第百九十八話 世界を巡る者とその過去と出会い
領民が掻き集められる。
戦い方も知らない者達が口減らし同然の勢いで各家族の次男以下の男児が徴兵されていった。
イグリット教が二つの派閥に別れ殺し合いを始めた、その戦火が周辺国を巻き込み収集がつかない勢いで対立を深め大陸を二分する戦いがやがて激化した。
一進一退を繰り返す領境の砦に弟は兵を集め農民兵を教練しつつ二年もの間持久戦を繰り広げた。
それでも戦況は日を追って悪化していくが二年も戦い抜いた精鋭と、鍛え続けた農民兵が本業の兵士の水準を満たす程度には十分時間を稼げたのだ、隣国は三方から半包囲されて逃げ場を我等の領土に求めた、ここを支え切れば勝ったも同然なのだ。
「ジオルナード様の栄光を示せ!。」
弟……いやハル・ザ・ナイルの号令と共に矢が砦の外の兵士達に降り注ぐ。
敵兵も必死だ、彼等の後ろには荷車や老人、女子供が列をなして歩いている、それも統制を喪ってバラバラに此方に向かっていた。
イグリット教が二つに割れた理由は一つだ、ザンと言う男が原典を盗み出し新たな聖書を造り出した、画期的な印刷技術でもって物量作戦を仕掛け、見事な手腕で改竄を成功させたのである。
ただ、その改竄内容は老神父などが読めば立ちどころに偽書、偽典であることを看破出来たはずであるが、彼の持つ能力により極普通の検証すら行われなかったのであった。
暫くして、ザンは若くして教皇の座を獲得、彼を支持する者達をザン・イグリット教徒と称し神の祝福を巧みに偽装して辺境の貧困国を支援して回った。
宗教闘争は何時だって表に出る前にはマイルドに味付けされ直すもので、対外的には弱者救済の活動が全面に押し出されて有耶無耶にされる。
ただし派閥争いにより清貧な者達は、とてもザンの行う救済を真似る事すら出来ない有様で、中央に近い裕福なイグリット教の都へと落ちのびる事態が続いた。
斯くして宗派は二分され、大陸を南北に割っての大戦争へと発展する事となる。
ハル・ザ・ナイルもまた隣国の難民を撃ち滅ぼした後、砦を出陣。
隣国の残党を討滅しつつ劫掠の限りを尽くしてのち凱旋を果たす。
近隣のザン・イグリット教を信望する国家と手を組み、協議を重ねてイグリット教側の国と領土へと侵略し広大な領地を獲得して独立を果たした。
略奪と虐殺の日々は続き、嘗ての強国として知られるシャンヴァラを併呑、内通した王子の一人と王女二人の改宗を大々的に喧伝し、王族やそれに使えていたイグリット教徒をザンの教えの通り凌遅刑で全て処断し再統治へと乗り出す。
その日、ハルの兄であるゴールディ・ナイルは戸板に乗せられて河に投げ捨てられた。
泥水流れる大きな河へと身分を示すような何物も纏わない全裸で投棄されたのである。
館の改築に合わせて使用人たちがちっとも生家に寄り付かない主に気を効かせての処分であった。
河口で彼女はトローリングに勤しんでいた。
プレジャーボートのような外観をした船の最後尾で大型の釣り竿と強靭な釣り糸に名状しがたき生体ルアーを勢いよく投げてボートをエルフに操縦させ、魔道式ギャフをもう一人のエルフに構えさせていた。
フィッシングチェアーにガニ股で座り、サングラスを掛けて煙草をふかす。
ウェーブの掛かった髪を後頭部で束ね、その髪束はピョコピョコと左右に踊る。
自身の左足に左肘をついて前傾姿勢で缶ビールをクーラーBOXから取り出し、その冷えた缶のプルタブを押し上げる。
小気味よい炭酸の抜ける音に目を細めて、ゴクリゴクリと喉を鳴らして嚥下する。
「ぷっはぁぁぁぁ、生き返るねぇ。」
そうこうしている間に名状しがたき生体ルアーに得物がヒット、リールから糸がグングン流れ出す。
「ゴニア、操船しくじるなよ。」
「アイ・マム。」
飛びつくように竿を掴み、煙草をもみ消してビールを呷る。
「ん?。」
ガリガリとリールを巻くがその手応えは余りにも鈍重だった。
「かぁぁぁ、イキが悪りぃねぇ。」
ビトーの引き締まったケツを叩き乍ら彼女はイラついた顔で竿の先の得物を語る。
ビトーは上官に逆らうつもりも口答えする気も無いらしく無言で魔道ギャフを構えて海面を見守る。
パワハラでセクハラだがそんなつまらない事を訴えれば、また人体改造や精神改造に遺伝子改造を施された挙句記憶まで弄られる。
障らぬ神に祟り無しと言う心境であった。
ファイトする事十五分、針が刺さり名状しがたきルアーに絡めとられ、魔道ギャフで引き揚げられた人間は、痛がることも無く、言葉を発する事も、身動きする様子も無く甲板にマグロのように転がっていた。
「ビトー、メディックバッグに放り込んでおきな、あとで研究室で診るわ。」
そう云うと彼女はトローリング竿を軽々と構えて投げ釣りを開始した。
ゴニアはレバーを掴み船を走らせる。
良い得物が得られるまで帰れない事など何時もの事であった。
改築した生家の片隅の開けた場所で、ハルは空を見上げながら足元に転がる使用人の生首を踏みつけたまま次々と引き出される使用人の赦しを乞う声と絶叫を聴いていた。
左手には空の旅の絵本と空の旅の本、どちらも読み込み、古びた装丁の本であった。
「リリカ、兄の墓は此処に建てさせろ、そして、兄の棺にはこの二冊を頼む、これは兄が大好きだった本だ。」
「はっ、畏まりました。」
肩を落としたハルに寄り添うように夫人が伴って歩み去って行く。
敬礼した姿勢のままリリカは王の背を見送った。
後日ハルは両親を処刑してタハラディバトへと侵攻を開始する、公文書には一言、兄の仇と記されていたという。
機械が並ぶタイル張りの部屋で、器具やベルトで固定され、安置されている私がいた。
「また敗北したねぇ……結局アタシは便利な魔法とエルフの細胞無しじゃ人を救えないンだろうねぇ。」
「ゲファ…クァ。」
「ああ、起きたのかい。」
気だるげに立ち上がった女は水差しを持って私に近寄ると静かに喉を湿らせる程度に水を流し込んできた。
「死んでた細胞と壊死したり弱ってた部分は完全に再生してるよ、エルフ化したとも言うけどねぇ。」
「こうぉん、エゥエベル。」
「ん?あぁ?ああ、声帯の使い方から勉強だねぇ。」
カツカツと堅い靴音を立てながら壁に掛かっている機械に彼女は歩み寄り何かを掴み取って喋っている。
「良かったなぁ外が見える病室が開いてたよ、運がイイね、釣り上げられて助かンだから強運なのは既に証明済みだったか。」
「ゴゥェラ。」
「"宇宙病院戦艦"、日本語で憶えて居られたら今度ご褒美アゲルわよ。」
横にスライドする扉から白衣を着た二人が私の頭と足の方に立ち、取っ手を掴んで別の何かに乗せて運び始めた。
ガラガラと音を立てて走る乗り物から密室に閉じ込められ、得も言われぬ感触を身体に感じながら暫く時間を過ごすと、密室から解放されて明るい通路に押し出される。
そのままガラガラと運ばれて、落ち着いた先は病室のベッドの上であった。
弟が読んでくれた絵本の内容を声に出して見るが上手く行かない。
時折やってくる女性が貼り付けて行った紙を朝昼晩読み上げながら日々が過ぎて行く。
「その絵本ので使われている言葉はタェフタル語だね、壁に書いてあるのは日本語だ、判るのはアタシくらいだね、あと分割封印された勇者くらいか。さて、ロンダ語の復習するよしっかり背筋伸ばして発音しな。」
「イエス・マム。」
血の滲む様な語学学習が連日続いた。
それでもまだまだ優しい日々であったと飛行甲板マラソン8耐をしている自分は振返る事が出来る。
「ホレ、ゴウダぁ!あんたは歩け、キリキリ歩けー。」
発音がバラバラな私が名乗ったところ彼女にはそう聞こえたようで、隊員に私を紹介する際にもゴウダであると紹介され、課題曲も与えられた。
そして、投薬治療と戦闘訓練を兼ねたリハビリ生活が始まった。
「ママとパパはベッドでゴロゴロ~。」
「「「「「ママとパパはベッドでゴロゴロ~。」」」」」
行進曲を歌いながら走る、全員揃って高らかに歌いながら、倒れるまで走る。




