第二百四話 東方都市アンヅ
元来、この都市に住んではいない商人たちや、それほどに思い入れの無い住人たちは、突如として侵攻してきたトリエール軍を見るや海側の門を群衆の力で押し開けて逃げ出してゆく。
散逸する民を押し留められるほどの兵士を集めきれなかった事もあり、跳ね橋の巻き上げ塔を占拠される失態をも犯した城兵にはもはや住民を押しとどめるすべは無かったのである。
尤も、非情な決断が下されるまでの僅かな間だけではあったが、東門と南門は民衆の手により開け放たれ、雪崩を打って人が溢れ出していた。
城壁の持つ役割はそもそも住民を守る事よりも住民を逃がさないと言う側面が強い。
税金を一定額必ず徴収できる目算が立つ範囲が城下町であるから、それをぐるりと囲えば逃げられる心配をする事も無いという単純な話である。
安全と安心に税を払うのであるからその保証が期待できないとあれば住民はあっさりと逃げ出すというのもまた真理の一つである。
城外からは戦象を追い立てて縊り殺す狂気の集団がタキトゥス人を血祭りにあげている。
理由など問われても、ただの怨恨だ、彼等を説得するならばタキトゥス人の首をこれでもかと並べるしかないのだから、誰が殺すにせよ結果は同じにしかならない。
シルナ王国兵も狂気に染まった集団ではない、ごく普通の規則正しきトリエール王国軍と交戦し続けていた。
こちらはこちらでシルナ王国兵側の劣勢が早いうちに確定し、防衛線は下がる一方だ。
練度はトリエール王国側が上で、兵数はシルナ王国側が上である、にも拘らず劣勢を確定足らしめたものはそのものズバリ兵装の質であった。
それでもトリエール王国軍は一定の距離以上は進めない。
飛距離がまちまちではあるがシルナ王国城壁の向こう側から投石器が石を投げて来るからである。
密着して門を開ける手も中々取りづらい、強弩や連弩などの所謂、弩の射程範囲内に入ることを避けているのもあった。
そうこうしている間に一週間が過ぎ、東方都市アンヅの全ての門が民衆の流血と共に閉じられ籠城の構えが出来上がった。
半包囲状態で既に城内はガタガタになっているし疫病の猛威も治まる気配がない、城下町に至ってはパニックに拍車が掛かり恐慌状態に突入せんばかりであった。
「野営地は解るが火葬場を建てる事になろうとはな。」
続々と資材が草原に集められ土魔法による炉の建設が進められている。
程近い野営地では竈が作られており、どちらも火を扱うものであるのに用途が明後日の方向を向いている事に微妙な気分になる。
戦況が落ち着き簡易的な物からしっかりとしたものに造り替えられていくだけの話ではあるが……。
敵兵の遺体と味方の遺体を別けてキッチリと纏めている部隊や、慰霊碑の建設予定地の縄張りらしきものを工兵が丘の上で行っている姿は敵兵から見れば異常に過ぎる行動では無いかと思う。
城下の農民に農地を焼かれるか作物を売るかの二つを迫りながら兵士達には略奪を禁じる。
布教活動と改宗者へは手厚い疫病治療を施す等の外堀を埋めるが如き活動も活発化する。
籠城している者達に、これ見よがしに炊煙を炊いて手招きしたり、決起を呼び掛け煽動の限りを尽くす等の悪質な手段も用いる。
此処からどれだけの期間東方都市アンヅが耐久出来るかは不明であったが投石器の耐久力も、弾となる民家の減り具合も計算に入れて戦闘を継続する。
元より援軍の無い籠城を強いられているシルナ王国軍に対しトリエール王国軍は持久戦の構えなのだ。
商業都市故に糧食に余裕はあるが何時でも自由に補給できるトリエール王国軍とは違いシルナ王国軍は援軍を期待できない。
今も沿岸の港を次々と支配下に置かれ国外への脱出路は内乱状態で封鎖された南の関アダンシラパくらいである。
斯くして動かしがたい膠着状態が産まれ、後詰の貴族軍が続々と集結した。
ウィップシュラ伯爵、ゲーベンドリス侯爵の二人の領軍による新統治準備部隊による村落と集落を虱潰しに押さえて行く山狩りや人狩りに似た布教活動支援が開始される。
村落の統廃合や収穫が見込める農地の洗い出しも彼等の領地経営の実績を買われての選抜である。
新たに功績を挙げたものに与える領地の下準備を丁寧にやれるのかと言う疑問はあるだろうが、これをまじめにこなさなければ旧領安堵の保証を与えないと明言されている。
断れば父祖伝来の地を転封されるという崖っぷちに立たされている。
旧王都でも選りすぐりの貴族ともなればキウの地に領地を持つことは限りないステータスとなる。
その領地が喩え寸土であろうとも屋敷を賜るともなればこの上なき名誉だ、今回働かなければその屋敷も領地も召し上げられる。
そう、貴族達は必死であったのだ。
東方都市アンヅでの一先ずの役割を終えたウィリアム隊は子爵級の軍隊と輜重隊を率いて南方都市カポへの進軍を開始した。
カポに直撃する予定は無い、全軍終結後シルナ王国の最後を華々しく彩る程度の仕事だ、タキトゥスの残党も大量に流れ込んでいる事であるし、地の果てまで追う覚悟のウィリアム達にはこの戦い自体に異存は無い。
子爵領の戦いなれていない兵士たちは東方都市アンヅまでの行軍で疲弊しきっており、ここから先にまだ進むのかと、既に青息吐息であった。
そこまで無茶はしないがホルメス地域の丘まで進み其処を拠点化する事が彼等の仕事だ、カポを直撃するには若干距離があるが今は其処が丁度いい距離だと軍師たちは言う。
五日少々の旅程を経てウィリアム達は丘の上に取り敢えずの陣を張り、背後の岩山にあるとされていた温泉を労する事無く発見。近在の孟宗竹の太いのを切り集めて節を抜いて繋ぎ水路の建設を始めた。
最優先は寝床の確保だが作業のローテーションで竹を運び入浴を繰り返すと幾ばくかではあるが士気も回復しているようだった。
一頻り落ち着くと南方都市カポから現地調査に駆り出された冒険者や間者が雲霞の如く捕獲された……だがしかし、尋問など面倒臭い事をウィリアムがする事は無く全員即座に奴隷紋を打たれ水路造りに従事させられていた。
「何も聞かないのですか。」
「カポの奴等が南側諸国に援軍を求めているのは解り切ってる、それにタケル様の"耳目"がここに集結してンだから聞くまでもないさ、どうしてもってんなら好きにするといい。」
木槌と杭の束を担いでウィリアムは作業場へと歩いていく。
彼等の部隊は良い景色で温泉に入れる場所を作る事、最初の賓客は国王陛下という任務を粛々とこなしているに過ぎない、戦争目的の先遣隊とは毛色の違う部隊であったのだ。
東方都市アンヅの城壁に程近いスラムの離れにある朽ちた教会の納骨堂の床下に、隠された階段があった。
切れ目はあるが凹凸の無い滑らかな床板は、空気が抜けるような音を立てて、ウィィィと言う唸るような何かの音を交えて開いた。
カンカンと金属音のする階段を降りると、開いていた床板が閉じて真っ暗闇だった階段や通路が真昼の如き明るさで照らされる。
余りにも奇妙なその場所を迷う事無く歩いていくラゼルを追ってジョーは歩く。
「間違いない、墜落して壊れたものとばかり思っていたが生きていたようだ。」
「電気も通っているようだし死んでいるとは言い難いね、壊れているかは別としても。」
「自動修復装置を破壊した筈なんだが、どうやら壊し損ねたヤツがあったらしい。」
「随分とオーバーテクノロジーと言うか……ラゼル、これは一体どんな施設なんだ?。」
「ああ、空中空母だ。」
さらりと、ふざけた答えが返って来た。




