第二十一話 穀潰しのララバイ
人間性を削りに削り、教団の教えに全てを委ね、教義に脳髄を捧げた者達が軍隊を形成した。
今や流浪の宗教と呼ばれるに至ったザン・イグリット教は、険しい山の一つに陣取り、各国の教徒達を掻き集め、宗教楽土の建設を始めた。
ドリンダ暦四年の夏と記されているが精確な日時は不明だった。
世界各国が生ごみの集積場所を見つけたように、ザン・イグリット教徒をその山へと強制送還する事となる。
隠れキリシタンのように潜伏しようとするもの達も多く存在したが、魔法を用いた人別張の目を搔い潜るのは略、不可能であった。
ひょっとしなくてもこの状況を予測して用意されていたシステムであろう。ただしこれは白人的なエッセンスの強い人別張である。
呼び出した人別張を閉じながらタケルはひとりごちる。
ベランダでブランデーグラスを傾けながら、一度はやってみたいダサ恰好良い行動リストを着々と熟していた。
「戻りたくないなぁ、安楽死だと言われても殺人じゃないか…。」
要するにタケルは吞まなきゃやってられないのであった。
サナトリウム横に墓地が増設されて後一週間が経過した。意識が回復し平常の生活が送れると判断された者達が、まず最初に教育されたのは王国語であった。
最初、彼等が今此処に居られるのは、御堂尊が挙げた軍功と報奨金のお陰であると説明され、意識の戻らぬ者達や要介護の者達の面倒を見続ける訳には行かないと言う、友たちへの死刑宣告であった。
王国民として生きるならば魔法の力を付与した宣誓書によって忠誠を誓い国籍を得る事が出来る。
そうでなければ周辺諸国へと送り出し、何の保障もしない。
言葉を理解する度に細かな制約や周囲の事情を理解した。現状は御堂尊の資産を食い潰すだけの穀潰しであると認識されているので役人達の目は冷たい。
ニートに対する親と世間の目である。
タケル本人は自覚していないが、タキトゥス殲滅戦に置ける軍功は可也大きい。
ドラゴンスレイヤーの称号も騎士として得られた勲章も初陣とは思えない働きぶりを示したものだ。
得た褒賞で屋敷を買い、市民権を得てスタートも切れた筈なのだが、此処にお荷物が存在する。
帳消しどころかこのまま放って置けば借金生活がスタートする。
その事情も彼等には一切隠さず直截に伝えられているので彼等の動揺は大きかった。
言葉を学べる期間はそれほど長くは取れない。期間を伸ばしたいならそこで寝ている者を殺せば良いとまで言われる。
語学力が高まればもっと深くて不快な事情が明かされる。
「タケル様に決断させて恥ずかしいとは思わないのですか。」
役人の女性に憐れむような目で溜息を吐かれた青年を他の役人も冷たい目線で見下ろす。
「決断って…何を?。」
周囲が息を飲む音が聞こえる。
「回復の見込みがない者達を全て安楽死させる決断ですよ、全部タケル様に背負わせる気なのですか?。」
お気楽な世界で生きてきた二十歳を越えた子供達。
対するは十三歳から十五歳で成人として認められ自活する大人達。
自分達より年上の集団が、甘えた考えで世話になり続けている生活を甘受している事がどうにも理解出来ないのである。それは、どうしようもなく仕方の無い事であった。
タキトゥスとの終わらぬ確執を一方的にではあるが解決に導いた立役者の一人としてタケルの名は知られている。
ドラゴンを倒した者達の一人としてもその名は名高い。
寒い前線の兵士を支えた温風魔法の生みの親とも知られ、ちょっとした名物男程度には知られている。
王国直属の役人ともなれば、その報奨金の額も精確に知って居るし、その無駄な用途も知って居る。
見捨てればいいじゃないか、と思うくらいにはこの世界の人間はシビアだ。
聞けば彼等を肉壁隊から命懸けで救い出したのもタケルである。
それならばタケルの負担を減らすために、ちょっとくらい手を汚せばいいのにと、本気で呆れられているのである。
それでも彼等は気付かない。言われたとしても理解できない。
人間を殺すと言う事は禁忌であり、友人知人を殺すなど以ての外だ、人は家畜等ではなく尊ぶべき存在だ。
いくら足手纏いになろうとも、その寿命が尽きるまで保護して看取ってやらねばならない、何時しか自身がそうなるとも限らないからだ。
重荷となっても背負わなくてはならない、汚物を団子の様に丸めて遊び、それを食べ始めたとしても養い続けなくてはならない。
それが福祉だ、それが人権だ。それが俺達には保障されている。
誰に?。
誰が?。
超大国産まれの人間と、明日に吹く風でどうなるか判らない国に産まれた者の相克がそこにあった。
ザン・イグリット教徒が篭る山に建造物がぽつりぽつりと出来始め、周辺諸国を驚かせる。
人と金と物資が宗教に染まった一心不乱さで集まっているのであった。
着々と建設されていく土壁や堀を確認して土魔法使いが彼等の軍門に所属している事を知る。
だが、今暫くは彼等に手を出せない。
トリエール王国とザン・イグリット教団の間には国交のない馬賊国家が横たわるように存在していたからであった。
タケルが長い休暇に送り出され、ノットは故郷へ墓参りへと旅立ち、イスレムは久しぶりに家族と別荘へと静養に出ていた。
ダン・シヴァは国政に欠かせぬ人物として国王陛下の信任も篤く忙しい毎日を過ごしていた。
そして、本日も国王陛下は領内の視察に精を出す。
「いや、ダン・シヴァの奥方殿には迷惑を掛け通しておる。」
ダン・シヴァ夫妻を連れ立って近場の温泉街であるジムナス峠へと慰安を兼ねて訪れていた。
中々に休暇など取れない身分の者としてはこの程度は道楽の内に入らない。
近所の友人と連れ立って銭湯へと赴く程度の気安さだ。
国王陛下お気に入りのこの宿は、お世辞にも高級とは言えず、質素にして簡素な宿であった。
建国王ゆかりの温泉宿で、手ずから剪定した庭木や大岩、砂の川、そして池。華美な部分など全く無いが非常に上品極まりない宿である。
「つい最近ダン・シヴァの口より温泉という言葉を聞いてな、いや!、最近激務が続いてご無沙汰であったと思い出してな。」
上機嫌で王妃が差し出すお茶を受け取りダン・シヴァ達もどうかと薦める。
「有難く頂戴致します。…その話はタケルに休暇を命じた話の折りに出た件ですな。」
「そうであったな。なぁ?あ奴は、まだ為政者が背負うべき悩みに囚われておるのか?。」
タケルが身分違いな悩みで煩悶としている事を王と臣下は興味深げに語り合う。
ようするに、一兵卒が気にせずとも責任は為政者に任せよと言う話であった。
そしてタケルは、そうやって割り切れない、割り切ってはいけないと言う平和な国の平和な教育を受けた人間であったのだ。
色々と細かな修正
最後の文 微修正