第二百二十三話 厄介魔者
熟しすぎた果実が、その皮で実の形状を保持する事が困難となるのと略、同じ要領で、ドロリ……と魔人の内容物が溢れ出した。
湧き上がるその腐臭を纏いながら、尚も生きているその生命力を賞賛するべきか、それとも羨むべきなのかは、執着して然るべき生の先で、描ける未来の輝かしさに比例するものだと思う。
時折発する声にならない言葉の高さから推察するに、元々は女性であったのだろうか?、考えても詮無き事を思いながら大剣を強く握る。
回復魔法の燐光を纏いながら四本の腕を構えて、タクマとそれは対峙する。
鋭利な武器で斬り飛ばされたと思しき翼は、丁度中程から失われており、その用途を喪って久しいようだ。
傷口から時折思い出したかのように、血と膿が混じった液体が噴き出し、大地を焼く。
天使であるならば膏血と呼べば良いのであろうが、見たところ浄化の力は噴出したそれには微塵も無さそうな感じだった。
両の手にズシリとした感触が伝わる。
魔人に対し水平に構えた大剣に、無造作に歩く魔人が衝突する。
のっそりと体に刺さった大剣に今更ながら……と、気付いたように大剣を叩こうとする。
その巨象のような鈍重な動作に、タクマは魔人の腕を斬り飛ばさんと体を捩じって斬り上げる。
即座に絶叫が上がった。
未だ痛覚を残しているのかと目を瞠るが、ゾンビなどでないのならば、それもそうなのかと納得する。
気を取り直して魔人を刻む腹を決めて、身体強化魔法を重ね掛けする。
「爆風。」
不意打ちの様な魔人からの魔法攻撃にタクマは仰け反る。
半分以上当たってしまったが威力から見るに爆風魔法程度とはとても思えない威力だった。
腐っても魔人なのか、腐った魔人なのか、あるいは両方なのだろう。
魔と呼称されるだけの事はあるのだ、巻き上がった土と草の埃を風魔法で飛ばして、唐竹割りを試みる。
十分な間合いから叩き込まれた大剣は、上部左腕を切り落としたのみで頭部を割るには至らなかった。
決して手を抜いた訳ではなく、念入りに身体強化魔法も重ね掛けて行った一撃である。
自信のある一撃で脳天唐竹割を仕損じたのだが、こればかりは苦笑せざるを得ない。
切れ味の無い頑丈なだけが取り柄の鉄塊では、ここいらがどうも限界のようであった。
春過ぎと言えど未だ肌寒い夜にマントを脱いでまで戦うのはどうか……という甘えもあった。
言い訳するならば魔法の威力を強化魔法で防いだとは言え、心に地味な警戒が走った所為だと言いたいところだ。
「やれやれ、汚物に片足どころか両足を突っ込んでいる相手に抜かねばならないとはな。」
鰻色の鞄の口から刀の柄が覗く。
腰に佩くには目立ちすぎるものをどうしたものかと思案していた時にタツヤがサラリと言い放った言葉を採用した。
ナニワの商人が腰から提げているような黒いポーチに酷似したデザインの鰻鞄が俺に贈られたマジックバッグだ、太って禿げれば最高に似合うなどと余計な一言を添えさえしなければ素直に喜べたものをと少し苛つく。
その言葉のせいで商業ギルドなどに納税や相談、または会議、そして預金等々の所用が無ければ持ち歩かないようにしていた、所謂宝の持ち腐れ状態のものであったのだ。
武器の入れ替えと言うチート行為が可能になるこのアイテムはブッ飛んだ魔法が存在する、この世界に於いても秘中の秘に属する物品だ、軍事利用されれば間違いなく持っているヤツが有利になる、立派なバランスブレイカーである。
念じれば手の触れているものを収納できる、掻き消えた大剣と入れ替えに一振りの太刀を抜刀する。
見た目の印象は黒、フッと一息吐いてタクマは魔人の間合いに飛び込み再生したばかりの長い爪を斬り飛ばす。
物理攻撃の手段としての毒を注入する針の役割も兼ねた爪は放置して良いものでは無い。
大きく振りかぶった左手から繰り出される五指の斬撃も指ごと一気阿世に斬り飛ばし頸を狩らんと横薙ぎに黒ん坊斬り景秀を振り抜く。
厚い鱗に殆ど防がれたが、さすがの名刀、横一線に斬撃の痕が残されていた。
「バカみてぇに硬いな。」
一刀で魔人の腕四本から繰り出される攻撃に対応できる訳もなく、タクマのもう片方の手には燭台切光忠が艶めかしい輝きを放ちながら魔人の爪を斬りつつ腕をも切り裂く。
それであっても矢張り届かないとタクマは感じる。
常時再生と回復を魔法を唱えずに、まるで呼吸をするようにやってのける生物とは初めての邂逅である。
飛ばして転がっている腕は七本目であるが、目の前の魔人の腕は先程回復してまだ四本の異様を誇っている。
疲労は無さそうだと奥歯を噛みしめて袈裟斬りに魔人を切り裂き景秀を納刀して光忠で腹を横に掻っ捌いた。
ドロッとしたハラワタが魔人の腹の切り口からまろび出るのと同時に光忠を納刀して景秀を抜刀、居合斬りで首を斬り飛ばし浄化を見舞ったが殆ど効果が無かった。
肉が震えたかと思えば頭部が回復し、腸も吸い上げるように体内に納まったようだ。
圧倒的な徒労感を感じながら周囲に漂う腐臭の濃度で鼻が馬鹿になりつつある事を感じる。
そもそもが濃密で噎せ返るような血の海の中で平気に動く化物だ、もはや何があっても驚くに値しない。
鞄の中で血糊を拭い、万全の状態で抜刀する。
卑怯と言われようが切れ味が鈍ったまま戦うのは御免蒙りたい、故にそう云った謗りは甘んじて受けざるを得ない。
タツヤに此れを任されたが正直手詰まり感が否めない。
更に何合か打ち合っている間に女子二人が遠巻きにこちらを観戦している。
そんな状況だが心の中のしこりと、目の前の不死に程近い存在の矛盾と向き合う形になる。
回復し続ける存在にして再生し続ける存在。
厄介だ、厄介な事極まりない。
だが、可笑しな事が在る。
翼は依然回復する事無く、膿の混ざった血を吹き出し続けている。
腕も爪も、袈裟斬りにした身体も、真一文字に斬り裂いた腹も、打ち落とした首も再生する化物であるにも拘らず……だ。
元のパーツからもう一体分裂したり増殖再生したところで最早驚く必要も無いくらい様々な部位が散らばっており、組み合わせてしまえば何体かでっち上げられそうなのだが、本体は唯一つ、唯独りであるらしい。
「腐敗には抗えないのだろうか……。」
人は生きたまま腐る、その最後は壊死した部分から流れ出る死毒により全身が侵されてからの死だ。
猫や犬が死期を嗅ぎ分けて最後のその間際まで寄り添って呉れる理由が、その生き腐れて行く過程で漂う腐臭があるからだという。
それらに抗えそうな程に回復魔法の燐光を帯びている魔人の絶大な回復力と、それに拮抗する強さを持つ腐敗の力。
ワロス曲線を描いていそうなその状況に失礼ながら失笑を禁じ得ない。
「魔人を狩るならば"心臓を抉り取れ"と言う事か、なんともエグい話じゃないか。」
景秀と光忠を納刀し、太郎太刀を抜き放ち様に魔人へと突き出す。
浅い突きが五回、心臓を狙うも読んでいたかのように弾かれる。
左回し蹴りに鋭い鉤爪がタクマを襲うが、太郎太刀を引き戻したところに蹴りが入り、鉤爪が縦にスライスされ足の骨で刃が止まる。
手首を返し、刃で骨を抉り、断ち割らんと試みる。
体重を預けて太郎太刀の刃の根元から先まで、その刀身の全てを使い、逃げる魔人に追い縋る様に振り抜く。
鼠径部を縦に裂いた感触は間違いない手応えとして血糊と共に残ってはいたが、即座に納刀して血を拭う。
回復する前に魔人の解体を、可能な限り迅速に進め無くてはならない。
移動手段を奪った程度で怯む様な生き物であるならば、ここまで長く戦ってはいないのだ。
再び生え揃った腕、指、爪と間合いの陣取り合戦が始まる。
切れ味での勝負ならば景秀と光忠を抜かずして勝機は無い。
魔への特効の無い武器しか持っていないタクマは自然に技能を磨く道を進まざるを得ない。
切り落とした魔人の左下腕を蹴り飛ばし、刃を天に向けて切っ先を魔人に合わせる。
「俺だけに注意しても勝ち目はないぜ。」
ゾブリと、魔人の背から太い刃物が生えている。
後ろを見ていなかった魔人は敗北した。
折れんばかりの勢いで首だけを後ろに向けた魔人の目には、髪の長い女が器用に長柄の武器を捩じって己の心臓を奪って去って行く姿であった。
「任せられはしたが、倒せとは言われていないからな。あんまり恨めしそうな顔しなさんな。」
良い笑顔をしたタクマに、魔人は首を刎ね落とされた。




