っていたのだと気付くと寒気が走る、こんなところで我を失うなど自殺行為に等しい。
「ありがとうございます、センパイ。」
「いいってことよ。」
ヒラヒラと手を振って答えるセンパイと、背景までも白い世界を連れ立って歩き続ける。
この場に落ちているものは整理のつかないものばかりだが、センパイは幾つか拾い上げて鼻で笑ってどこかに投擲する。
「後悔ってヤツは砂のようなものさ、溜まり溜まって最後には己を殺す。未練無く捨ててしまえば身軽になれるのだよ、ほらまだ形を保っているうちに、キミも投げてみたまえ、無心になって投げ続ければ楽になれる筈だよ。」
事も無げに置き去りにした無念の欠片を拾い上げては、無造作に投げるセンパイを見て俺も投げることにした。
それは重い苦しみの果てに心の奥にしまい込んだ後悔の欠片たちであり、捨てきれない”家族”という名の未練の欠片であった。
拾い上げて振りかぶって投げる。
優しかった両親との思い出も痛みを呼び起こすだけの鍵となった今は傍に置いてなど置けない。
投げ過ぎて肩に走る痛みを覚えるまで、俺は無心で欠片を投げ続けた。




