第二百二十九話 南進②
南方都市カポ、大きく広い川幅を持つワイール河の河畔にある湿地帯が南側に広がる大穀倉都市だ。
アルヒローン公国軍に手引きされたシルマール将軍率いる第四軍が川上の形状を治水工事のついでに水浸しにしつつ、水流を本流から散らして大規模なダム工事に着手した。
当然の事ながら痩せた大地や荒野が一時的に潤うが、人為的に氾濫させられた河川沿いに住んでいたシルナ人への人的被害は甚大なものとなった。
そしてそれらの救済はイグリット教が行うと言う卑劣極まりない布教活動が始まっていた。
各地で義勇兵と言う名前の英雄たちが立ち上がり、一時的な戦果と代価を手に入れた彼等が慢心の末に野盗と化す、権力を得て暴君と為るを地で行く自然の摂理がそこにあった。
持ち上げた英雄が租税を集めると言い放ち、女房や娘を攫って行く訳だが、そのうち奪うものが尽きれば命を刈取りに来るなど当たり前の時代、セカイであった。
大河の氾濫により作物が壊滅的ダメージを負い、人々は野盗ないし英雄から逃げ惑い、トリエール王国の支配下にある大都市に辿り着いて敗戦を知る事となる。
志あるものは南へ向かい、追い込まれた者も南へと向かう。
そして全てを諦めた者達も南へと……。
その大行列の後方にノットとイスレムが率いる第二軍が盛大に噛み付いてゆく。
彼等が心酔する御館様は此処には不在であり、どちらも第二軍総指揮官の座は断っている。
「ど、どうして私が第二軍総指揮官なのですかぁぁぁ。」
二人が揃って代官の立場を剣戟を交えつつ押し付け合った結果、コンラッドが総指揮官という座に座る事となった。
「儂等は兵を率いるまでは出来るが、所謂脳筋だからな。」
「タケルの参謀を務めるくらいだ、頭いいんだろ?、ウチの副官も褒めてたしよ、まぁ、いいんじゃねぇか。」
バシバシと背中を力任せに叩いて快笑するノットと、砦の指揮官を務めたコンラッドの実績を認めた上で面倒事を押し付けようとする武人イスレムの好々爺然とした擬態が腹立たしい限りだった。
最初の内は、無理ですよぅ、等と気弱な発言を溢していたものの、追撃に逸る将兵を怒鳴って押し留める段に至ったあたりで吹っ切れる事となる。
「奴隷弓兵を前に、重点的に子供を狙い撃ちさせなさい、そうすれば大人の足は止まります。」
ベビーフェイスで的確な指示を出す鬼が其処にいた。
「あの国の教えでは、孝道の一つとして、足手纏いの子供は打ち捨てて行く筈だがどうだろうのぅ。」
「突撃準備しつつ見守るとしましょうや、隊長。」
矢が刺さり泣き叫ぶ我が子を見捨てて逃亡を選ぶ者、見捨てられず慌てて引き返し子供を庇って蹲る者、最初から己の身を盾にして家族を庇う者、反応は様々であった。
だがそれが人間だ、そうあるべきなのだ、逃げる者を追捕させ、抗戦する者、蹲る者は奴隷紋を施す。
誤って殺してしまっても、抵抗が激しくて手違いが起きてしまっても仕方が無い、だが人間的に致し方ない選択をした者にはチャンスを与えると云う温情ある命令が飛ぶ。
「願望だろうが、兵士の心情は少しばかり楽にはなるじゃろう。」
「では、子を見捨てて逃げ出した薄情者を追いかけますか。」
一割生き延びれば十分、しかしその一割すら生き延びる事が出来なかったシルナ民衆の逃走劇はこうして幕を開けた。
彫の深い高い鼻をした青い目のシルナ人をコンラッドは、ノットとイスレムを左右に従えて面会する事となった。
「椅子に座って偉そうにしてふんぞり返ってろ」と、ノットに言われた彼は、頑張って胸を張って背筋を伸ばして座っているのだが、タケルが見れば噴出す事請け合いである。
ターバンを巻いて右拳を左手で包み、目線より高く上げる礼をほどこすと幾ばくかの情報と引き換えに捕虜の身分を解いて欲しい旨を上申する。
そういった事情もあり中々「面を上げよ」とは言わず話だけが進んでゆく。
単純にコンラッドが言い忘れただけかもしれないが……。
良くある裏切りと言う話だ、多くの講談では、こういった人材は後で色々と暗躍をする自由を得る事となるが、コンラッドは静かにシルナ人の服を脱がす命令を出すと陣幕の外から宗教紋と奴隷紋をポンと押せる鏝をもった者たちが進み出る。
「シーリンを、イグリットの子と認め宗教紋を与える。」
白く熱く燃える鏝でシーリンと言う名の男の左胸に宗教紋が打たれ、左の肩甲骨側に奴隷紋の鏝が当てられる。
「シーリンを、我らが偉大なる王の財産として認める。」
黒く燃える炎が冷たく輝き鏝を青白く燃やす。
改宗と奴隷化を済ませ、衣服を直されて拘束を解かれる。
気づけば左右を固めていた兵士も陣幕から既に退出しており、異様な鏝を持った二人も既に陣幕を辞した後であった。
傍にいた武人然として老齢の男が重々しく告げた。
「ではシーリンとやら、トリエール王国式の礼や作法を学ぶ機会を与えるゆえ、しかと学んでから自由にするとよい。」
「は、はい。」
ここに来る前に抱いていた不遜な思いや、受けた屈辱の返礼先を彼は見失った。
ポッカリと穴の開いたそこに神への誠実な信仰と王への二心無き忠誠の二文が刻み込まれている。
その拘束力は恐ろしく強く、一方的に敗北する流れに乗ったオセロゲームのように彼の自我や矜持を塗り潰し価値観の入れ替えや優先順位の並び替えが行われていく。
それは、生え抜きの諜報員であった彼の過去を知る者が見れば絶句した後に天を仰ぐほどの変わりようであるだろう。
一週間ほどの学習帰還を終えたシーリンは、イグリット教の聖書を胸に洗礼を受け、トリエール国王に生涯の忠誠を誓い市民権を獲得し自由の身となった。
「これからはトリエール王国の為、イグリットの神々の為に生きてゆこうと思います。」
「王も神々も貴方に強制はしません、その時貴方が思った正しい道を選びなさい。」
洗礼の際に告解し、シルナの諜報員であった事を懺悔し様々な過去の罪を洗い流した彼は、非常にスッキリとした笑顔で教会を後にした。
シルナ人の居留地とも言える東側の海辺を南下する商売人らしい道程を選んで、彼は自前の馬車に玉製品や茶、即座に売れる食料を満載して王都の東門を出た。
昼間の内に寂れた東方都市の跡地ないし、宿場街に辿り着けば其処からは大商隊に合流して安全な旅を行う予定だ。
勿論、彼が合流した大商隊には様々な人間が紛れ込む。
宗教紋や奴隷紋は仲間を誤認する事は無い加護を与えられていた。
どんな人込みの中であろうと、それが暗闇の中であろうと感覚的に其れが理解できるのだ。
故に国内を自由に往来してはならない外国人を彼等は見分ける事が出来た。
町や村を渡り歩く際に、そういう者達を改宗させたり奴隷化させる事は酷く有り触れた正しい行いであると刻まれている。
何に?、魂にである。
それは全くの善意、まっさらに白く輝く善意、悪意は無いし他意も無い。
お節介と優しさと善意と友愛を纏めて熨斗を付けて無償で与える完璧な慈善事業である。
小さな規模の個人事業主である商人が大商隊を離れて危険な旅をするリスクは負えない、そんなもの餓えた魔獣の餌になりに行くだけの愚挙だ、リスク以前の問題だ。
ファミリーレストランの逃げられない空間を大商隊とするならば、壁際の一番奥の席は、教会や商業ギルドや冒険者ギルドがそれに相当する。
元の世界でタケルがやられた、クラスメイトと言う関係だけで、新興宗教団体に売られたその苦い経験が生きた形だ。
成功を確信したタケルが宗教紋と奴隷紋を完成させた時期には多少の時差があるが、奴隷紋の最初の実験台は彼自身である。
王への忠誠を宣誓した際に奴隷紋を献上し、ダン・シヴァに希って背中に押印して貰ったという経緯がある。
手軽に奴隷化を完了できる、その魔道具に王もダン・シヴァも戦慄した。
契約書も要らない、宣誓も実は不要、マナを注いでポンと打つ、ただそれだけの手軽な危険物を捧げられた王は、要約すると奴隷に行き成り王としての器を試されたのであった。




