第二百十三話 フットスタンプ オブ タイガーテイル
保存時に吹っ飛んでいたと思しき部分を記憶の限り加筆しました。
申し訳ありません、内容的にはそのままですが、気になる方はもう一度…。
お手数お掛けいたします。
[私信]
右手の親指の骨が折れて痛いです。
歌が聴こえる。
夜を徹して組み立て、使えるようにしたのだと思われるが、音割れが少し耳に付く程度には下手な組み立て方であった。
時折人の声が聴こえるが、元の世界で言うならば「マイクのテスト中」のようなものだろう。
神曲と説明されたその歌は、朧げな記憶の中にある讃美歌との違いなど言語くらいのもので、相違点など見出せないものの、その効果は絶大であるようだ。
神曲の歌詞の触りの部分を聞いただけで、悶絶して転げ回る人間が後を絶たず、街は騒然としていた。
兵士たちが苦しみ喘ぐ者達に群がり、転がり回る者達を縛り上げて拘束するも、まだ魔人としての本性を顕現さない内は、その行為自体が、家族から見れば無体な所業に見えてしまうのだろう。
家族に振るわれる理不尽な扱いを非難する声が後を絶たなかった。
魔導スピーカーの調整を兼ねた神曲テスト放送のスピーカーの傍に、その苦しんで逃げようとする人間を拘束して連れて行き、集めて様子を見ていると、何時しか苦しんでいた者達は人の皮を破り捨て、拘束を解かんとして暴れる魔人がその正体を顕現した。
内部での熟成を済ませていない個体であると、そのように考えて良いのかは、その見た目でしか判断出来ないが、その容貌は火傷で真皮まで喪い、爛れた肉を剥き出しにした姿である。
特徴的な堅い皮や鱗が生えた表皮では無かったのは、やはり成体として完全ではない証なのだろう。
意識の混濁と人間であった頃の記憶の狭間で妻と子の名前を呼ぶ、その魔人らしい姿をした、爛れた肉の魔人が拘束されてのた打ち回っている。
その異様な光景に家族であった者達は哀願と懇願の声を呑み込み、悲鳴と怒号として吐き出した。
騒然としたその空気の中を甲冑の音を鳴らしながら兵士達が歩いていく。
ここからは作業だとばかりに兵士六人と聖水の入ったバケツを片手に下げた聖職者が魔人一体に対し一組の隊を組んで魔人の傍に歩み寄る。
心躍らぬ魔人の解体ショーが、粛々と行われる前触れとしては些か酸鼻な叫び声が響く。
北と西門周辺に人気は無く、シルナの国境に続く南門と中央都市へと続く東門には人気が常にあった。
全ての門の傍では神曲が魔導スピーカーから流れ、中央広場のタケルが設営した本陣では、タツヤが持ち込んだ魔導スピーカーの無断複製が行われていた。
タケルと顔を合わせても良い結果にならない理由の一つがコレなのだが、睡眠を削られ過ぎた彼等に正常な判断力は乏しく、責めたとしても何の益もない程に、このセカイの軍人は絶対権力者であった。
無条件で西の都から出られる事を保障する書簡を、コンラッドから得られた事に満足すべきであり、周囲にいる多くの出国希望者の羨望の眼差しを背に、東門から外に出られる事を喜ぶべきであった。
西方都市イースの情勢をギルドに報告する為の書類を纏めながらの帰り道タツヤはボンヤリと牛車の窓から外の景色を眺めていた。
報告書、その内容は余り華美に装飾する程でも無いものであったが、控え目に書いてもタケル隊の常軌を逸した精強さを隠す事は不可能であった。
最初から全てを秘匿して報告しないと云う手もあったが、そういった駆け引きや交渉の余地は、彼等のもとに魔導スピーカーが届いた瞬間あっと言う間に霧散した。
届くや否や彼等は魔導スピーカーを分解し、商業ギルド謹製のプロテクトを外し、魔法陣を解析したのち躊躇なく複製を開始した。
そんな連中に容赦も慈悲も必要ないと思うのは製作者の心境として当然のものと言えよう。
西方都市イースの東門を出て最初の夜からタツヤの機嫌はあまり宜しくなかった。
タケルから派遣されたのか、自主的に追って来たのかは知らないが、隠密か忍者の様な連中が毎日チョロチョロと目障りにバレバレな追跡を繰り返してくる。
無防備過ぎる隠密をガン見しながら、そのお粗末な隠匿魔法らしきものに苛々とした時間を過ごしていたのだと、後に皆に明かしたが、タツヤ以外追跡者には誰も気付いていなかった事が判明する。
割と笑えないレベルの隠匿魔法らしかったのだ。
話を戻そう。
タケルと敵対する気など一切ないタツヤは、腹立ち紛れに「これは稽古である」と大声で宣誓し、殺さない程度に相手をすると決めたタツヤは、倒した相手のズボンを男女を問わず必ず奪い、一本づつ牛車の幌に撃墜マークのように掲げる事にした。
古着として売っても一本当たり二束三文であるが、現在の在庫は百本を超えている、非常にカラフルな品揃えとなったそれは、そこそこ良い飯くらいは食べられる金額になることだろう。
塵も積もればなんとやらである。
遥か遠くに報告の為に待機している連中も見逃さない執拗さについては、説明の必要は無いことと思われる。
ただし、その水も漏らさぬ追跡者狩りのせいで、彼等によるタケルへの報告が遅れに遅れたのは自業自得であった。
「逃げ帰るときに上着を取られたならば多少はサマになるが、スボンを取られたとなると道中も恥ずかしい。この程度の羞恥プレイで満足してくれれば、一人も殺さずに済むんだがな。」
牛車の幌に渡してあるロープにズボンを掛けながらタツヤが笑う。
「嫌なプレイだな。だが臭い生首をズラリとブラ下げて帰る、ギルドのしきたりをご丁寧に守るよりは、断然穏便か。」
手綱をゆるく動かし、行道の遥か先を見渡しながらタクマは答えた。
タロウとハナコは頭が良い、手綱を振らなくても帰り道など迷う事無く歩いて行ける。
「野盗の討伐部位は左耳か首、車持ちなら首一択で……、保存の塩が無ければ干し首と、規約で決まっているからな。血生臭いのは勘弁だが、見せしめの意味もあるし、ギルド規約違反は一々罰金が面倒だから破る訳にもいかん。」
ギルドに罰金を払い忘れれば市民権の剥奪もある、厳格な規約に縛られる替わりに得られるものも多いのがギルドの強味だ。
ユグドラシルの根が風に靡き、囚われた忍びが下着姿の下半身を曝け出しながらグッタリと棒立ちになって涎を垂らしている。
道中のあちこちにそんな連中が街道沿いに遺されていた。
「殺してないんだよな、アレ。」
遥か後方の物言わぬ案山子達を思いながら何とはなしに呟く。
「殺してはいない、世界樹の根は一定期間その場のマナを吸ったら、周囲に吸収されて役目を終えて枯れる。樹から離れて逞しく育つ様な性質は、今の所無いから安心していいよ。」
何も世界樹の事は聞いてねぇよ……とは思ったが、安心していいなら安心しておこうとタクマは再び前を向いた。
人体にどんな悪影響があったとしても語る気が無いならば聞いても無駄だからだ。
追跡者との距離は何時も遠い、人に感知出来る距離とは思えない距離からの覗きであってもタツヤは気付く。
曰く、概ね俺はセカイと繋がっている。だ、そうだ。
概ねと云う部分が大切で譲れない部分なのだろう。
西方都市イースより出発して大凡十日ほどが経過し、明日には砦への道に到達出来るかと思われた頃、隠密と呼ばれる彼等は、触れてはならない者に手を出してしまった。
タツヤやトモエ相手なら加減を心得ている為、間違っても殺される事は無かっただろう。
タクマが相手だと当たりどころが悪く、意図せずに死んでしまったかもしれない、それは事故だ。
広範囲殲滅に定評のある彼女に手を出してしまったのは、不運としか言いようが無い。
天災に逢う事は、どうしようもないから語る言葉など並べる意味も無い、受け入れる事のみだ。
そこには、剥き出しの荒れ地に砕けた岩、灼熱の溶岩が所々で煮え立つ、草原の只中の死地であった。
幻惑魔法により牛車を一直線の道で見失った彼等は、止せばいいのに必死になって彼等の進むであろう道を追い駆けた。
誰かが覗き行為である遠見を使っていれば、タツヤに気付かれてその日の仕事は終わったであろう。
とても平和な一日の終わりと三、四日の身動き一つとれない休日を与えられる程度で済んだはずだった。
さて、そんな狼藉者と、どの様な邂逅を果たしたのかを知る者はいない、彼女がそれを語らないからである。
旅の途中、多くのケースに置いて仲間達と距離を取る、離れた場所に行く理由など列挙するまでもなく知れたものである。
なので皆も深く考える必要はない。
そりゃ、間が悪い。
最初、轟いた音は雷と突風、後からやって来た衝撃波である。
速やかに牛車の御者席に飛び乗るタクマと荷台に飛び込むトモエとタツヤは、励起している魔法に怒涛のように雪崩れ込むマナの流れ……いやマナとは別の魔法力の流れに死を予感した。
あらゆる想念や、願い、祈りと言う、形にしづらいものが魔法を構築していく。
そろそろ追跡禁止の命令がタケルより下る筈の隠密達から、初めての死者が出そうな勢いである。
もちろん彼等も保護魔法の範囲外なので、自力で命を護る事に全力を尽くさなくてはならない。
或る意味ユリにちょっかいを出した連中と同じく風前の灯火であった。
ユリが仲間達を慮らずに魔法をブッ放つという珍しく希少なシーンであるが、のんびり悠長にそんなものを眺めている暇も余裕も無かった。
並走していたイチローと馬二頭はタロウの嘶きを合図に全力疾走を開始した。
空間がギシリギシリと音を立てて割れんばかりの軋み音を立てて、歪に裂ける。
「裂けたァ!、マジかっ、タクマ逃げろ!、この辺りが異界を吸い出すか異界が溢れるかして、不安定過ぎる沼と化すぞ!!!。」
「わっかんねぇよ、そのファンタジー!!!。」
「どうでもいいけど、タツヤ!!結界かバリアーあるなら早く使えぃ。」
トモエから背中に一発キツイ張り手が撃ち込まれる。
「忘れてた!。」
等と返事をするも牛車の床板を外してレバーを引き倒す。
悲鳴を上げる牛車の構造体が、ゴスンと重い音を立ててから車輪が異常に滑らかに滑り出す。
「まずは平均的牛車を演じる為に仕掛けといたリミッターを外した。」
そしておもむろに魔法の構築を開始する。
「金貨二十枚もした魔法書の力を見せてくれ、障壁魔法ぅぅ。」
ペラい魔法の壁が出来た。
おもむろにトモエが薙刀で突いて穴をあける。
「脆っ。」
「何度もっっ、根気よくっっ、重ねてかけるものだとっ、書いてあるんだよ、見て、憶えて、手伝ってくれ。」
クルクルとタイガースクロールを広げてスイスイと読み進めるトモエ。
「金貨二十枚の価値あるのかねぇ?。」
「努力すれば龍も狩れると売店のオヤジが言っていた、多分コツコツ系の魔法だ。」
「ユリのバリアーなら何億円になるのかな、興味あるわぁ。」
クルクルと巻物を巻いて紐を縛り、タイガースクロールをタツヤに手渡す。
「張りぼてに紙貼ってるイメージしか湧かないわ。」
イメージが大切な魔法に、そのイメージはとても良くなかった。
一方その頃、ユリが居ると思しき場所は剣の山と化していた。
あれは多分、目撃者を一人として逃さない地獄の地形であろう、そう言えば、仏教の地獄にあんなのがあったなと、胸に去来する何かを必死に押さえて障壁魔法を重ね続ける。
彼女と対峙している者達の無事を祈るべきか、冥福を祈るべきか迷いながら。




