第二百十八話 生乾きの神帝ジオルナード
では精確に一周年です。
見捨てられないように頑張る所存。
熱いくらいの外殻に包まれていた筈だった。
"厚い"でもあり、"暑い"でもあった。
目覚めて直ぐに気が付けば、その熱さに耐えきれず水を求めた。
そしてそれは何時しか渦となり、アツイ外殻を引き剥がし、上も下も判らなくなる苛烈さで私を振り回している。
時が経つに連れて身軽になり、涼しさがやがて訪れる、しかしそこに安息は無く、血と鉄錆の臭いと、生臭く赤い挽肉の渦の中で攪拌されると言う現実が、次第に私を不快にさせていた。
怒りに任せて壁を殴るも、呆気なく弾かれてまた渦に巻き込まれる。
魔人として生を受け、魔王として歩み、神として振舞い、リルフェインに敗北し大神に裁かれたとは言え、それまでは無敗であった。
破れぬ魔法など無い、魔王に魔が通じる筈はないのだ。
しかし、現実は魔法で創られた障壁に傷一つ付けられない滑稽な神を僭称する小者が在るだけであった。
脱水された洗濯層の底には、挽肉となった魔人が広がる世界、その中心に十二人の翼持つ何かが降臨する。
神帝ジオルナードの存在を無視して、うねうねと蠢くその挽肉を浄化の力で処分してゆく、外の世界には真っ赤に血で染まった大河に魚がプカプカと浮かぶ大惨事が発生していた。
「ヤバい!!!浄化してくる!!!。」
ユグドラシルを引っ掴みタツヤが大河に駆け出す。
この大陸には科学文明華やかなりし頃に七色の河があった、魚どころか豚の死骸が大量に流れた事もあるのだから今更ではあった。
環境破壊に対して過敏な民族らしいタツヤの行動ではあったが、彼の持つ槍はそういうものを立て直す事を得意としている神器だ、そう云う使い手の性質と合致して所有を許されているのだろう。
巻き戻せないセカイをどの程度まで見捨てて良いのか、その匙加減を知る術はもう彼には無い。
不本意ではあっても約束されたその時まで、このセカイに滅んでもらっては困るのだ。
ユリの眷属達に漲る力は一人一人が神帝ジオルナードを軽く凌駕していた。
魔人の挽肉を黙々と片付ける彼等を見据えて動けずにいた彼を、最初から存在しない者であるように振舞える程度には強いのである。
ただ残念な事に彼等には時間制限があり、神帝ジオルナードを完全に存在ごと消し去るには、やや不足していると言わざるを得なかった、つまるところ腐っても魔王であると言うところであろう。
掃除夫達が神帝ジオルナードを嘲笑いながら姿を消したのは、挽肉の山を消し去るのと略同時であった。
床、壁、天井に桜色の魔法陣が構築され、都合六方向から地水火風光闇の六属性の支配力が励起する。
魔王に対して魔法で挑むのは普通ならば愚か者の行う事だが、魔法であって魔法ではない何かがクルクルと回転していた。
一枚のカードから溢れるように何者かが姿を現す。
それは、春の花咲くドレスを纏った少女であった。
召喚された彼女は呆然と立つ青年を見て戸惑いながら後退る。
「魔王がどうしてここに?クジングナグと共に吹き飛ばしたはずなのに。」
戸惑いながら彼女は自分の体に身に着けている筈の装飾物に手を伸ばす。
無念な事にその全てに実体は無い、当然と言っては可哀想な話だが少女自身にも実体は無い。
魔法で構築された身体に魂が寄せられただけなのだ。
神帝ジオルナードと召喚された少女に輝く黄金の針が無数に突き刺さりユリによる支配が空間を満たす。
ユリが何を行いたいのか理解できるものは現時点では誰も居なかった。
無数の針が二人の因果と記憶を削り取り奪い去って行く。
神帝ジオルナードが生前関係の深かった者を、因果の糸を手繰り寄せて召喚した結果、ユリはジオルナードの恋人と呼ばれた神帝殺し、魔王殺しを引き当てた。
「フラワーロッド!。」
非存在武器が光の粒子の中から産み出される。
大きな百合の花の意匠を取り入れたその杖は、引き金付きのマスケット銃であった。
しかし、見た目は単発銃であるのに、響いた銃声は複数。すなわちマシンガンである。
「ふっ!ぐっ!あがぁ!。」
撃たれながらも障害物になりそうなものが全く無い空間で、障壁魔法を駆使して身を護る神帝ジオルナードは余りにもな威力に増幅されたその弾丸で穴だらけにされている。
「なんだ、セカイの脅威とか魔王って言うから期待して損したなぁ。」
ボロボロと崩れ出す黒の指揮台からユリが降りて来る。
ハッキリと興味が失せた様子がありありと見えた。
タケルサイドから得られた情報だけではやはり精度は低いのだろう、彼の者たちと一度でも合流できればそれも解決するのだろうが、今それを言っても何の解決にもならない。
「現れ出でよ此の世の廃棄物達よ、我が命に従いて敵を滅ぼせ!”暴走する殺戮の奇形龍”おのれっ、何故開かぬ!。」
切り札を切ったようだがユリの結界内部でそんなものが喚び出される筈も無い。
ホッと胸を撫で下ろす魔王殺しも赤色化した百合型のマスケットを投げ捨て新しいマスケットを虚空から掴み取る、広がりを見せる音響からタツヤはその弾丸が変質したことを察する、アレは散弾の音だと。
「はいはい、そんなに召喚したいなら開けてあげるわよ。」
チョイチョイと杖を回して逃げ惑う神帝ジオルナードの背後に扉を顕現させる。
不意打ちのような大質量の登場に神帝ジオルナードは自ら激突して地面を転がり、嫌な角度で激突して折れた肩を押さえて転がり回る。
「アチャー……アレは痛てぇぞ。」
「態とだねぇ、狙ってないとあの角度に扉は出ないわねぇ。」
タクマとトモエがその非道振りに冷や汗を垂らしているが、ユリからすればこの戦いはもう消化試合なのだろう、今後どのような存在が現れても自分が討伐してしまえばセカイは平和であると言う確信を持ってしまったのだ。
だからこそ、いかなる化物がその扉とやらから顕現したとしても──────。
それは龍の形をしてはいるが、剥製か何かのような無機物であった。
物言わぬ、意思持たぬ、神帝ジオルナードの記憶にある禍々しき龍を素材として創られた魔道具が其処に鎮座していた。
巨大な、七色に輝くその異様は、確かに奇形であり、マトモな存在である等とは誰もが思わないであろう。
討伐された龍の素材は其れ即ち神域に迫る武法具や魔道具の素材に用いられる。
神帝ジオルナードが大神の裁きを受けている間、その眷属とも云える龍が放置されるわけもなく、時のセカイの支配者たるエルフ達は有り余る科学力でその討伐を、有り余る技術力でその魔道具化を果たしてしまったのだ。
”暴走する殺戮の奇形龍”に何度も散弾が降り注ぐも神帝ジオルナードは一時的に盾を手に入れた様に痛みに耐えて治癒魔法を己に施す。
神帝ジオルナードは不自然に丸く窪んだ龍の掌に座り、その体を癒そうと魔力を集中する。
突如龍の目が光り、神帝ジオルナードはポーンと真上に打ち上げられ、龍の口の中に放り込まれる。
「英雄ガチャ……なんであんなところに。」
パジョー島の地下に安置されていた、イカレた馬鹿が創ったと思しきあのマシンが神帝ジオルナードを呑み込んだ。
牛車の大樽の上に乗せられた大きな硝子ボウルの中で、ふよふよと浮かんだセンパイは言葉を喪う。
創った張本人と黒歴史創作物との再会が今、果たされたのである。
「七色ってのが良くないね……星七つが上限のレア龍だし、どうしよ見なかった事にして寝るかな。」
逃避できる現実と云うものがあるのならば、今直ぐにでも逃げ出して穴倉でも研究室にでも篭りたいセンパイなのであった。




