第二百十五話 奇妙な旗
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証明部位以外の遺骸の始末を終えた私達は、朝まで交代で眠った。
決して気分の良い作業ではないが、冒険者ギルドでも証明部位を切り取って提出する事はある、我々忍者のような、国や軍に属する者でも、彼等とは微妙に違う意味合いながらも証明部位の採取は行う。
冒険者ギルドのように街道際に蔓延る盗賊への見せしめなどの治安維持目的の採取では無い、ましてや隠密には必要以上に目立つ意味など皆無な身の上なので、持って行くものは小さく収納出来、且つ諜報活動に無関係な者達に採取物を発見されたとしても、それが即座に"何であるか"を悟られ憎く、それでいて多少なりとも判別に時間の掛かる部位を採取する。
その判別が可能になるまでの僅かな時間を稼ぐ意味は、発見者を始末する必要性の有る無しが係わって来る。
その時間は黄金よりも貴重で価値があるだろう。
露見した場合にこちらが命を落とす、その可能性があるならば尚の事だ……。
各種族の目立つ部位が採取部位としては一番分かり易く判別が容易となる、だからこそ証明部位と呼ばれているのだが、幾つか例を挙げるとしよう、先ずタキトゥス人ならば、その尖った耳や顎の骨が尤も判別が付きやすい。
人間よりもゴブリンやオークに近い生物的特徴を持つタキトゥス人らしい部位だからである。
デモルグル人ならば、誰もが尻肉に出来る班や、成人した際に結われる"髷"が採取される、特に髷は階級や氏族の判別も可能になるので、情報量の多さでは確実に採取しておきたい部位である、髷を結う紐だけでも勿論構わない、彼等の組紐は部族によって全く違う構成で編まれるので所属が判明しやすいからだ。
浅黒い肌が特徴的なサマルワ人ならば、眉ごと皮膚を切り取り持って行く、眉毛がかなり太く種族的判別を付けるにはうってつけの部位なのだ。
そして、時間的余裕がある場合に限られるが、身体の何処かにある入れ墨を剥して持ち帰る事が出来るならば、その情報量は途轍もないものとなる。
魔術的な入れ墨に記されている情報は、その入れ墨が入れられた人物の氏族と部族を辿る事が可能であり、王族ともなれば家系図を背負っているようなもので、入れ墨一つが膨大な書物に匹敵する情報量をもつ。
タキトゥス人の王族にもサマルワ人の血が受け継がれており、タキトゥス人の王族全ての魔力を辿れるように編まれた魔法は、ピーシャーブディ二世の遺体とその入れ墨を確保出来たからと言う。
それは酷く困難な事業であり、ある人物の協力に寄る事、大であったと議事録に記載されている。
事後報告はどの世界にもある事だが、忍者もまた、報告を上げた際に任務に於いて討伐した相手の人相風体を尋ねられる事がある。
ようするに常に答えられるように憶えておかなくてはならないのだが、手掛かり一つなく思い出せるのは若者であり、若者であったとしても想起が苦手な者には、やはり困難なものである。
そんな時は、倒した得物の一部でも、ほん少しの時間見返す事が出来れば、それを取っ掛かりとして記憶の糸を手繰り寄せる事が可能となるだろう、任務が重なれば重なるほど似たような記憶は忘れがちなものであり、そのような事態に陥れば、証明部位は広い意味で大切な補助ツールであったりもする。
とは言え、獣とは一線を画す獲物である事から、基本的に気が進まない証明部位採集を、「忘れろ」と言われても、まぁ、中々容易に忘れられるようなものでは無い。
人間を切り刻むと言う行為が日常ならば、その限りでは無いのだろうが……。
今の私達は一連の情報収集訓練の最中に、偶然で幸運な事に、野営に必要な装備も移動手段も入手出来た形だ。
嬉しいかと問われると、どうしようもなく憂鬱であるとしか答えられない。
アレスの寝顔は幸せそうな寝顔であったが、私にはその心の奥を覗く術はない。
私個人にもタキトゥス人に商品として売られた怨恨はあるのだが殺し尽くして遣りたいほどの憎悪の炎は宿していないのだ。
幸運だったのかもしれない、白井さんのように四肢を捥がれていれば間違いなく嬉々として復讐する心境に至れるのだろう。
そこから回復して復讐者としての力を得られればの話であるだろうが……。
いや、きっと諦めてしまう筈だ、欠損部位を再生できる何らかの方法が無い限り、憎悪や闘志を維持出来るなどとは到底思えない。
朝、目が覚めて焚火の始末を終え、主を喪った驢馬を馬車に繋いで街道を進む。
殆ど全ての荷物を焼却した結果、軽くなった馬車に、驢馬の足取りは軽やかであった。
主の死を知っているのだろうかと益体も無い事を考えてはみたが、人と動物の交流など人のエゴでしか無い。
彼等がどう思っているかなど知る方法等無いのだ。
朝靄が晴れ、朝焼けに染まるセカイを見上げると、遠くから忍びの者からの繋ぎと思しき、明滅する反射光を見つける。
「い・じょ・う・じ・た・い・被害者百、どういう事?。」
「それよりも返信鏡を出せ。」
慌てて荷物の中心にしまってある銀の鏡を取り出す。
鏡は貴重品だがそんな事は問題ではない。
普段は持っていても怪しまれない、女である私の荷物の中に隠してあるのだ、同道者に見られても不自然ではない者が所持すべき代物であり言われなくとも取り出して用意する事が私の役目であった。
要するにアレスに言われてしまった時点で「落ち度」という奴である。
アレスに手早く鏡を手渡すと、無言でアレスは陽光を確かめて即座に通信を開始する、馬車を操りながら……器用なものである。
だが感心しても居られない、静かに御者席の端に座りズリズリと移動しつつ速やかに手綱を受け取り、アレスの両手を自由にする事も仕事の内だった。
「落ち合う場所が決まり次第だが、また連絡がある、しかし妙な事になった。」
「妙な事?。」
「死人は出ていないが御庭番衆"空"が全滅したそうだ、全敗と読めばいいのか……兎も角、会って話すまで詳細は判らん。」
大事であり奇妙な事であった、御庭番衆百人を殺さずに倒すだけ等と控え目に言っても尋常な事ではない。
道場破り百人抜きとは訳が違う。
廃村、即ち無人の村に幾人かの忍者が滞在している。
有人ではあるが村人は居ないと言うだけの事だ。
掻い摘んで聞かされた事を纏めると追跡の任務を帯びた者達が悉く下履きを脱がされ、正体不明の拘束具で麻痺させられて街道に放置される事が続いている。
報告を待っていた上忍達が逐次追跡者を送ったものの一人として帰らず、麻痺拘束者を後に発見、回収を行った。
何一つ情報を得られないまま追跡の任を続行した事により御庭番衆"空"の五番隊から二番隊までの全てが全滅したのだと言う。
一番隊もここにいる七名を除いて全員麻痺したまま何も語れず村の建物の中で回復を待っている。
冗談抜きの大惨事であった。
「追跡対象の詳細を教えろ、お前ら"空"は下忍に降格したのち御庭番から外されるが、その程度はできるだろう。」
失態を隠す事など許されもしない者達であるので、彼等は屈辱に打ち震えながらも全てを話す。
タツヤ・クラハシ、タクマ・イワオカ、トモエ・ヒグチ、ユリ・ニシダ。
聞き覚えのある名前がアレスに報告されている。
「友達よ……。」
声にならない言葉が私から漏れるが、報告を遮る事も、アレスの耳に届く事も無かった。
届いたところで追跡の任をアレスとここに残った忍びの者達が、まるっと諦めて撤退すると言う選択肢は無い、主命は絶対なのだから。
ズボンや下履きを奪って旗のように掲揚した前科を持つ者に心当たりがあった。
学園の有名人……倉橋達也その人である。
有名人とは言うが彼自身に何らかの落ち度があった訳では無い。
彼の家族が訳アリ……というか著しい欠陥品であった。
彼の壊れた家族の方が、つとに有名なのだ。
父親の行動はモンスターペアレンツそのもの、担任教師を離職に追い込むレベルのキ印の化物。
母親の行動はネグレクトと、病気レベルの浮気症、そして破壊魔と噂されるヒステリー持ち。
彼が追い込まれて家を出ても対面を重んじる父親が連れ戻し、母親がいびり倒す。
家庭は既に崩壊していたが、それを見かねた親族が彼を救った。
それを知らないものは恐らく学園には誰もいない。
その特殊な環境で生きていた彼には、理不尽な事に敵が多かった。
そんな敵との闘いの果てに誕生したものがその奇妙な旗であった。
スカートとスボンを適当に縫い合わせた、勝利の証明部位の結晶。
応援団旗の旗竿を奪って拵えた圧巻の巨旗。
学校の屋上で夏の青空の下、心地良い風の中で翻るその旗は、半端者達の面子を嘲笑う様にバタバタとはためいていた。
そっか、アレを敵に回したのかと、私はお茶を啜りながら適当に忍者たちの話を聞き流す。
ぶっちゃけ見なかった事にして手を引けば良いのにと思ったが、私はそれを進言できる立場に無かった。
任務の途中で姿を消すチャンスを逃さないように、精々心掛けるくらいしか手が無い身の上の、自分が何より恨めしい。
遥か遠くを駆ける牛車を遠見魔法で確認しようとしたアレスが忍び達に止められている。
「お止めくだされ、気付かれてしまいます。」
消し粒より小さい彼等を目指して追跡を開始する。
それは後に、地獄への突入を意味していたと、魂に刻み込まれるに至る死闘への一歩であった。




