第二百十二話 夢半ばにして
入浴を済ませて草臥れた身体を引き摺り、柔らかな寝具に倒れ込む様に深い眠りに就いた彼等は、太陽が中天に昇った後も尚、眠りの園からの脱出を果たせずにいた。
では、ここは幕間、現より少しく離れた夢の世界──────。
雪洞の灯火が揺れる部屋で戦支度を整えた彼女の傍に侍るは、都より遥か離れた山々に囲まれた、田舎より共に苦労を重ねて上洛を果たした女子衆であった。
彼女たちは此処で討手や捕吏を迎え撃つも良し、押し問答で時間稼ぎをするも良し、屋敷に火を放ち混乱を利用して落ちのびるも良しの……幾ばくかの自由を与えられている。
主君を売る事だけは止めて欲しいが、致し方なし───と割り切れるはずも無く、それだけは流石に無いと思い、そして信じるしかないのも哀しい現実であった。
翻ってみれば、どうせ逃げる場所など一つきりで、裏切ったとしても指差す方角などが狂えども、頭の良い者ならば、其は一つであるとあっさりと看破出来る程度のものであるが故に、どう転んでも策を弄しようとも然程の変りもありはしないだろう。
手勢も僅か、馬周りも供の者も兵力も雀の涙である。
地方の豪族や士族が必死になって整えた力も、いざ追われる身となれば微々たるもの、浮足立たれて兵に逃げられてしまえば体裁もあったものではない。
上洛の時には荷車に満載した貢物の数々と兵糧と金銀、馬等々数え上げれば際限が無い荷物があったのだ、帰りは身一つ、馬二頭、その上一週間程度あれば足りる水・食料である。
追っ手はあるだろうし追捕の手が緩むような事も無いであろうが、事此処に至って彼女の心を占める思いは、帰れるのだと言う安堵と、常に共に歩んだ者との帰路を、身命賭して切り開いて見せるその覚悟であった。
御館様を包んで護りながらの闇夜の逃避行が開始された。
帝の不興を買った、理由などつらつらと述べるまでも無く、都人を田舎者が御するには、金も力も兵力も版図も教養も後ろ盾も、諸事皆、足りなかったと云う事だ、血筋は一等級でも包み紙も、箱も、箱書きも整って居なくては陰湿な貴族の中では愚物ないし慮外者であるとしか受け取られはしない。
風紀が乱れて緩み、賄賂こそが全てであると言わんが如き都に、素朴に生きた者が順応出来るかどうか、その答えが出された形だ。
都言葉を話せと貴族がピシャリと大上段から叱り、手解きを願えば、あれが欲しい、これが欲しいと強請りに強請る。
将軍、将軍と呼び付ける都度、礼儀作法に所作に肌色、付けられる難癖は、正に山となり、次第に彼女が慕う御館様は、心労と責め苦により痩せる一方であった。
潮時、だったのだろう。
公家の玩具にされながら忍従しつつ将軍としての勤めを果たす。
その重責に、理想がギリギリと物音を立てて壊れて爆ぜる。
混乱に陥った日ノ本を救うため勇んで駆けつけた若武者が治世を取り戻さんと乱れた世と言う怪しげな壺の蓋を開ければ、魑魅魍魎の巣食う二条の蠱毒壺に滑り落ちてしまった。
何の為に長く雌伏を続け威力を整え、此処に辿り着いたのか解らなくなってくる。
既得権益を切り崩し財政難を立て直そうと躍起になれば成る程、蛇のようなしつこさでそれを護ろうと公家たちの暗躍が続く。
蠱毒壺に喩えてなんの罪があろう。
ようするに、何も為せず何も変えられず、公家に味方を得る事も無く、夜闇に紛れて逃げ帰るのだ。
愛馬に跨った彼女は従う兵と共に、掛かる追っ手の一陣を血飛沫舞わせて討ってのける。
刻一刻と追っ手の数が増していた。
森の奥、川の向こう。
戦場の圧力と死の臭いがヒシヒシと辺りを張り詰めさせてゆく。
「殿は妾が務めます故、皆々様は渡河に専念せよとお伝えあれ。」
官女の真似事を都で学んだが、どうにも山猿のような私には身に付かなかった。
陽に焼けた肌では絹や紗など勿体なくて身に着ける事など恐れ多く、贈られた嬉しさよりも女子らしさの欠如した我が身を自ら恨む時の方が、長くこの心を引っ掻いて回った様に思う。
乞われて身に着けて、参上させて頂いた夜も、御館様の心をほんの少しばかり癒した程度に過ぎなかったのだろう。
力尽きるように眠って仕舞われた、あの激務の日々の僅かな刻に、今日のこの日を予感したのはどうやら考え過ぎでは無かったのだと思う。
私の手の届く場所で、私の目が届く場所で、御館様を死なせはしない。
薙刀の風斬り音が太刀の林を薙ぎ払い、私を中心にして死の暴風が吹き荒れる。
私に勝てる者などありはしない。
誰に言われなくても判っている。
産まれてこの方戦場で怪我など負った事も無い。
戦場は居心地がとてもいい、政争で濁って淀んだ雅なる都の風等よりも幾億倍も澄み渡っている。
俯瞰してみれば血飛沫は花吹雪に似ているだろう。
川のせせらぎ、無粋な武者の逃げる背に矢がサクリと突き刺さる。
轡を並べる彼女に弓を預け、薄暗い月を背にしてまた薙刀を手に追っ手を斬り倒す。
殺すよりも手傷を負わせる、手を施せば助かる程度の塩梅で。
慈悲などではない、逃げるならば討手を減らす為に怪我人を量産するのだ。
兵法の幾つかを教えてくれた御館様の薫陶はここに花開く、いや、咲かせて見せる。
渡河の途中、幾人かが深みに嵌り助け出さんとして梃子摺る姿が見えた、なれば刻を稼ぐのが私の役目。
「貰ったぁぁぁ!!。」
と、太刀を振り回し叫ぶ武者が、袈裟斬りにしようと試みたのか定かでは無いが下顎と右手を喪ってのた打ち回る。
何が貰えるのか聞いても答えられないと思われるので薙刀の石突きで一撃加えて突き飛ばす。
鍛え方がまるで足りていない、せめて薪割り程度はサボらず鍛錬の為に自らやるべきだろう。
加減を間違って鼻から上の頭部を斬り飛ばしてしまった、悪い事をした許せよ。
右に左に薙刀を振るい、押し寄せる人並みを斬り払って河原を駆ける。
唐突にこのような歯ごたえの無い相手から、何故に逃げなくてはならないのかと思い至り、敵陣にこの身を投げ込んでみた、そしてその予想は結果に肯定された。
既に及び腰の武者など武者に非ず。
草木の類よりも肥料となるだけマシだろう、既に野犬の群れが肉の在処に気付き集結しているのを感じる。
「慌てるな慌てるな、空かせた腹を今暫く宥めて置くと良い、こ奴らは一応刃物を持っておる故な。」
そう呟きながら手当たり次第に手足を突き、払い、斬り飛ばし、誤って死人を量産する。
四半刻も過ぎた辺りで血に酔いかけている己を律して退散とした。
疲れ果てた愛馬を渡河組に預け替え馬に跨り追っ手を睥睨する。
野犬が戦場に幾らか紛れ込んだようだ、首に齧りつき喉笛を噛みちぎろうと全身を回転させている犬を引き剥がそうと懸命になっている兵士達が見えた。
無駄な足掻きだろう。
飢えに飢えて山に逃げ、群れを作り山の動物を集団で狩りながら生き延びた狼の末裔だ。
「後は其方等に任せて逃げさせて貰う、感謝するぞ、もし冥土で逢う事があれば撫で回して遣わす故忘れるでないぞ。」
馬首を翻し私は仲程を越えて渡河に励む女子衆と愛馬を見遣る。
浅い川ではあるが流れが速い、アッと驚く前に馬の揺れが縦から横揺れに代わり、思う様振り乱されていく─────。
「おおおおお。」
柔らかなベッドと乱れた布団、私を起こす事に難儀したであろうユリの顔が見える。
「おはよう、もうお昼過ぎてるよ。」
明晰すぎる夢を見たが、その内容を余人に語る気持ちには、どうにもなれなかった。
夢の中で見た御館様とは、はて?、昇り勝ち得る権力の頂点に立った者では無いかと我が身に問う、将軍職は安くはない、夢だからと言っておいそれとそんな職位を得た人物と深い仲であるなどと言う夢は、ひょっとしなくても黒歴史入りを果たすのではないかと思う。
「タツヤの事笑ってられなくなるかも知んないね。」
しっかりと手に残った薙刀の感触を思い出し、なんとも微妙な朝を迎えた事を悟る。
「起きろー。」
加減が段々無くなって行く往復ビンタで意識が覚醒されていく。
「起きた、起きた、起きたからぁ、やめーい。」
仕方が無いのでユリの脇腹を掴んで反撃に出た。
累計100,040 アクセス16,895人
パソコン61,344 アクセス13,574人
携帯7,921 アクセス274人
スマートフォン30,775 アクセス3,047人
この度は拙作を、お読み頂き誠に有難う御座います。
お陰様で十万アクセス、マイペース過ぎる更新ですが片目を瞑って見逃して頂けると幸いです。
尚、作者の家の近くの工事が一ヶ月延長する事が決まりました。
重機の音って脳に残るのでかなり厳しいです。
では、これからもお付き合い頂ければとても嬉しいです。




