第二百二十六話 悪戦苦闘
シルナ王国西方都市イースでは、住民登録と言う名の改宗作業と、奴隷化が急ピッチで進められていた。
人に擬態した魔人達は聖歌隊の歌を録音した魔導スピーカーでエンドレスに神曲を聴かされ続ける事によって正体を隠せなくなり、日がな一日市街のあちらこちらで討伐されている。
役人のコアン・ド・アルシス、聖職者のマスケト・ル・ヴァンセ、軍務官のアセラウル・フォン・ガーティンシュティールの三名はタケルからの指名でこの地の統括を命じられた人物たちである。
異国人の支配、取り分け改宗ともなれば反発も強く中々上手くはいかない。
徹底した飢餓政策によりイグリット教徒以外には炊き出しすら与えられない……が、優しい者達はそんな彼等にも手を差し伸べてしまう。
奴隷紋だけでも施してしまえば取り敢えずは安心と言う事で改宗は後回しにして軍務官は果断即決で改宗紋をマスケトに渡して奴隷紋の押印を断行してしまう。
暴動の恐れがなくなった市民たちを東側市街に集めて優遇を始める。
外出も、門外への旅立ちすらも許可されるとあっては、自然と改宗を受け入れざるを得なくなる。
それでも頑なに改宗を拒んだ者達は、西門周辺に集められ、串刺し公と呼ばれて久しい、とある人種が棲む領域への通行許可証が与えられた。
彼の地でのシルナ人への扱いは”食料”の一言に尽きる。
ダッと言う名を持つ女が彼の地の者達を虐殺した挙句に墳墓を暴き、古代の疫病を呼び覚ました事から確執が始まった。
ウィルス性の感染症で助かる可能性はゼロ、しかしながら”死者”と言う意味だけであり、彼等は死後も活動する生命無き蠢く者と化した。
罹患すればほぼ九割が屍鬼と化す。
シルナ人は食料として選ばれた、血は高等種たる吸血鬼へ、肉は下等種たる屍鬼へとそれぞれ無駄無く美味しく頂かれている。
そして、シルナ人の骨は骨人兵として、その骨が亡びるまで余す事無く利用されるのである。
障壁魔法で城外に押し出され門扉が厚く閉ざされたあともシルナ人たちは城壁から離れようとしない。
隣国でのシルナ人の扱いを良く知っているからである。
コアンは葉巻を吸いながら西門の外で喚くシルナ人を見降ろしながら、隣で鶏肉とワインで腹を満たそうとしているアセラウルに煙が流れて行かないように配慮する。
「配慮は要りませぬぞ、コアン代理、丸一日何も食べていなかった私の我儘でここに運ばせたのでなどちらかと言えば悪いのは私だ、煙草くらい何の気兼ねもなく楽しんで頂きたい。」
代理というのはここの城主として任じられるまでの間の仮の呼称であり、程無く任官されるであろう地位を慮って、武官であるアセラウルが一歩引いた形の会話となる。
取り敢えずはトリエール王国の最西端であるこの周辺の守りを任された彼も、役職としてはかなりのものであるが、シビリアンコントロールを重視するタケルの意向を反映して子爵家のコアンが派閥の枠組みを度外視して抜擢されたのである。
反タケル派と言うよりも反シヴァ派と言った方が正しい。
王命で無理矢理従わされる事になったが、カラコルムからここまで遠く離れると都落ちの感は否めない。
煩わしい貴族間の交際から離れ、遠征に従軍しつつこの日まで二ヶ月、文官でありながらもコアンは戦場で武器を振るって戦っている。
タケルは彼を兵卒として使い、散々地獄を観光させたのち、生きてこの場所に到達させたのだ。
「文官にして置くには誠に惜しい人材ですな。」
とはアセラウルの言である。
共に同じ釜の飯を喰らい、血と泥濘に塗れて戦った仲間である。
文官であるにも拘らず武器を手に取って轡を並べた同士なのでアセラウルにコアンに対する侮りは無い。
貴き血を引いているにもかかわらず戦いに参加していると言うだけで一般兵からすれば珍しい存在なのだ。
彼が歩けば兵士達も自然に敬礼するし、畏敬の眼差しでもって迎えてくれる。
陣頭に立たない貴族に対しては何処か不満もあるし不平を鳴らす向きもあるのだ。
食事を終えたアセラウルもコアンの傍で煙草に火を点けて日暮れの西門城外を見渡す。
タケルの手の者たちが、隣国アルヒローンとの密約を交わした、その成果を確認するためである。
シルナ人から怒号と悲鳴があがり、何者かが彼等に群がる。
カタカタと硬いものがぶつかる音が辺りを満たすと、月の光に照らされてほんの少しだけ真実がチラリと姿を覗かせる。
骨人兵の群れがシルナ人を拘束して担ぎ上げて運んでいく。
要するに最終処分契約であった。
「恭順の意思なくば死あるのみと、言えど裁く手間も惜しい上に死体にしてしまえば、燃やして……埋めてと、何かと金も掛かる。」
「コアン殿としては頭の痛い金ですな。」
そんな金を捻出出来るほどイースは復興を果たしていない、西側は門を中心にして収容所化が進んでいるが、収容したシルナ人を長く食わせてやれるほど食料も無い。
アルヒローン公国にタケルが打診したのだ”シルナ人の犯罪者”をそちらで引き取って貰えないか?と。
彼の国は二つ返事でタケルの提案を容れて、殆ど無条件で処分費用の条件の全てを呑んだ。
食糧事情も然ることながら、骨人兵の老朽化も彼等には深刻であったようで、荼毘に伏す前のシルナ兵の遺体も引き取りたいとの請願もあったようだ。
「火葬場の建設規模も半分に抑えられるならば確かに有り難い申し出だ、出来る事ならばこのまま良い関係を築いて行きたいものだ、お隣さんとの揉め事は避けたいものだからな。」
ましてや人外の者達であるならば……と言う言葉を飲み込んでコアンは視察を終える。
アセラウルも夜道を文官達だけで歩かせる愚を避けるように共に部屋をでる。
戦闘の気配が門の外にあるが、最早どうでもいい話であった。
水を浄化して聖水を創り、神に捧げて力を練る。
イグリット教司祭であるマスケトは、魔人との闘いを重ねる内に聖水の濃縮を極めつつあった。
必要は発明の母と言われる程、そういう尖った技能は追い詰められれば追い詰められるほど良く伸びる。
殻でも種でも良いのだが、割れて弾けて閃く瞬間が、探究者には訪れる。
そしてその聖水は副次的な能力として、魔人が隠れ潜む人間に掛ければ肌が溶けて中身が確認できると言う、とてもありがたいものとなったのである。
「霊験あらたかな聖水として売り出せば、多少の助けにはなるでしょうか……。」
極貧宗門であるイグリット教には、冗談でも洒落でもなくお金が無かった。
西方都市イースの丁度いい用水路の畔に教会を建てる用地が与えられたが、今は未だ更地であり、建築資材も縄張りすらも張られていない。
先立つものが全くないのだから仕方が無い。
ギルド職員が寝泊まりしていた一室を懺悔部屋、もう一室を執務室、さらに広間を聖水を創る祭壇として使わせて頂いているが、ハッキリ言って居候と言う立場であり、あまり贅沢もしていられない状況だ。
教主様はタケルと共に征旅の路にあり、安全な地にある己と見比べても、益々以て贅沢などしては居られない。
兎に角必要なものは金であるが、それを獲得するためには富の集まる街が必要不可欠である。
一日でも早く西方都市イースの復興を目指して努力しなくてはならなかった。
しかし、彼は一月後後任の神父から届けられた手紙と護衛の兵と共に南へと旅立つこととなる。
聖水創りの達人としての能力を買われての事だが、彼の身命が前線に売られた代わりにイースに教会が建設されるのであった。
聖マスケト教会と、それは後に呼称されるのであるが、本人がその教会に訪れるのはもう二十年ほど先の話であった。




