二百十四話 罪深い自分と罪深い隣人
遥々大陸を縦断し、何度となく危機を乗り越え、一休みすべきだと言う、ミクリアの心温まる有難い提案をガン無視した俺達は、テンチン山の麓にある少し拓けた野営地で空を見上げていた。
「このセカイでも城って空を飛ぶんだね。」
素っ頓狂な事を口走るミクリアに獣人族の中でも尤も妖艶で美しいとされる、狐族の雌であるミーヤが溜息を吐く。
「普通は飛ばないよ、アレは異常事態さ。」
その場にいる全員の眼がアレス、そして狗人族のポチを交互に見る。何名か名も知らぬ忍者が連絡の為に控えているが、その者達も言葉を待っているようだ。
「二人一組、タケル様かコンラッドに急ぎ報告だ、御館様への報告とイスレム様への報告も緊急だな、ノット様への報告は俺達が行く。」
生きた郵便ポストとしてのアレスの任務は引き続き続行すると言う、交代要員を待つ時間が、この場で取れなくなったので止むを得ないとの結論だ。
「ミーヤとポチは全速力でゴズロウ将軍の元へ向かえ、判らなければ"象殺し"を目印に探せば良いと長からの命令だ。」
七通ばかりの手紙をポチとミーヤに手渡し、静かに目を閉じる。
今、この時が今生の別れとなる事もあるのは隠密の運命だ、瞑目してそれを受け入れ、そして再会を祈る。
アレスとミクリアを残して全員が目的地へ向かって駆け出していく、それを見送りアレスが静かに立ち上がる。
「また二人旅だが、気に食わないからと言って余り我儘言ってくれるなよ、ただでさえ遅れているんだからな。」
空気を裂くように二本苦無を飛ばす。
悔しいけれど私が放つ武器がアレスに通じる事は無いだろう、これはただの憂さ晴らしだった。
「この距離で投げたものをあっさりと取られる私の技量が判ってて、こんな無茶させてるんだから休憩くらい多めに取ってくれてもいいじゃない。」
投げた瞬間に無造作に苦無を掴み取られて無言で返却される者の身にもなって欲しい。
「それだけ無駄口が叩ければ十分だ、馬か何かを確保出来るまでは歩くぞ。」
ここから暫くは会話も何もないだろう、長時間歩いてへばる私に、"消炎鎮痛魔法"を掛けて限界を何度も超えさせる鬼を睨みながら歩くしかない。
筋肉から溜まった乳酸を搾り出す魔法やら色々と危ない魔法が忍術書にはあるが、現代医学の臭いがそこかしこから漂う。
血中酸素濃度の調整を憶えてからは筋肉の育ちが良くなり贅肉が身体から失われた。
元の世界のアスリートの水準は恐らく超えているだろう。
目の前を黙々と歩きながら道の異常を修復している化物には到底及ばないが、それなりに成長はしているはずなのだ。
「比較対象にする相手が獣人のミーヤじゃ何の目安にもならないしなぁ。」
ボソボソと独り言を呟きながら太腿の痛みを和らげる。
陽はまだ高い、集落も見当たらないと来たら日没まで歩くのは決定事項だ、最悪のケースはゴールまで徒歩であると想定しておかなくてはならない。
きっと、予想なんてあっさり飛び越えられてしまうのだろうけれども、心構えだけはして置かなくてはと、私は内心不安に思いながらも歩く事に集中する。
象の死骸が横たわっていた。
角と牙と鱗が生えたドラゴンと象の合いの子のような巨体が輪切りにされ、野晒しに放置され腐敗するに任されていた。
当然近寄れば何れかの伝染病に犯されるかも知れないので大きく迂回して進む。
傍には誰かが供えたのだろう、幾つかの花が散らばっていた。
「タキトゥス人が、まだ生きているのか。」
アレスがそう言うと地の底から沸々とマナが沸き立ち象の遺骸が青白く燃え出す。
完全燃焼の炎は白色へとより近付いていく、そんな高温に晒される生物など、灰すら残らず大地に還る事無く焼き尽くされてしまう。
アレスだけではない、出会う仲間たちの略全てがタキトゥス人を憎悪していた、それはこの程度の細やかな信仰の否定にすら及んでいる。
同調する気も無い、この私は冷たいのだろうか。
彼等と一緒になって狂奔するというのは、なんだか違うような気がする。
消え失せた障害物を確認し終えたアレスが憑き物が落ちたかの様な清々しい笑顔で歩みを再開する。
「アレス、宿営地に人が居るわ。」
戦時下のシルナ王国内で呑気に野営が出来る者達など限られて来る。
単独行の旅人や冒険者に敵国、隣国のスパイ、大店小店の商人達、そして同じ国に属する間者や同じ組織に属する仲間達くらいだ。
戦時下と言う剣呑な空気の中をそれでも強行するには訳がある。
迂回路を……と今までの旅の習慣で別ルートを探ろうと街道を逸れようとした私の腕をアレスが掴む。
「行くぞ、情報収集の実地訓練に持って来いだ。」
どちらかと言えば、対人関係がポンコツな私に無茶な事をさせようとするアレス。
従うと決めた以上示された方針には従うが、この場合私には拒否権など無い。
下忍見習いなのに長と面通しも済ませていない立場なのでぶっちゃけると奴隷以下の立ち位置だと言える。
腹の底から深い溜息を吐いた後、沈みかけている太陽に向かって深呼吸した。
足取りは重いが今夜は良く眠れそうな疲れ具合だった。
七人組の荷物を馬車に満載した避難民であると彼等は自称した。
タキトゥス公国とシルナ王国を縦断する川の畔に住んでいたと言う。
正確に言うならばシルナ国籍のハマユガナン開拓村からの避難民と言う、なんとも確認の取り辛い地域から逃げて来たというのだ。
適当に笑顔で酒を振舞い、何気ない雑談を交わし『氷の宮殿』を話題としてアレスが振り、二人で最初の火の番を買って出る。
魔物除けの香を荷物から取り出して解し焚火へと投ずると独特の嗅ぎ慣れた香気が周囲を満たす。
暗鬱とした空気がアレスと私の間にドロリと粘性を帯びて流れる。
伝聞で聞いただけでも『氷の宮殿』は大きなものであるという。
ハマユガナン開拓村はハマユガナン高地に酪農開拓の為に造られた開拓村であると彼等は語った。
それならばそれでいい、確認の為に人をやるまでも無い、そこから見下ろせる沼地に突如建設された『氷の宮殿』を知らないはずが無いのだから。
哀しい事に七人は何の反応も見せなかった、あんな異常事態を目撃していないとなると、開拓村を放棄する意味すらも曖昧なものになる。
体育座りの姿勢でマントを深く被り呼吸を整える。
寝息に近くなる様に、心と身体を落とし込んで力を抜いていく。
彼等の遺したものは有効活用させて貰う。
全てが終わるまで五分と掛からなかった。
馬車から不要な荷物を降ろし、死体と共に焼いていく。
暗号で記された手紙や薬物、トリエール王国で採取できる鉱石等の原石、見取り図、砦の地図、測量結果等。
開拓民に似つかわしくない証拠が彼等の正体を如実に語っていた。
もしかすると間者は一人で他の六人は巻き込まれただけなのかもしれない。
それでも残り六人もアレスには許せない装飾品を身に着けていた為に冤罪ではなくなった。
タキトゥス人が信仰する宗教の経典と幾つかの必需品がアレスの表情を歪ませる。
それは何よりも苦しそうな表情だった、焼かれていく物や人等よりも憎悪の炎に焼かれて燃え尽きてしまいそうな程に。
タキトゥスは公国であった、何もタキトゥス人だけが住まう国ではない、それはどんな国でもそうだろう、鎖国していても数人は異国の者が紛れ込んでしまう事もあっただろう、意気投合して共に生きる道を選択することだってあっただろう。
タキトゥス公国では、その条件に改宗と言う手続きが必須であった、真新しい、碌に開かれたこともなさそうな経典が、アレスの手で火の中に投げ込まれるその瞬間まで、罪深い自分と罪深い隣人を救う何かの存在を願わずには居られなかった。




