第百九十九話 世界を巡る者と輪廻転生
「またサボってるのかぃ、本ばかり読んでないでリハビリしなよ、術後こそ全身にカルシウム剤を行き渡らせないと将来に痛い目見るのはアンタだよ。」
困った人間を見るように白衣を着たエルフの女医が読書部屋の入口から私に声を掛けてきた。
私を釣り上げたエルフの女医は長く寝た切りであった私の身体を何度か改造すると、良く判らない場所であるこの場所まで私を同伴させた上でリハビリを監督している。
私は不真面目な患者であったようで、其処に在る大量の蔵書に日々、目を奪われ気も漫ろという奴であった。
「此処で司書になる気ならば、不老不死手術を施すのが決まりでねぇ、人間辞めてここに尽くす気ならば、いいよぅ、その意思を汲むよ~。」
知識欲を満たした後、得た知識でもって自身の故郷に錦を飾る……と言う事は許されないと言う話だ、何の為にある施設なのか判らなくなってくる。
「ここは人類が生きた証を粛々と記録するライブラリ────。煩雑な使い道を提供する場ではないわ。貸し出しは三冊まで返却は精霊が勝手にやってくれるから期限を忘れても平気よ。」
司書の眼鏡を掛けたエルフがにこやかに応えてくれる。
そんな優しく穏やかな日々の幕切れは、本当に唐突だった。
平和な日々は長くは続かないとは誰の言葉であっただろうか、ドンドンと窶れ衰えて行く身体に限界を感じ、立って歩く事が出来なくなるまであっと言う間であった。
私は司書になる事を諦め、女医との最後の語らいの時を過ごしている。
「望めば不老不死も与えてあげられるけど本当にいいの?。」
「丁度読みかけの本も読み終えたところなので…気が変わらないうちに逝きますよ。」
白痴に産まれ、終わりは意思ある死を迎えられた、それだけでも良かったと思いたい。
「Ee細胞による遺伝子異常治療には自信があったンだけどねぇ、そのせいでアンタの中の癌細胞を強化しちまったのは誤算だったわ、正直アタシの失敗さね。」
深々と両手を膝について頭を下げる女医、この人でなければ私を私にすることなど出来なかった筈だ、残念だが知らずに患っていた病まではわかるまい。
ここで星々を眺めながら読み耽った医学書を思い起こせば、それを軽々と凌駕しているこの女医を、越える医師など一人も居ないという悲しい真実に至れる。正直に言って運が良くてここまでだったのだ。
女医は最後に煙草に火を点けて遥か遠くの星を見ている私と同じ時間を過ごした。
程無くして私は力尽きる。
「次の生はマシだといいね、ゴールディ、もしも再会出来た時はゴウダって名乗りなよ、合言葉だ。」
遥か遠くにコモンと言う名前の女医の呟きが聞こえた。
呼吸を止めた身体が少しだけ脳死するまでの意識を保てる短い僅かな時間、彼女が俺の頭を撫でていてくれた、その優しさのせいだろうか死の恐怖は薄れ、私は静かな眠りへと旅立った。
──────筈であった。
「大神の試練を果たせなかった者よ………。」
白い、全てが白い世界に、汚れた染みのような私が平伏していた。
小指一つ動かせない私に全身白尽くめの男が近付き、身体を支えて取り敢えず座らせ、顔を上げさせる。
顔を上げてギョっとする、視界を埋め尽くす範囲を越える巨大な顔がそこにあった。
「汝、ゴールディ・ナイルよ、再び彼の地に降り立ち試練を乗り越えて見せよ、有資格者の魂を宿す者としてアレを討滅するのだ。」
命無き者の成れの果てが瘴気と光の双方に締め付けられるように悶える者を包む様に、或いは捕食するが如く蠢く蠱毒壺の様な場所でのた打ち回っていた。
怯える童を諭すように、或いはあやす様に光も瘴気も何もかも呑み込み隙間なく埋めつくしていく。
アレとは肉の海の事か?、呑み込まれた何者かの事か?
有資格者とは何なのか問い掛けても答えは無く白い壁が黒く染まり世界は暗転する。
白づくめの男の介添えで私は立ち上がり歩き出す。
晴天の空、長く長く続く階段が其処に在った。
「ここは……見覚えがある。」
「転生するために命の座へ向わなくてはならない、案内はそこの鳥たちに任せてある、迷わず付いて行けば大丈夫だよ。」
「ああ…。」
重い足取りで階段を昇る。
一瞬のような永遠のような時をかけて辿り着いたそこで古い衣を脱がされて命の雫をゆっくりと注がれる。
一息もつかせて貰えないなんとも慌ただしく転生させられるのだなと知っても、取り立てて感慨など沸きようも無かった。
ただ、合言葉だけは忘れたくないと、歪む景色の中で私はそれだけを願った。
────そこは寒村であった。
非の打ちようもない程の明日をも知れぬ寒村であった。
名はコットレア村であるという。
何もない村で寄り添うように暮らす四人の家族。
私はその家の長男として産まれ、齢五つにして教会の手伝いをする子供の一人として神に差し出された。
長いお勤めに出て最初の帰郷を迎える日、三歳になった妹の為に聖書を買いに購買へと向う道を歩く。
その朧げな記憶では、私の纏う修道服はザン・イグリット教の修道服であった。
ザンの輝ける星と呼ばれる人物の名を聴いて前世の弟の栄達を知ったのは七歳になった秋の日の夜だ。
廊下を巡り魔道灯を一つづつ燈す、夜のお勤めの際に司祭室から漏れ聞こえた話である。
私が大河に投げ捨てられてより丁度九年が過ぎた、時の移ろいは早いものだと何かの本に書かれていた事を思い出しながら粛々と作務を続ける。
急に戻った前世の記憶に戸惑いながら彫像を磨いていた私は、その日から数日熱を出して身動きが取れなくなった。
深い眠りから覚めた私はその日よりゴールディであった頃の記憶の全てを取り戻し、その落差に苦しむ事となる。
教会に子供を差し出せば、少なくとも村八分になる事は無い。
夏の休暇を頂き久方振りに教会の敷地から外にでる。両親への顔見せと妹へのお土産、待望の家族団らんを二日程過ごせば休暇は終わり、又半年働きづめの日々が再開される。
児童福祉法という法律や労働法などと言う夢物語のような法制度のある国についての本もライブラリで読んだ気がするが、それは、今現在の私に必要な法ではある、しかし無いもの強請りは虚しい限りであった。
修道院の裏手。井戸の周りで言葉を喪った少年と聴力を喪った少年、そして私の三名が必死になって水汲みのための桶を持って浴場と井戸を往復する。
湯あみの為の水汲みの重労働で疲れ切った私達を癒してくれるものは、湯沸かしの為に灯した薪の火の暖かさだった。
皸と霜焼けで痛む手を炙りながら火加減を誤らないように最新の注意を払う。
火加減を間違えれば窓から水をかけられる、そういう無慈悲な仕打ちをしてくる者達が居て微塵も気は抜けない。
隙あらば嫌がらせのように水を掛けて来る気の触れた司祭は特に油断出来ない、本当にどうしようもない。
少年趣味を持つ歪んだ性癖の聖職者など気の触れたもの扱いしても私は悪くない筈だ。
事あるごとに誘いを断り続けているので嫌がらせが止まないのだ。
だから年齢にそぐわない術法を使って水を避けてもバチは当たらないだろう、そう信じたい。
手間のかかる二人の世話を押し付けられる形ではあったが、それが私にとっては全く負担になどならなかった。
ライブラリで得た手話と言う素晴らしい知識を二人に教え、三人だけの静かな会話が修道院の片隅で行われている事など大人たちは知らなかった。
聖書を諳んじ、手元では雑談をする。
真面目か不真面目かで問われればとても真面目な子供では無かった筈である。
死体漁りが墓地に出たと近隣住民が騒いでいた。
確かについ先日埋葬を済ませた墓が穿り返されており、遺体は盗まれていた。
修道士全員が駆り出され、荒らされた墓土を丁寧に埋め戻し墓石を元通りに建て直し、司祭が天に嘆いて御終いである。
領兵も領主も役に立たないので嘆くだけで事件は放置される、昔は街であったこの村は度重なるスタンピードや飢饉で住民がみるみる減少し正に風前の灯火という状態に置かれていた。
街であったことの名残で墓地だけは異様に広く墓も多い、住民よりも墓の方が多い場所だと言っても良い、作務の最中暇で数えた事があるから私が胸を張って保証してもいい。
半年後、墓荒らしと遺体泥棒が出た。
それから三ヶ月後村に宿泊していた冒険者が行方不明になった。
そして今月、私の両親までもが行方不明となり、暫く妹と二人で教会の自室で暫時暮らす事となった。
二日過ぎ、四日が過ぎた後も、心当たりを探って散々探し回ったが両親の影形も遺留品も見つけられなかったのである。
修道女になるか村の宿屋で働きながら生きるかとの提案を修道尼のラティ様より受けて、妹と二人大いに悩む、その時間を頂きながら、教会の清掃などの作務を熟す。
私達兄妹は選択の時を迫られようとしていた。




