第二百二十一話 積み重ねられた乱雑な人生
厳重に封印が施された大樽の上にキラキラと光るものがある。
牛車がどれだけ揺れても微動だにしないガラスボウルと、その中央にプルンとしたセンパイが鎮座ましましていた。
夕焼けがセンパイに当たり、キラキラと周囲に光を拡散していた、先程から光っていたものはボウルとセンパイであるという回答が必要な人々には恐らく有意義な情報の一つになり得ただろう。
可也奇特な人々ではあるがどうでもいい話だ。
そんなセンパイのボウルの中に夕食を作る際に出た食品のクズを入れて、挨拶を済ませ簡易竈へと戻る。
陽光が落ちる前に完成させなくては、色々と面倒な旅の空の下、タクマはタツヤの指導を受け、敷布の上で頭を抱えて転がり回るユリと、その介護を手伝うトモエの三人を見ながら苦笑する。
トモエが行使し続けている治癒魔法と、タツヤのトンデモ理論で構築される頭の整理方法。
単純な話で恐縮だが、その影響下に置かれたユリは頭痛の酷さに耐えきれずに転がり回っている様だ。
細かな説明等されても俺には解る筈も無いが、どうにも理解が及ばない俺にタツヤは乱暴な答えになると言う前置きをして現在の状況を説明してくれた。
「ニシダさんの現在の状態は、未来のニシダさん達が見聞きした経験が時系列の整理も何もせずにム遠慮に送り続けられている、謂わば"年末の物流倉庫"のような状態だ、受け入れる窓口やらシステムが凍結どころか構築すらされていない、田舎の零細企業に未曽有の集荷が行われていると言ってもいい。」
学生アルバイトの中でも日銭が良い部類の話をタツヤが持ち出してきた理由は、それが俺のバイト先であるからだが、成る程と頷ける例え話であった。
「集荷と言うからには出荷先がありそうなものだが、その辺りはどうなんだ?。」
「無い、当然仕分けも無ければ、事務員も居ない、只管届けられるだけで、中身が何であるかすらも判らない荷物の波が押し寄せている状況だ。出荷先として本棚を脳内にシステマティックに並べる事から始める予定だが、経験から言わせて貰えるなら、脳が割れるように痛い。」
打つ手なし……と言う訳では無いが素人が何か出来そうな状況では無い。その程度くらいは理解できる。
脳が割れるとはどのような状況であるかなど考えても仕方が無い。
「出来る対策は倉庫の増設。脳の空き容積を土地なり建物に見立てて、取り敢えず詰め込んで保管しておくスペースを確保する。イメージは人それぞれだが、俺はハードディスクドライブの増設をイメージしてやっている、だが、残念な事にニシダさんとはそれで話が噛み合わなかった、諦めて大図書館のイメージで話を進めているのだが、可能な限り早く常識に対する諦観をお願いしたいところだ。」
タツヤの説明だけを聞いていれば、何処かの開けた田舎の物流倉庫に大図書館のようなものを建築して整理整頓、蔵書の管理をする事業を立ち上げる様な話に落ち着く。
何故そんな場所に大図書館造るの?と、言われても駅のホームに魔法学園を建設する程度の非常識よりは幾分かマシだろう。
実際はそんなに簡単に割り切って考えられる程に単純な話ではないのだろうが、そういうものなのだと諦めて仕舞えればきっと楽になれるのだろう。
諦観する事が近道と理解してしまえば色々と捗りそうなものもある、ウチの会社ブラックだからの一言で色々と収まる話もあるのだ。
常識と非常識が不協和音を奏でた結果、頭を抱えて転げ回っている姿が今のユリだ。
魔法の申し子かと、叫びたくなるくらいの非常識な魔法使いが、タツヤやトモエ、ましてや俺の認識と予想を裏切るレベルでの普通な感性を持った常識人であった事を今更ながらに理解する。
タツヤに大分毒されている事を痛感しながらも自身に課せられた役割である晩飯の支度を疎かにしてはならない。
煮炊きの合間の待ち時間はフルーツと砂糖をふんだんに使った飲み物を作る事に専念する。
脳を酷使した場合、即効性に富んだ特効薬はズバリ糖分だ。
事後の痩せるための運動等の協力を惜しむ積もりは無い、安心して飲んで頂きたいものである。
地平線に陽光が沈む頃、鎮痛剤をフルーツジュースで飲みながら熾天使のセラフを召喚し治癒を行わせているユリが居た。
「タツヤから説明は聞いたが、上手くいきそうか?。」
「頭の中で何度も人生をやり直してる不快なフラッシュバックが収まらなくてつらいよ。魔法でもブルドーザーでも良いから頭の中を整地するようなイメージで……なんてリクエストに応えられる、余裕なんてないわよ。」
珍しく弱音を吐くユリの傍に座り頭を抱く。
情けない事にこんなことくらいしか出来ない、俺に鎮痛効果があれば良いのだが。
濃密に圧縮されたループを重ねた人生のやり直し、そんなものが乱雑に叩きつけられる、止め処なく、引っ切り無しに、無遠慮に、こちらの当惑や困惑を嘲笑う様に。
忌々し気にループについて語っていたタツヤを思い返しながら、彼女もあのような表情になるのだろうかと思い深く息を吐く。
周囲を警戒していた魔獣たちが異形の化物との戦闘で傷つき倒れたのは今より四半刻前。
夕飯の片づけを終えて荷台に女子二人を寝かせてタツヤが火の番、俺が仮眠に入って後二時間程経過したあたりだった。
そいつは幾人かの人の形をした何かを引き摺りながら、焼けただれた皮膚から膿を溢しつつ魔獣たちに包囲されながらも魔獣を潰していた。
地力は明らかに異形の化物が勝っている事が見て取れる。
そして、集団戦に特化したようなイヌ科の魔獣から受ける執拗な攻撃に耐えきって反撃する事など人間には難しい注文である。
背中の焼け溶けた翼の骨組みやら角などの身体的特徴を除いても間違いなく人間ではない。
「魔人だな、弱っているが西方都市イースで見た魔人とはどうやら格が違うようだ。」
「弱っていて尚この圧かよ。」
世界樹で作られた槍に絡めとられたエルフの死骸が魔人に突き刺さって引き摺られている。
何やら悍ましい何かを感じ取るが俺はタツヤにその詳細を聞こうとは思えなかった、きっとロクな事じゃない。
「エルフ三匹で封滅出来ないか。」
独り言を呟いたタツヤの手の中でユグドラシルが赤黒く輝きエルフ達の遺骸を吸い上げて回収する。
迅速に動いて片付けただけの事ではあるが慈悲からくる殊勝な行動では無いであろうことぐらい流石に推察できる。
「タクマ、コイツを任せても構わないか。」
周囲にシン……と凍てつく気配が広がる。
空間の侵食と言うか急激な塗り替えが行われている
「キモチワルイわね!、私は頭が痛いのよぉぉぉ。」
牛車の荷台から一枚のカードが飛来して筋肉質な肉体に翼の生えたオッサンが顕現する。
「パワー!!汚染源を叩いて来て!!。」
「承知。」
力こそパワーのような脳筋天使が吹き飛ぶように山へと突撃してゆく。
「うぉりゃぁ。」
タツヤの首元から短剣が伸びてきたが、最初から判っていたようにその稚拙な斬撃を躱すと、その空間の隙間にタツヤの槍であるユグドラシルが回転を帯びながら捩じり、突き刺さった。
「へぇあぐぁわぁぁ。」
黒衣を纏った女が空間の裂け目から転がり右肩の肩口から脇腹を貫くようにユグドラシルに貫かれて根を生やされている。
呻き声が体中を蝕む根に割り開かれる痛みを示す絶叫に変わるまでそれ程間は開かなかった。
見た目は根が体中から突き抜けた状態のハリネズミそのもの、しかし、その顔と姿は何時か見た筈の異形であった。
助けてと懇願する、それを歪んだ空間から生え延びて来た樹木の枝が絡めとって持ち去って行く。
「俺が戻らなくても王都に向かって進め。」
タツヤの声で振り向いたその時、タツヤは緑色の光に貫かれて地平線の彼方へと吹き飛ばされていた。




